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ORIGIN-7 Short Stories - Jewelry Box -  作者: ORIGIN-7


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CROSSOVER【黒瀬レン】豆腐一丁ぶんの補給ログ

本編100話記念SSです。

腹が鳴った。


レンは配管の下で仰向けになったまま、しばらく動かなかった。天井ではない。正確には、旧文明基地の補助廊下、その床下区画の天井側にある配管群だった。金属板の隙間から冷えた空気が落ちてくる。左手には工具。右手には焦げた端子。口の中には、さっきから鉄の味みたいなものが残っていた。


『生体反応に低血糖傾向を確認。作業継続効率が低下しています』

『手元、遅いです』

「腹の音じゃなくて、そっちか」

『さっき、落としました』

「端子は落としてない」

『小さい破片です』

「見てたのか」

『嫌でした』


レンは黙って、端子の奥に残った黒い破片を見た。確かにひとつ、配管の下へ落ちている。ガタの小さな機体が床板の端で止まり、そこだけをじっと見ていた。


ここを直さないと、補助調理区画の再加熱ユニットが安定しない。安定しないと、保存食は冷たいままだ。


冷たい保存食でも食える。食えるが、毎回それだと気が滅入る。


「あと一本だけ確認する」

『その発言は八分前にも記録されています』

「今回は本当に一本」

『前回も同一文言でした』

『嘘です』

「短いな」

『雑です』


レンは短く息を吐いた。工具を差し込み、焦げた端子の奥に残っていた小さな破片を引き抜く。かち、と軽い音がした。手袋越しに嫌な手応えが消える。


[MAINTENANCE LOG]

――――――――――

補助調理区画:再加熱ユニット

電源線:復旧率 71%

熱制御:不安定

推奨:手動確認後、低出力試験

――――――――――


『低出力試験は可能です。成功すれば、保存食を加熱できます』

「それを先に言え」

『十七分前に言いました』

『聞いてないです』

「ガタ、お前はどっち側だ」

『止まらない側です』


レンは床下区画から這い出した。肘が金属板に当たり、鈍い音がした。膝をついて立ち上がると、視界の端が少し暗くなった。思っていたより腹が減っている。喉も乾いていた。


補助調理区画は、基地の奥にある小さな部屋だった。壁に埋め込まれた銀色の箱が三つ。中央の一つが再加熱ユニット。右側が保存食ラック。左側は水分再調整用の装置らしいが、まだまともに動かない。床は冷たく、ライトの光が薄い青で返ってくる。


ガタが先にラックへ近づいた。小さな機体を左右に揺らしながら、銀色の箱の前で止まる。


『ここ、先です』

「保存食ラックか」

『補給です』

『保存食パックは三十七個残存。うち、現時点で人間の摂取に適するものは二十一個です』

「味は?」

『分類外です』

『大事ですか』

「大事」

『では、未確認です』


レンはラックから薄いパックを一つ抜いた。表面に文字はない。代わりに、古い規格のコードと、栄養比率らしい細い線が刻まれている。軽い。中身が何なのか、触っただけでは分からない。


「これ、何味」

『推定では穀物タンパク質、藻類油脂、微量ミネラルを固形化したものです』

「味を聞いた」

『栄養味です』

「最悪の答えだな」


ガタが再加熱ユニットの前で止まった。


『温めてください』

「お前は食べないだろ」

『レンが止まります』

「まだ止まってない」

『手元が悪いです』

「厳しいな」

『ここ、壊れます』


レンは言い返しかけて、やめた。ガタは食事に興味があるわけではない。温かいものを食べたいわけでもない。ただ、腹を空かせたレンが雑に作業して、端子を落としたり、配線をこじったり、まだ生きている設備を壊すのが嫌なのだ。


たぶん、それだけだ。


「温めれば勝てるって?」

『少し、ましです』

「勝敗あったのか」


言ってから、レンの手が止まった。


勝敗あったのか。


同じ言葉を、どこかで言った気がした。基地の冷たい調理区画ではない。金属音もしない。焦げた臭いもない。もっと狭くて、もっと湿った湯気のある場所。窓が白く曇っていて、安い机があって、誰かが鍋を見ていた。


豆腐。


レンは保存食パックを持ったまま、目を細めた。


「……豆腐」


『該当食材は現在の在庫にありません』

『豆腐、ですか』

「食べ物」

『補給ですか』

「まあ、そうだな」

『では、必要です』


ミオの声がした気がした。


豆腐は二丁いる。


レンは少しだけ笑いそうになって、やめた。口元が動く前に、胸の奥のほうがきゅっと詰まった。笑うには、ここは静かすぎた。


『レン。心拍変動を確認』

「問題ない」

『呼吸も浅くなっています』

「問題ないって」

『了解。問題がないものとして、作業可能な範囲に落とし込みます』

『座ってください』

「ガタ?」

『倒れると、嫌です』


ノアの声は変わらなかった。冷静で、平坦で、必要なことだけを置く。ガタの声は短くて、どこか欠けている。そのどちらにも、レンは少し助けられた。


保存食パックをユニットに差し込む。蓋を閉じる。パネルには古い記号が浮かび、低く唸るような音が始まった。しゅう、と細い蒸気が漏れる。焦げた臭いに混じって、穀物のような匂いが立った。


