第三話「おまじないとキスマーク」
「……おい、あれ見ろよ」
「はは。あいつ、また転んでら」
「妹とは大違いだな」
笑われてもいい。
転んだって、怪我をしたって、地面を蹴って走れる喜びの方が勝っていた。
お勧めはされなかった陸上部。入って三年になるというのに、タイムは伸びる気配もなく横ばい。大会だって一度も出させてもらったことはない。
全員が全員、口を揃えて言う。
「もう諦めたら?」
自分でも、思う。
惨めだよね。滑稽だよね。恥ずかしいよね。
「……いんじゃない、別に。続けたいなら、続ければ」
だけど落ち込むたび、なんの気なしに背中を押してくれる妹のおかげで、愚かにもやめずに続けられている。
それに、学校でどれだけバカにされても、
「あのさー……怪我、多すぎ。ほんとバカ」
「あ、はは。ごめん…」
「謝るならさ、一日くらい怪我のない日作ってよ。毎日手当てするわたしの身にもなって」
「ごめんなさい……後は自分でするよ?っ…い、たた」
家に帰れば愛のある罵倒を受けながらも、丁寧な応急処置が施されるから安心。何も怖くない。
嫌々やるのに、私が自分でやろうとすると手をつねったり、わざと傷口を強めに拭いて痛くしてくる読めない行動には戸惑うけど、それよりも感謝の方が強くて最後にはお礼する。
「ありがと、神楽」
「……祈里姉の安い感謝なんかじゃ、足りないんだけど」
「うぅ……そっか。じゃあ、どうしたら足りる?」
ベッドの下、手当てのため足の間にしゃがみこんで入っていた妹は、私の問いに瞳を鋭く光らせた。
「んー……そうだなぁ」
呑気に考えている素振りを見せて、実際には既に浮かんでいるであろう決まりきった答えを言うだけなのに、どうしてかもったいぶる。ほんとわかりやすい子。
時折、妹は豹変する。
やたら意地悪になるというか、普段の悪態とはまた違った邪悪さを目の奥に宿らせて、今日は膝の下にするりと手を入れてきた。
足を左右に開かされたせいで上がったスカートの裾を、ぎゅっと掴んで見えそうになった内側を隠す。
「な……なーに。神楽」
「んー?……また、怪我してこないようにって、思ってさ。おまじないするから動かないで」
「だからって、その……お姉ちゃん、パンツ見えちゃう」
「あと、足りない分、貰うから」
「え…?」
傷口を裂けた肌の上、内ももの辺りに柔らかな皮膚の薄さが当てられた。
「か、神楽……?」
たまに、妹のことが怖くなる。
平気な顔で、さも当たり前みたいに私の体へ触れてくるから。際どいところまで触るから。
「く……くすぐ、ったいよ…」
「我慢して」
「がまんって、言われたって……っん。まって」
「うるさい」
止めようとした手は、いとも容易く掴まれてしまった。
強引で身勝手なわりに優しく吸いついて、チラリと覗く赤い舌が肌色を這っていく様を、私より力の強い妹の前では何も抵抗できず見守るしかない。
やめて、ほしいな。
反射的に膝をくっつけて閉じたくなるくらいのソワソワが下半身から脳の方へ上がってくるのが、過剰なまでに心臓を波打たせて震えさせるから苦しくなっちゃう。
捕まっていない方の手で、胸元をグッと押さえる。下唇を噛む。
「ぁ……神楽」
顔がだんだんとスカートの中へ近付いてくるから、腰を引いて背中を丸めて無意識のうちに逃げようと動いていた。
それも、自分より小さな手にしっかりと抱き寄せられて無意味に終わる。
いつの間にか指の隙間にまで入り込んで、少しだって離れないよう握られた手が、じんわりと汗を持つ。
「かぐら、ちゃん……やだ」
幸い、自分の中でくすぐったさから何かへ変わる前に、浅い痛みを伴って、もうほとんど下着の布すれすれの位置にあった妹の口元が離れた。
「……怪我してきたら、明日もやるから」
そこで、彼女なりの心配と抑止のためだったんだと悟る。
だとしてもやりすぎな気はするけど、それも何か意味があっての行動かもとモヤモヤする心を納得させた。
私はバカだから、頭のいい妹の考えてることが分からない。
「あ……跡になってる…」
けど、お風呂の中で見つけた赤い点の意味は分かる。
恋人同士で付け合うはずの代物を、どうして残されたのかまでは、考えても正当な理由なんて思いつきもしない。
ただ、おまじないの効果はあったらしい。
翌日からしばらく、転ぶことはなくなった。




