9 鉄道狂1
背筋を伸ばしながら返事をし、急いでコンロの上のドリップポットからおかわりを注げば、先程の会話を微塵も感じさせないハリスさんの声が聞こえた。ちなみにエマは素知らぬ顔で皿を拭いている。
「最近よく来るじゃないか、アル」
その爽やかさたるや、友人の魅力は金と言い切った人とは思えない。
この人、いざとなったら平気で友人売りそうだ。
「用があるからな。それに飯はあっちより美味い」
「一等客車専用食堂とは比べるべくもありませんよ」
予想外の褒め言葉にエマが嬉しそうな声をあげた。客層が貴族主体の一等客車専用食堂と比べるなんておこがましいけれど、褒められたら悪い気はしない。
アルフレッドさんはお世辞を言うように見えないから本心なのだろう。私とエマの空気が少しだけ和らいだその時だ。
「そっちじゃない。アレスタクロス駅よりも飯が美味いって言ってんだ」
その言葉にカウンターの中で並んでいた三人の動きが止まった。皿を拭く手を止めたエマの顔には歪な笑顔が貼り付いていた。
「……当たり前ですよ、ここは天下のカーライル鉄道セントラルアレスタ駅ですよ」
ひくひくと揺れる目尻がやや不気味だ。エマから距離をとるように私とハリスは一歩ずつ右へとずれた。
アレスタクロス駅。アルフレッドさんが口にした駅はこのセントラルアレスタ駅のライバル駅だった。
ヴィルフォード帝国では、鉄道駅は各鉄道会社が所有しており、計画から始まり建設、運営、保守すべてを同じ鉄道会社が行っている。
このセントラルアレスタ駅はヴィルフォード帝国内初の鉄道会社カーライル鉄道が運営している駅だ。炭鉱町から様々な場所に石炭を運ぶために伸びていった鉄道が、市民の足となるべく首都であるアレスタにも通されたのは鉄道誕生から十年後のこと。
多数あった鉄道会社が我先にアレスタへと鉄道を通そうとした際、会社の業績と国への貢献が認められ、真っ先にカーライル鉄道が線路を通す許可を国から得たのだ。
このアレスタ市内でセントラルアレスタ駅は伝統と安心、早さと快適さを売りにここ数十年間、アレスタ、ひいては国内の交通を牽引してきた。
一方、アルフレッドさんが名をあげたアレスタクロス駅は、カーライル鉄道に遅れること五年、セントラルアレスタ駅の隣のブロックに建てられたガルシア鉄道の駅だ。
ガルシア鉄道は、後発会社の利を生かして、技術革新をはかるとともに顧客の満足度向上のために様々な取り組みを行っている会社で、労働者に絶大な人気を誇っている。三等客車を廃止し二等客車の料金を下げたり、機関車のスピードを速めたりしたことは有名だ。
ちなみにガルシア鉄道は地方の利便性の向上を図って、過疎地や鉄道敷設困難地域への進出も活発に行っている。私の故郷であるラズローに線路を初めて通したのもこのガルシア鉄道だ。国内大手のカーライル鉄道の駅がラズローにできたのはガルシア鉄道に遅れること三年。
業界内でもこの二社は『老舗のカーライル鉄道』と『新興のガルシア鉄道』と比較されることが多く、お互いライバル意識を燃やしていた。末端の食堂の給仕であるエマもその例に漏れない。
先日もタブロイド紙の『アレスタ市内のお勧め観光施設』特集で、セントラルアレスタ駅がアレスタクロス駅よりも後ろに記載されたことにしばらく不満を漏らしていた。
「食事以外も、うちはお勧めが多くありますよ」
「あちらの方がスピードは早いがな」
かっとエマの目が見開くのを見て、私とハリスはさらに一歩右へと移動する。
路線が重なるようになった鉄道会社はそれぞれのカラーを出して顧客獲得に努めたが、各社お互いのうりを取り込み没個性的になってしまったせいか、分かりやすいスピード競争を始めた。
コースはアレスタから始まり、ヴィルフォード帝国北方都市ラズローがゴール。走行距離が長いながらも平坦な海岸ルートのカーライル鉄道か、距離は短いながらも渓谷を抜けなくてはならない山ルートのガルシア鉄道か、市民も巻き込んで大騒ぎとなった。賭け事にもなっていたらしい。
ガルシア鉄道がスピードを上げれば、カーライル鉄道もスピードを上げ、その数日後にはさらにガルシア鉄道が抜き返す。この繰り返しだった。
昨年、これ以上の競争は乗客の安全を確保できないとしてお互いの経営陣の話し合いの末、スピード競争に幕がひかれた。結果はガルシア鉄道の勝利で、カーライル鉄道よりも僅か五分ほどラズロー到着タイムが早かった。
まだやれたはずなのにという思いがカーライル鉄道側にはあるらしく、スピード競争の出発地点である、ここセントラルアレスタ駅駅員の中には未だ並々ならぬ対抗意識を燃やす人間もいる。
「……いつ脱線するか分かったものじゃないわ、あんな鉄道狂の蒸気機関車なんて」
「鉄道狂?」
聞き覚えのないセリフに思わずおうむ返しに問えば、途端剣呑な雰囲気を醸し出していた二人の視線がこちらへ向いた。
「知らないのか……鉄道会社に勤務しておきながら」
鉄道好きで鉄道会社に就職したわけじゃないです。
アルフレッドさんの咎めるような視線に唇を尖らせた。が、ハリスさんやエマからも同じく驚きと呆れの視線が向けられ、分が悪いことを悟った。
「あまり興味がなくて、鉄道事情には疎いんです……」
「あら、シャーロットのご両親は先見の明があったのかもしれないわ」
「それにしても、かなり珍しい親御さんだねぇ」
エマのフォローする声と珍しく驚くハリスの声が遠く聞こえた。
先見の明も何も、療養先に父様はついてこなかったから亡くなるまでに数えるくらいしか会っていない。療養中の母は世間の話に疎かった。やや特殊な状況で育ったとは言え、社会に出ている身としては世間知らずな自分が恥ずかしい。
「鉄道狂ってのは鉄道株の投資家のことだ」
どこか呆れた色を含んだ声が聞こえた。