第二話 力の音叉-May I Murder You?-・1
その二人の少年少女がシャハシュピールにやってきて、最初しばらくは二人で店内をうろうろしていたが、そのうちそれぞれに分かれそれぞれに店内を巡回し、やがて少女がアンデルセン童話集を一冊手に取り秀明のいるレジへとやってきたタイミングで少年もこちらへやってきた。料金の支払いを終え、そして二人で店を出て行った。この時点での秀明と二人の出会いはここまでだった。
今、秀明がプー横丁に立った家を読みながら店番をしている中、母屋の居間では冴と龍介が経理の事務作業中だった。秀隆のほぼ道楽としての古本屋ではあったが、金銭のやり取りがある以上は税務署に申告しなければならない。もちろんそういった細かい作業は秀隆がやってはくれるのだが、冴は冴で「これも社会勉強だから」と積極的に事務を行なっている。数字の計算がちょっと苦手な龍介だったが、冴の教え方の上手さもあり日に日に上達していっている。この点、不器用な秀明は何かとミスが多かったから秀明としてはありがたいことだった。
龍介がシャハシュピールにやってきてそろそろ一ヶ月が経とうとしているが、冴もそろそろ本格的に実家に戻らねばならない。母親の予後は良好ということだがとにかく父のために家事をこなさなければならないのだ。龍介に店の色々なことを充分教えられたと判断もできてきたし、様子見にやってくる週末以外は基本的に冴はもうシャハシュピールにはいない。今後はそのスタイルで定着するはずだった。
そのまま読書しながら秀明は居間の様子を時たま伺いながら店番をする。結局、その後はさっきの二人以外の客は来なかった。
翌日の土曜日。ショッピングモールのレコードショップに、いつもの四人はやってきていた。七瀬がファンであるバンドの新譜が発売されたそうで、七瀬としては龍介とのちょっとしたデートの予定だったが気がついたら秀明と冴が来てしまっており無下にするわけにもいかず四人でショッピングモール巡りをすることになった。七瀬としてはちょっと面白くない気持ちもあるが、しかし冴に対して含むところがあるはずもないのでそれなりに楽しい土曜の休日を過ごしていた。
このデジタル主流の時代で七瀬はCD派だった。故に七瀬は新譜の発売日はいつもこのショッピングモールのレコードショップにやってきている。
音楽には疎い秀明だが、普段行くことのない店にそこそこ好奇心が刺激されていた。音楽鑑賞は別に趣味ではない秀明が今日この店で何らかのアイテムを手に入れることはない。なんとなく店内をうろうろしていると、そこに、昨日やってきた少年を発見した。
だからと言って自分はただの店員であり、向こうはただの客だ。挨拶をする仲ではないし、積極的に声をかけるのは不自然だしそもそも用がない。冴が一緒にいるため心を読むこともできないし、秀明は気を取り直して楽譜コーナーを眺める。すると、少年がちらりと秀明に目をやり、あ、と、声を上げた。
おそらくはノイズキャンセリングのイヤホンをかけているというのになぜ自分に気がついたのか秀明にはよくわからなかったが、しかし、であるからには秀明も無視するわけにはいかない。
「こんにちは」
ただ少年としてはちょっと秀明のことが思い出せない。足早だった、と、秀明は思う。
「あの、昨日の」
「——あ」
そこで少年は頭を下げた。
「こんにちは。昨日はどうも」
「どうもです。今日は一人ですか」
「今日はっていうか」
心が読めずとも少年がどこかウキウキしているのは秀明にも充分伝わった。
「待ち合わせで」
「昨日の子?」
「はい」
「昨日はお買い上げありがとうございました」
「いえ、買ったのは関屋さん、いや、昨日の子ですし」
「一緒に来ていましたし、なんとなく」
少年はやや照れ始めた。しどろもどろになっているとも言える。さっきからボソボソと喋っているが、緊張しているのだろうと秀明は判断した。
「高校生ですか?」
緊張を紛らわせてあげようと思い質問をしてみるが、また足早だったなと思った。別に関係性を築く必要はないはずだったのだが、と、思った。
少年は頷く。
「はい」
「俺は二年生で」
「え」と少年は目を剥いた。「あ、じゃ、タメだ」
「え」
秀明も目を剥く。てっきり年下だと思ったのだ。
「年上かと思った」と、少年。「大人っぽい」
「老け顔なんだよね」
と、そこで秀明は砕けた言葉遣いに変更した。
「そんなことないよ」
少年も同調する。
さっきからこの少年と会話が弾んでいる、というより、いつの間にか会話が展開されているのは何故だろうと秀明の頭にちょっと疑問符が浮かぶ。少年の心を読んでみたいと思ったが、しかし冴の前で能力を発動させるわけにはいかない。
「昨日の本、僕も読んだよ」
「アンデルセン童話だったね」
「うん。ちゃんと読むの初めてだったから、なかなか興味深かったよ」
「好みの話はあった?」
と問いかけると、少年は、そうだな、と、顎に指をやり、やがて答えた。
「エンドウ豆の上に寝たお姫さま、っていうやつ」
「ああ、あれね」
「僕、すごい感覚過敏で。なんとなく、共感したっていうか」
「感覚過敏」
「うん」
さっきから少年はボソボソと喋り続けている。その割には会話が途切れないのが秀明にはちょっと不思議だった。
受動型のASD(自閉スペクトラム)か何かなのだろうかと秀明はちょっと推測してみる。精神医学講座など受けたことのない秀明だが、これまで心を読み取ってきたASDの人々と少年は全体的にムードが似ていると秀明は感じた。故にこうしてただ昨日訪れた本屋の店員に過ぎない自分との会話に応じているのかもしれない、と、なんとなく思う。
「秀明」
と、そこに冴がやってきた。
「やあ冴」
「七瀬、もういいって」
「そうかい。じゃ、行こうか。じゃあ少年よ、さようなら」
「あ」
ちょっと名残惜しそうに見えたのは自分の勘違いだろうかと秀明は思ったが、やがて少年は、さよなら、と、と言って、再びイヤホンをかけて「関屋さん」という昨日の少女を待つことに決めた。
やがて秀明たち四人は、レコードショップを出ていく。




