グリフォンの長
白い靄の中をサイファーはさまよっていた。どうやら夢の中らしい。
≪起きよ、いつまで眠りこけておる。≫
ふと頭の中で声が響いた。
(誰だ?トラストか?)
≪あの黒い狼なわけなかろう。礼を言いたい。早く目を覚まし、舎へ足を運べ。≫
声はそれだけいを言い残しサイファーから遠ざかって行った。
(待ってくれ、君は誰なんだ?トラストじゃないなら一体……。)
「あ、サイファーおはよ。起きた?」
目を開けるとカタリーナが顔をのぞかせていた。
体が思った以上に怠い。サイファーは目だけを動かし周囲を見る。どうやらここは自分の部屋らしい。
「カタリーナ……。俺は一体……?」
掠れた声が弱弱しく発せられる。
「君ねぇ、あれから三日?四日かなぁ。それくらいずーっと眠ってたんだよ?声が出ないのも当たり前。身体起こせる?」
やれやれといった調子でカタリーナは言った。
(三日以上、俺は寝ていたわけか……。)
サイファーは上半身を起こしカタリーナから水を貰って飲んだ。
乾いた喉に水が染みわたる。
「あ、後グリフォン達なら平気だよ。私が診てる。にしてもあの子ら懐いてくれないねぇ。」
「グリフォンは元々黄金を人間から守る存在だ。そう簡単に懐かない。」
そう言うとサイファーはベッドから降り、獣舎へ向かう準備を始めた。
「サイファー!まだ安静にしてなきゃだめだよ。私がフレデリックに怒られちゃう。」
「誰かから獣舎へ来いって言われたんだよ。行くっきゃないだろ。フレデリックには『幻獣療法に行ってくる』って伝えてくれたらいい。」
サイファーはそういうと部屋を出て獣舎へ向かった。
『身体はもう大丈夫なのか?竜の医者。』
宿舎を出て獣舎へ向かっているとトラストが茂みから現れた。口にはウサギを加えている。
「まだふらふらするけど大丈夫。これから獣舎へ向かうんだ。」
『奇遇だな、俺もだ。』
サイファーとトラストは並んで歩き出した。
「にしても君がウサギなんて珍しいね。鹿はどうしたんだい?」
『あぁ、これは幼獣のグリフォンにやるんだ。二歳といえどまだ子供だからな。』
「馬は?」
『俺一人じゃ狩れないからしばらくはウサギと鹿で我慢してくれって頼んださ。』
お陰で俺の獲物が減った。とトラストは愚痴をこぼした。
獣舎は相変わらず刑務所みたいだったが以前まで閉められていた入り口が撤去され幾分か明るくなったように思えた。
≪来たか。命の恩人よ。≫
またあの声が頭に響いた。夢の中で聞いた、トラストではない何物かの声。
≪我は檻の奥に居る。入れ。危害は加えぬよ。≫
サイファーは恐る恐る格子の間から檻の中に入り込んだ。
『俺も行こう。』
「ありがとう。心強い。」
周りのグリフォン達はこちらを警戒するようなまなざしで見ている。
檻の奥でうずくまっていたのは漆黒のグリフォンだった。
後ろ足と翼が固定されている。
グリフォンはまっすぐにこちらを見つめていた。
サイファーを見つめる緑色の瞳を彼はどこかで見たことあるような気がした。
≪わざわざありがとう。どうしても礼が言いたくてな。初めましてではないだろう?サイファー。≫
「え、俺の名前をなんで……?」
グリフォンは懐かしそうに目を細めて言った。
≪覚えていないのも当然かな。君はとても幼かった。いつもアルフレッドの後ろをついて回っていた。君は我を怖がって傍にすら寄ってくれなかった。≫
「あ!あの野生の……。」
サイファーは声を上げた。思い出した。漆黒のグリフォンは父親の旧友だった。全身が黒いグリフォンは世界で只一人、彼だけだ。
≪思い出してくれたか。旧友の稚児よ。こうして会えるとは嬉しきことかな。我の名はメシス。有翼の女神、メネシスの傍に在るものにしてグリフォンの王である。サイファー。この度はありがとう。≫
「メシス……。俺は当たり前の事をしただけだ。竜医として、獣を愛する者として俺はやることをやっただけ。」
サイファーの言葉に、メシスは喉を鳴らした。
≪それでこそ英雄、アルフレッドの息子よの。≫
「父さんほどではないさ。メシス。傷の具合はどうだい?」
サイファーは固定された翼を触りながら尋ねた。擦り傷となっていた所はすっかり治っている。
≪翼は後二日もしたら治る。脚も同様。十年もここに居るものだから身体が固くなってしまってな。傷が治ったら外に出たい。≫
「うん、自然治癒能力の高さには敬服するよ、メシス。この調子なら大丈夫そうだね。他のグリフォンも見てくるよ。」
そう言うとサイファーはメシスの元を離れた。
≪……どうした黒狼。≫
サイファーが他のグリフォンの元へ行くのを見届けて、メシスはトラストを見た。
『これが今日の分だ。』
トラストはそう言ってメシスの目の前にウサギを落とした。
≪いつもすまぬ。……傷が治ったら一緒に野を駆けまわろうではないか。≫
『生憎、俺は翼がないものでね。……回復したら村を出るのか?』
トラストの言葉にメシスはしばらく考え込んだ。
≪否。大事な旧友の息子を放って逃げでもしたら酷く怒られるのでな。……近いんだろう?≫
『さすが王様は察しが早い。』
≪民を守るのが王の役目だろう?≫
メシスはほくそ笑んだ。
『今回のは荒れる筈だ。十年前とは比にならない。』
≪構わぬ。我がグリフォンは英雄の息子が息絶えるまで闘おう。たとえそれが……≫
種族一つを滅ぼす戦になろうとも。