CROSSOVER【白瀬ミオ】豆腐二丁ぶんの記憶
本編100話記念のSSです。
鍋の日だった。
ミオはスーパーの袋を片手に、アパートの階段を上がっていた。袋の中で白菜と豆腐と安い鶏肉がぶつかり合い、かさかさと音を立てる。鍵を開ける前に、部屋の中からレンの声がした。
「ミオ、豆腐買った?」
「買ったよ」
「何丁?」
「二丁」
少し間が空いた。
「……二丁?」
「なに、その確認。鍋でしょ。豆腐は二丁いる」
「一丁でよくないか」
「よくない。レンは豆腐を甘く見てる」
ドアを開けると、レンは小さな机の前に座っていた。ノートパソコンの画面には、よくわからない配線図みたいなものが映っている。趣味の修理か、仕事の残りか、その中間だった。ミオは袋を台所に置き、豆腐のパックを二つ並べた。
「ほら。二丁」
「圧がある」
「豆腐には圧が必要」
「それ、たぶん豆腐の作り方の話だろ」
「たぶんそう」
レンが笑った。声だけで笑うみたいな、短いやつだった。
鍋は特別な料理ではなかった。白菜を切って、鶏肉を入れて、豆腐を崩さないように置く。ミオは崩さないつもりだったが、ひとつ目の豆腐は包丁を入れる前に端が欠けた。
「事故」
「早いな」
「豆腐がやわらかすぎる」
「豆腐のせいか」
「そう」
レンは文句を言いながら、箸と器を出した。ミオが火をつけると、鍋の底から小さく泡が上がった。部屋に湯気が増えて、窓が少し白くなる。
それだけの夜だった。
大きな約束もなかった。未来の話も、たぶん少しはしたけれど、何を言ったかははっきりしない。仕事の愚痴と、安い豆腐の話と、次はもう少しいいポン酢を買う話。けれどミオは、その夜のことを妙に覚えていた。
レンが豆腐を一丁で足りると言ったこと。自分が二丁いると言い張ったこと。鍋の最後に、レンが結局いちばん豆腐を食べたこと。
「ほら、食べてるじゃん」
「あるから食べてるだけだ」
「豆腐に負けてる」
「勝敗あったのか」
その時、ミオは笑っていた。
そして今、ミオは古い祠の前で透明な板を持ち、白い食物の構造ログを見ていた。豆をすりつぶす。白い汁を取る。苦い液を少し入れる。固める。手順は雑だった。記憶も雑だった。けれど、胸の奥に残っているものだけは、なぜか消えていなかった。
「……二丁」
白狐が耳を動かした。
「ミオ?」
「ううん。なんでもない」
ミオは透明な板を持ち直した。祠の前では、村の女たちが不思議そうに白い塊を見つめている。神官はそれを供物として扱っていいものか、まだ迷っている顔をしていた。
白狐だけが、少し真面目に言った。
「それは、大切な食べ物なのですか」
ミオはすぐには答えなかった。
ただの豆腐だ。現代では、どこにでもあるものだった。安くて、白くて、崩れやすくて、鍋に入れるとだいたい誰かが取りそこねる。でも、今は違う。ここでは、村の食べ物になる。供物になる。外の村へ渡るかもしれない。そしてたぶん、どこかでまだ生きているレンと、自分をつなぐものにもなる。
ミオは小さく息を吸った。
「うん。大切。たぶん、思ってたより」
白狐は黙ってうなずいた。
ミオは白い塊をそっと皿に移した。端が少し崩れた。
「……事故」
「今のは、ミオの手元です」
「見てた?」
「見ていました」
「白狐さん、そこは祠のせいにして」
「祠に失礼です」
ミオは少しだけ笑った。その笑い方を、昔のレンなら見逃さなかったと思う。
どこかで、レンも何かを直している。たぶん工具を握って、文句を言って、AIに変な確認をされている。そしてたぶん、食べ物のことは少し後回しにしている。
ミオは皿の上の豆腐を見た。
「レン、ちゃんと食べてるかな」
答えはなかった。
通信はまだない。リンクもまだない。届くはずがない。それでも、ミオは透明な板を祠にかざした。
[LOCAL FOOD NODE]
――――――――――
白色食物:安定化
保存性:低
供物適性:確認中
記憶由来タグ:未分類
――――――――――
「未分類でいいよ」
ミオは小さく言った。
「まだ、名前をつけるところじゃない」
白狐が隣で尻尾を丸めた。
「では、まず食べましょう。供物としての確認です」
「白狐さん、それ自分が食べたいだけでは?」
「確認です」
「二丁ぶん作ってないからね」
「二丁?」
ミオは豆腐の皿を持って、村のほうへ歩き出した。
「うん。二丁。いつか、ちゃんと作る」
その時は、たぶん一人では食べない。
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