第五部 1
何だろう、何かおかしい。最近、私は、妙な『違和感』に気付きだした。何に違和感を感じているのか分からないけど、とにかく、何か不思議な、奇妙な感覚が、頭と体に宿り始めている。ここ、最近のことだ。
昨日、私は、何ヶ月ぶりかに一人で宇治橋に散歩をしに行った。暖かくなった京都の昼間。ぼんやりと宇治橋を歩いた。
JR宇治駅の方から、橋を渡り切って、そのまま、京阪宇治駅近くの、さわらびの道に進んだ。さわらびの道は、隠れた小道で、道の両脇に立つ、延々と続く木々には、新緑が見事に茂っている。映える碧だ。葉は光沢を持って、日の光を鮮やかに反射させている。生き生きと茂る、木々が創りだす木漏れ日に、私は魅せられて、しばらくそこに立ち止まって、ペットボトルのお茶を飲んだ。
目をつぶって耳をすませば、近くの川の流れる音や、鳥のさえずりや、虫の羽音もきこえてくる。これだけ、五感がすっきりしているのは、どれだけぶりかなぁ、と思った。気持ちは、さらさらと、穏やかな感覚を持つ。久しぶりの感情だった。
香に今度、報告しよう。そう思って、香を思ったとき、ひやりとまた、あの「違和感」が襲ってきた。何だ? 私は、とっさに目を開けて、胸をさすりながら、私自身に疑惑を持った。
今日、お母さんに電話をかけた。色々、ばたばたしていて、お母さんとは、なかなか話す機会が持てなかったから。見多氏のことは、もう話題には出てこない。お母さんは、昔の話題を掘り返すことは、あまりしないから、ありがたい。大学の話や、お母さんの習い事の話や、お互いの近況報告を、笑いながら話した。お母さんは、終盤になると、いつも私の健康をきく。今日もやっぱり、きいてきた。
「体はどうなの? ちゃんとご飯食べなさいよ」
「大丈夫、ちゃんと食べてるよ」私は答えた。「ほんと、最近、食べる量も増えてきたみたい」前までは、食べてなくても、一応、「ちゃんと食べてるよ」と答えていたけど、今日の返事に、ごまかしはなかった。最近、やっとまともに、食事がとれるようになってきた。
「明日、久しぶりに、一緒にご飯食べない?」お母さんが言った。
「明日? ごめん。明日は新歓コンパに行かないといけなくなったから、駄目だわ」私は残念だけど、断った。
「シンカンコンパ?」
「ああ、新入生歓迎コンパ。飲み会よ」
「変な略語使うのねぇ。かっこ悪いわよ」お母さんが少し、呆れ声で言った。そうか? 言われて、そんな気もしてきた。
「とにかく、ごめんね。幹事になって、絶対出席なん、今回」
「そう、いいんじゃない」お母さんが嬉しそうな声で言った。
「そう、かな」私は、何となく、申し訳なく思った。
じゃあまた、今度。と電話を切ろうとする前に、お母さんが、私を呼んだ。
「敬」
「何?」
「あんたは、お父さん似よ。優しいんだから」
「何?」いきなりで、よく分からない。
「元気でいいのよ。楽しくなって、いいのよ」お母さんが、優しく言う。
「うん……? まあコンパだし。場がしらけない程度には、もちろんするよ」
「ええ、じゃあまたね」お母さんは、電話を切った。少し、妙な余韻を残しながら、私は受話器を置いた。お母さんの言うことは、よく分からない。