[FOOD UNIT TEST]

――――――――――

再加熱ユニット:低出力起動

温度制御:許容範囲

食品パック:加熱中

警告:味覚満足度は保証外

――――――――――


「最後の警告いらないだろ」

『必要です。期待値調整です』

『塩は』

『ありません』

『残念です』


レンは壁に背中を預けて座った。足を投げ出すと、膝のあたりがじんと痛んだ。いつから座っていなかったのか、よく分からない。ライトの光が床に斜めに伸びて、ガタの影を小さく揺らしている。


加熱ユニットが小さく鳴った。


パックを取り出すと、表面が少し熱かった。レンは指先で持ち替えながら封を切る。中から出てきたのは、四角く固まった薄茶色の何かだった。湯気は出ている。匂いは悪くない。見た目は、まあ、旧文明が人間を生かすために最低限考えた物体だった。


「豆腐ではないな」

『豆腐ではありません』

『四角いです』

「四角ければいいわけじゃない」


レンは一口食べた。


味は薄かった。塩気も足りない。食感は妙に均一で、噛むと少し遅れて穀物の匂いが来る。うまいとは言えない。けれど、温かかった。


その温かさだけで、体が少し黙った。


「……食える」

『摂取継続を推奨』

『手元、戻りますか』

「たぶん」

『なら、いいです』


ガタが満足そうに一度だけ回った。食えもしないくせに、なぜか偉そうだった。


レンはもう一口食べた。四角い保存食の端が欠ける。豆腐なら、もっと白くて、もっとやわらかくて、箸で持つと崩れた。ミオはそれをだいたい豆腐のせいにしていた。


事故。


声が、今度ははっきり残った。


レンは手を止めた。


ミオは笑っていただろうか。たぶん笑っていた。少し得意げに、けれど豆腐を崩したことは認めない顔で。二丁いると言い張って、結局レンの器にも多めに入れてくる。


あの夜、何を話したかは全部は思い出せない。けれど、豆腐が二丁あったことだけは覚えている。湯気。安いポン酢。窓の白さ。ミオの雑な理屈。自分が結局いちばん食べたこと。


「一丁で足りたんだよな」


『現在の保存食単位は一パックです』

『誰に、ですか』


レンは返事をしなかった。


通信はない。リンクもない。ミオがどこにいるのかも分からない。生きていると信じる材料は少ない。けれど、完全に消えたわけではない。こうして、わけの分からない保存食を食べているだけで、何かが引っかかる。


豆腐二丁。


そんなものが、基地の空気より強く残っている。


[PERSONAL MEMORY FRAGMENT]

――――――――――

対象:未整理

内容:白色食品/鍋/二単位購入

関連人物:MIO

通信リンク:未成立

保護推奨:高

――――――――――


「勝手に分類するな」

『破損しやすい記憶片です。保護します』

「……そういう言い方するな」

『別表現に変更します。失いたくない記録です』

「もっと悪い」


ガタが少し静かになった。


『レン』

「なんだ」

『それも、補給ですか』

「たぶん」

『では、必要です』

「お前、さっきからそればっかりだな」

『必要です』


レンは保存食を最後まで食べた。味は最後まで薄かった。けれど、胃の中に温かさが落ちて、指先の震えが少しおさまった。


立ち上がる前に、レンは空になったパックをしばらく見ていた。


「ノア」

『はい』

「今後、食品生成系の設備が見つかったら、白い固形食材の項目を優先で確認してくれ」

『理由は』

「私用」

『了解。私用項目として記録します』

『白くて四角いですか』

「できれば崩れやすいやつ」

『壊れやすい食べ物を優先する理由が分かりません』

「崩れるからいいんだよ」

『理解不能です』

『でも、必要です』


レンは工具を拾った。


再加熱ユニットは動いた。保存食は温められる。これでしばらくは、冷たいパックを噛まなくて済む。小さいが、基地の中でひとつ、まともな生活に近いものが戻った。


廊下へ出ると、遠くで換気ファンが低く回っていた。冷たい空気に、さっきの穀物の匂いがまだ少し混じっている。


レンは歩き出した。


「ミオ」


声は小さかった。誰にも届かない大きさだった。


「一丁でも足りるって言ったの、たぶん撤回する」


ノアは何も言わなかった。


ガタも、めずらしく何も言わなかった。


レンは工具箱を持ち直し、次の区画へ向かった。いつか、白くて崩れやすいものを作る。二つ。できれば、鍋も。


その時は、たぶん一人では食べない。

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