第2話「出来の悪い姉」
出来の悪い姉を持つと、妹は大変なんだよ。
『お父さん!祈里が、また…!』
『すぐ病院に連れて行こう。神楽は、すまない。家で待っててくれ』
いつも、いつもさ、お父さんとお母さんはお姉ちゃんのことばっかり。
虚弱な体質に生まれたばっかりに、すぐ倒れるから。入院したら何ヶ月も帰ってこないし、いい迷惑。おかげで、我が家は常にバタバタと忙しない。
誰もいない家でさ、ひとりで待ってるわたしの気持ち、考えたことある?
『ごめんね、神楽……いつもいつも。さびしい思いさせて』
分かってるならさ、早く帰ってきてよ。
ずっと、ずっとずっと元気でいてよ。
やつれた笑顔なんて、もう見飽きたから。健康的で、曇りひとつない表情を見せてよ。
『神楽は、優しい子だね』
そっくりそのまま返してやりたいことばかり、憎らしい姉は平然と言ってのける。
わたしが優しい良い子なら、あなたは慈悲深い女神様だって。埋められないくらいの差があるっていうのに、なんで自覚しないかな。
神様は、不公平だと思う。
どうして、良い人ばかりを天国に近付けるんだろう。
幼い頃から、疑問だった。
お外を走り回って、時には友達と喧嘩して怒鳴ったり叩いたりもしちゃう、宿題だって忘れる悪い子なわたしはこんなにも元気なのに、優等生で誰も傷付けない姉ばかりが体を壊す。
学校に行けなくてせいせいするどころか、病院の室内でコツコツとノートにペンを走らせて教科書とにらめっこする姉は……わたしの視線に気付くと穏やかな眼差しを向けてくれる彼女は、誰よりも素敵な人だというのに。
才能に恵まれず、不幸になるのはわたしじゃない。
人格に運の全てを使い果たしてしまったんじゃないかと疑ってしまうほど、報われたところを見たことがなかった。
『あら……また失敗しちゃった』
『もうさー、あきらめれば?』
『やーだ。ちゃんとね、できるまでやりたいの』
けれども姉は、最後まで諦めることなく努力を続けた。
『人間、いつ死ぬかなんて分からないからさ。後悔したくないの』
常に死と隣合わせ。
寿命を悟っているからこそ出てくるような言葉に、無性に腹が立った。何事も諦めないくせに、生きることだけは諦めてるみたいで。
『バカじゃないの』
耐えきれず、悪態をついた。
すると不思議なことに、退院の見込みがないとされていた体調が翌朝にはすっかり良くなって、あれよあれよと家に帰ってきてくれた。
幸も不幸も、その数は平等に与えられていると言う。
なんかの本で読んだ。
法則に当てはまっている気がして、実験的に姉を罵ってみたり、ちょっとだけ嫌なことをしてみるようになった。
幼いなりの必死の抵抗で、幼いが故の未熟さが生んだ残酷な方法は、意外にも成功を遂げた。
『なんかね、最近……すごく、調子が良くて』
『そうなんだ』
『学校にね、行けるかもしれないの』
みるみる顔色が良くなっていった姉はある日、嬉しそうに話した。
あぁ、そうか。
わたしが、姉にとっての不幸になればいいんだ。
理不尽な理を知ってからは、率先して“悪”を努めた。
光があるから影があり、闇があるから光が際立つ。わたしと姉は対になるべくして生まれた存在なのだと、信じてやまなかったんだ。
決して、交わることのない関係でもあると。
自覚した時は、しんどかった。
「……祈里姉はさ」
「うん」
「ひどいこと言われて、嫌じゃないの」
自ら選択したくせに、怖気づいた時もある。
「嫌じゃないよ」
「なんで」
「だって、神楽は大事な大事な……たったひとりの妹だもん」
わたしの不安感を見抜いていたみたいに、尊い女神が微笑んだ。
嬉しいはずなのに、胸は苦しかった。喉が、目頭が焼ける痛みに襲われて、フイと顔を逸らした。
涙の予感さえも見破られていたのか、そっと頭を撫でられた。
温かく、柔らかな手のひらの感触は、内側に秘めていた想いを引きずり出すには充分すぎるほどの引力を持っていた。
おねえちゃんは、長生きするだろうな。
だって、特大の不幸を今、呼び寄せてしまったんだから。
長生きしてもらわないと、困る。
「ふふ…」
「なに笑ってんの。きも」
「かわいいなぁって」
随分と、屈託のない明るい笑顔を見せてくれるようになった姉は、知らない。
彼女にとって……そして、わたしにとっての最大の不幸は、
「ほんと、神楽が妹でお姉ちゃん幸せ」
実の姉を、ひとりの女性として好きになってしまったことだ。