第二章②
「やあ、二人とも、天神さんが来たよ」
初めてのエクセルの授業が散々だった日の夕方、彼女は喫茶ドラゴンベイビーズに現れた。
篠塚カノコ。それがスズメと橘マナミが錦景第二ビルの屋上にある天神さんにお詣りに行ったとき、賽銭箱の裏から出てきた小さな女性の名前だった。彼女はあそこで昼寝をしていたと言った。「煮詰まっててさ、新曲に、煮詰まっていたんだよね」
カノコは名門、錦景女子大学の出身で、院まで出た秀才だった。しかし、無職。大学にも企業にも就職することもなく、自宅で研究をしながら、二十八歳なのにバンドをしている、いわゆるオーバドクタだった。
CDも出しているが、もちろん、インディーズでの活動だ。錦景第二ビルの三階にはマリエ・クレイルというレコーディング・スタジオがある。曲の作成に煮詰まると、『煮詰まる』というのは意味が違うと思うのだが、とにかくヒステリックが溜まると、屋上の天神さんのところに行って体操したり、高くジャンプしたり、賽銭箱の裏で眠ったりする習性が彼女にはあった。そこに二人は居合わせた訳である。そしてカノコが二人に会いに来た理由は、メイド服に身を包んだ二人のことを気に入ったからだ。カノコは女性なのに、女性しか愛せない体なのだと教えてくれた。「まあ、簡単に言えばレズビアンなわけだ」
会っていきなりそんなことを告白されてスズメは戸惑ったけれど、マナミはなぜか瞳をきらきらさせていた。
「二人、ユニットを組むんでしょ?」カノコはスズメとマナミをソファの左右に座らせ、足を組み聞いた。「エクセル・ガールズだっけ? 変なの、でも、好きよう、そういう、ふざけた感じ」
「はい、そうなんです、」マナミがテーブルの上のオムライスにハートを描きながら頷く。マナミはすでにこの店の女の子の中で誰よりもハートを描くのが上手になった。でも、相手が男だと雑になる。おそらく男の人が相手だと緊張してしまうのだと、スズメは思ってる。「でも、どうしてそれを? 絶対に、誰にも言っちゃ駄目だって、オーナが言っていました」
「あ、私、ここのオーナの天野の同級生なんだ、天野に聞いてね」
「天野じゃありませんよ、」スズメは訂正する。「オーナの名前は天之河です、天之河ミツキですよ」
「ああ、それはね、ペンネームみたいなものでね、ミルキィウェイなんて素敵な名前じゃないのよ、本名はね、天野、」
カノコが言いかけたとき、オーナの天之河がテーブルの前に立った。極道の衣装はいつ見ても雅やかでいて、衝撃的。天之河は凄く笑顔でカノコを睨んでいる。「カノコ、それは言っては駄目よ、」天之河は対面のソファに座った。「出入り禁止にするわよ、私の店の女の子たちにした様々なことを警察に話してもいい、話してもいいんだからねっ」
「分かったわ、分かった、言わない、だからそんな恐い顔しないでよ、」カノコはスズメとマナミの腕に自分の腕を絡ませて、微笑んで答えた。「でも、警察に話すようなことってなんだろうな」
「カノコはなんだか、」天之河はアイス珈琲にミルクとシロップを入れてかき混ぜて、カノコの方に押す。「二人のことを気に入ったみたいね」
「うん、天野は昔から、女の子を見る目が正確ね」
「天之河よ、」天之河は微笑みを絶やさずに言う。「それでね、カノコ、気に入ってくれたんだったら、お願いがあるんだけど」
「どんな曲がいい?」
「あら、よく分かったわね」
「まさか、コンクリートのことは頼まないでしょ?」
「コンクリート?」マナミは首を傾げた。
「私の専門は、コンクリートなの」
「とにかく、そうなの、カノコに曲を作ってもらいたいのだけれど、二人の、エクセル・ガールズのデビュー曲の、」
「うんうん、任せて」カノコはコーヒーに半身を沈めたストロを咥えた。
「デビュー曲のカップリングなんだけれど」
カノコは珈琲を吹いた。「カップリングかよっ」
「両A面でもないからね、大事なデビューシングルのカップリングよ」
「A面は誰が?」
「うちで弾いてるピアニストの女の子がいるんだけれど、カノコは知らないかな、その娘、凄く作曲のセンスがあってね、なんていうのかな、A面を作るのが、上手なの、ああ、もちろん、カノコの曲よりもいいっていう話じゃなくてね、適材適所っていうか、ほら、カノコの曲はカップリングにあったら、凄く得した気分になれる曲ばかりじゃない」
「誉めてるの?」
「もちろんよ」
「……まあ、いいけどさ、」カノコは二人の肩を強く抱いた。ギュウって密着させられる。このまま猥褻なことをされるんじゃないかって、スズメはドキドキしていた。「可愛い二人のために、お姉さん、頑張っちゃおうかな」
「本当?」天之河は頬杖付いて、目元だけ笑って言う。「嬉しいわ」
「それで、どんな曲にする?」カノコはスズメに顔を寄せて聞いた。




