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雅に痺れたね(A Brocade Scene Program)  作者: 枕木悠
第二章 ドロップ
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第二章④

「ディスコティック」

 それが天之河がエクセル・ガールズのデビュー・シングルのカップリング曲に求めたテーマだった。「それから、純和風に仕上げて頂戴な」

「ディスコティックかぁ、」篠塚は腕を組んで悩む。「それから純和風? 難しいなぁ」

「あ、カノコ、」天之河は自分の手首に巻き付いた鎖の先にある小さな時計を見て言う。「時間だわ」

「ああ、そっか,そうだった、私はここに歌いに来たんだった」

 篠塚は腕を組みながら立ち上がり、スズメとマナミの間から移動して、スタスタと誰もいないステージに立った。ステージの奥にはアンプと、その横にエレキギターが準備されていた。篠塚はギターを肩に掛け、プラグを手際よくアンプに挿して、こちらに向き直ってマイクに向かって言う。気付けば周囲は暗くなり、弱い照明が篠塚を包んでいた。ステージの上の小さなミラーボールが回転を始める。この雰囲気に少しミスマッチな、落語家が袖から登場するときに聞こえる出囃子に似たメロディが流れると、誰かの歓声が響いた。

「えー、実は今日は、」篠塚はメロディに合わせ、話し始める。「いつも私と一緒にいる二人は人生において欠かすことの出来ない素敵な用事のためここに来れません、すなわち婚活パーティに出かけているためここに来れません、ですので今夜は一人オーバドクターズとなります、これは一時間前まで予期せぬことでした、予期せぬことの三回目、三度目の独演会、独演会だから出来ることってあるわよね、独りだから出来ることってあると思うんですよ、この主張は私は三度の離婚を経験して、四度目の独身を経験していることとは全く関係がありませんよ、いいですか?」

 篠塚の突然の私的な告白に、店内が少しざわついた。

「あ、嘘ですよ、」篠塚は嘘か真か、微妙な表情で言ってから、続ける。「とにかくしかしでも、三度目、いや、そこには触れずに、気軽にスルーに、っつうことで、しばし、お付き合いくださいませ、まあ、私がいればいいでしょ? っつうこって、最初はイギリス民謡から最高のロックンロールを聞いてください、では、」篠塚はギターの六弦を掻き鳴らす。「丘を越えて、行きましょう、口笛拭いてさ、ピクニック!」

 一人オーバドクターズ、篠塚のライブが始まった。

 ライブが始まって気付いたことだが、ステージの周囲には三十代から四十代のサラリーマンたちが集まっていた。どうやら篠塚は彼らからの指示が高いようだ。ステージから離れた席に座る若いお兄さんや女の子たちは、ディストーションに包まれたピクニックに当惑している。

 スズメはと言えば。

 激しい篠塚のロックンロールを見て。

 格好いいって思っていた。

 たった一本のエレキギターで、篠塚はスズメの世界の色を変えた。

 その力をスズメは感じた。

 圧倒されて。

 影響される。

 ステージに立つ、ってこういうことなんだって思った。

 別に、やっても構わないって思った。

 少なくとも、授業でエクセルを睨むよりはきっと、楽しいことに違いないって思った。

 やれるか分からないけど、でも。

 マナミは立ち上がってリズムに合わせて手を叩き、フロアを盛り上げている。

 スズメもマナミと一緒に手を叩き始めた。

 衝撃を受けてしまった、という体験は今。

 そして衝撃を受けた、ライブの終わり。

 篠塚の元に行って、感想を言おうとしたスズメの肩を誰かが叩いた。

 振り返る。

「スズメ」

 森村ハルカがそこにいた。

 ショートヘアで、中学の時よりさらに可愛くなったハルカがいた。

 なんで?

 どうして?

 スズメは過度のパニックに陥った。

 よく分からない精神状態なんだけど。

 多分、きっと、まだ。

 親友のハルカにメイド服を着て、メイドをしている姿を見られる準備が出来ていなかったんだと思う。

 だから、きっと。

 黙ってしまったんだと思う。

「スズメ、久し振りだね、」ハルカはメイドのスズメを上から下まで観察しながら笑顔だった。得意のハルちゃんスマイルだ。「メイドのスズメに会うのは初めてだね、ちょっと、夢みたいだな」

 スズメは様々なことを考えた。どこに行き着くのが正解なのかは分からないけれど、今すべき最善ってなんだろうって考えた。何かをするべきだと思う。何かをすべきかは分からない、分からないけど、何かをしなかったら、もっとパニックになりそうな気がする。だからスズメは笑顔で知らんぷりをすることに決めた。決して賢くない方法だって、分かってるんだけど、無駄な抵抗だって分かってるんだけど、とにかくハルカにメイドな自分が見られてしまったのが、なんていうか、恥ずかしすぎて、そう、恥ずかし過ぎて、別人になりたくなったんだ。「お帰りなさいませ、お嬢様」

「え、スズメだよね?」ハルカは顔を近づけて言う。「スズメでしょ?」

「スズメって、」スズメは今までに出したことのない可愛らしい声を出して首を竦める。「誰のことですかぁ?」

「どうして知らんぷりするの?」ハルカはスズメを睨む。「スズメでしょ?」

 スズメはハルカに背を向けて、テーブルへ案内する。「さ、お嬢様ぁ、こちらですよぉ」

 そのとき。

「スズメちゃん、」マナミの声がした。「スズメちゃん、スズメちゃん、スズメちゃん!」

 ハルカはスズメの横に立ち笑顔を見せる。得意のハルちゃんスマイル、再び。「スズメちゃん、呼んでるよ」

 スズメはしらばっくれる。しらばっくれることの無意味さは分かっている。

 けれどでも。

 なんていうか。

 ハルカには、知られたくなかったっていうか。

 よく分からない、気持ちなんだけど。

 本当に、なんでだろう?

「スズメちゃん!」マナミの絶叫に近い声が聞こえる。

「ほらほら、スズメちゃんってば、呼んでるよ、」ハルカがスズメの背中を優しく押した。「行った方がいいんじゃない?」

「ああ、もう、」スズメは厨房の方に早足で向かった。「なんなのよぉ?」

「ほら、見てぇ!」マナミは瞳を輝かせ、こっちを見て言う。「可愛いスズメが書けたのぉ!」

 マナミの前にはオムライス。

 そのオムライスの上には、ケチャップで描かれたスズメ、のように見える何か。

 スズメはマナミを睨み、厨房の奥の事務所に向かった。事務所では天之河と篠塚がキセルの煙に包まれて雑談している。二人は急に入ってきたスズメを見て聞く。『どうした?』

「すいません、」スズメは額に手を当て俯き言った。「気分が悪くて」

「あら、大丈夫?」天之河は心配そうな顔でスズメの顔を下から覗き込んだ。

「はい、その、本当に、申し訳ないんですけど、帰らせてもらってもいいですか?」

「いいけれど、本当に、大丈夫? 顔色が青いわ、休んでいけば?」

「いえ、そんなに酷くはないので、」天之河が言うように、本当に顔色が悪いのかもしれなかった。気分が悪いっていうのは、本当だ。「それじゃあ、お疲れさまです」

 スズメは更衣室で着替えて、すぐにハルカのところに向かった。ハルカはテーブル席に座り、なぜかマナミと談笑していた。かなり盛り上がっている。なぜかちょっと、ムッとする。なぜかハルカがスズメ以外の誰かと話しているところを見ると、ムッとするのだった。スズメはハルカの手を取り引っ張った。ハルカの抵抗は些細で、すぐに立ち上がり、スズメの後ろを歩いてくる。

「どうしたの、スズメちゃん?」マナミの心配そうな声を無視してハルカを連れて店を出た。

 階段を下り、地下へ。

 そこで一度スズメは立ち止まり、大きく息を吐き、振り返ってハルカを見た。

「やっぱりスズメでしょ?」目が合って、ハルカが言う。

「スズメだよ、」スズメは柔らかい頬に笑窪を作って言った。「久しぶりだね、ハルカ」

「マクドナルドに行く?」ハルカは聞く。

「そうね、」スズメは頷きながら、ハルカとの日々を思い出した。つい最近の出来事だと思っていたのに、記憶は明瞭なのに、なぜか凄く懐かしいって思って、人通りが激しい地下街に二人、という状況じゃなかったら、スズメはハルカのことをきっと、抱きしめていたと思う。ずっと会いたかったんだって、気付く。人通りが激しい地下街だから、そんな恥ずかしいことはしないけどとにかく、二人の思い出の場所はそこである。「マクドナルドに行こう」



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