朝
かなり久しぶりになってしまいました。
待っている方がいらっしゃれば嬉しいです!
楽しげな鳥の鳴き声に促される様にヤイトの目がゆっくりと開いていく。
数度、眩しさに耐えきれず瞬いた後昨日までの事を思いだし、ヤイトは思わず硬く目を閉じた。
ヤイトは心の中で、昨日の出来事が夢であるようにと強く願う。
だが、辺りに響く鳥の声も体に触れる柔らかな風や布も全てが今までの物とは違う。
あらゆるものが昨日の事が夢ではないと、ヤイトに訴える。
何時も自分を起こしてくれた父の声も朝食を作る母と甘える妹の声も聞こえない。
それ故に昨日までの自分の世界が壊れ、孤独になった事実がヤイトを打ちのめす。
堪えきれずに閉じた瞳から涙が零れ落ちる。
「ヤイト」
優しい声がヤイトの名を呼び、温かい指が涙を拭う。
その声と温かさに促されるようにヤイトは、そろそろと目を開く。
「ヤイト、朝御飯出来たんだけど、まだ寝とく?」
涙の事には触れずにいてくれるセリナの優しさが、ヤイトには嬉しかった。
ヤイトは更に泣きそうになりながら、首を振る。
「大丈夫、起きるよ。」
寝起き以外の理由で掠れた声にセリナは何も口にしない。
ポンポンと、軽く毛布の上から叩くと、セリナが離れていく音がした。
セリナの声と温もりが、ヤイトに一人っきりではないと教えてくれる。
込み上げる熱い何かを必死に呑み込むと、ヤイトは起き上がった。
「顔を洗ってらっしゃい、ヤイト。私も一緒に行くから。すっきりするわよ」
セリナの声にヤイトは、ゆっくりと頷く。
焚き火に向かおうとしていた足を、すぐ近くの川に向ける。
ヤイトの後ろでセリナが付いていこうと立ち上がろうとする。
それをラギがセリナの肩に手を掛け、押し留める。
「いいよ、セリナ。僕が行くから。セリナは、朝食の準備をしてて」
「けど」
セリナはラギの人に対する憎しみを知っているから、ヤイトと二人きりにすることに躊躇いを覚える。
セリナの懸念に気付いたラギが宥めるように笑い、耳元で囁く。
「大丈夫だよ、セリナ。あの子を殺したりはしないよ。あの子がセリナを傷つけない限りね」
(あいつが、セリナを傷つけても、簡単に殺しはしないさ。散々苦しんでもらわなきゃ、罪は償えないんだからね)
「ごめんね。セリナには朝食の準備があるから、僕が一緒に行くよ」
先の方で待っていたヤイトにそう言ってラギはにっこりと笑う。
最初の言葉以外黙々と歩くラギに、ヤイトは気詰まりを覚える。
ヤイトとしては、出来ることならラギと仲良くしたかった。
自分を助けてくれた人達であるから、当然好意はある。
それを抜きにしても、同い年の少年であるから打ち解けたいという思いも大きい。
だから、チラチラとラギの様子を伺い、何度か声を掛けようとはする。
だが、ヤイトの視線を感じても一切反応しないラギの様子に口ごもってしまう。
気詰まりに急かされるように、ヤイトは速足になって行く。
ようやく、川が見えると知らずに安堵のため息をついていた。
川で顔を洗い、戻ろうとしたヤイトにラギが口を開く。
「ねぇ、君は竜を恨んでる?」
ラギの質問が唐突過ぎて、ヤイトが質問の意味に気付くのにいくばくかの時間を必要とした。
ラギの質問を理解すると、ヤイトは反射的に答えていた。
「当たり前です。竜さえ来なければ、皆はまだ生きてたんだから」
反射的に口にした答えに、ヤイトは己の抱く恨みに気付かされた。
同時に、復讐が無意味である事もヤイトには分かっていた。
あの時、竜と対峙したヤイトだから竜の恐ろしさは十分に知っていた。
あれは人が勝てるものではない、とヤイトの本能が告げるのだから。
自分が助かったのは、正に奇跡と言える事も分かっていた。
だから、ヤイトを拭いがたい無力感と敗北感が襲う。
何も出来ない自分が、情けなくて。
それに、ヤイトは怖いのだ。
自分がもう一度、竜の前に立つ事を考えると、自然と体が震え出す。
家族の仇を討ちたいという思いよりも、なおヤイトに根付いた竜への怖れは大きく深い。
あの、自然の脅威が形を取った竜が、絶対者として君臨する竜が。
(・・・こ・わい。怖い、怖い・・・誰か、助けて)
竜への恨みを口にしながら、その脅威に顔面蒼白になり震えるヤイトをラギは冷ややかな目で見る。
ヤイトの反応は、ラギの予想通りだった。
わざわざセリナから離れた場所で聞いたのは、セリナを傷付けたくなかったからに過ぎない。
そう、ラギはヤイトを手に掛ける気などなかった。
そうする価値すら見い出せないからだ。
ラギにして見れば、ヤイトなどどうでもいい存在だ。
実際、ヤイトが今ここで死んでもラギは眉一つ動かさない。
最も、セリナが悲しむから、渋々とが助けるだろうが。
ラギが最優先するのは、大切にするのはセリナのみなのだから。
ラギの判断基準は、ひどく分かりやすい。
セリナが傷付くか否か。
それだけなのだから。
セリナが傷付くと分かれば、ラギは即座に原因の排除にかかる。
セリナが、目の前で止めない限りは。
今のところ、良くも悪くもヤイトは想定の範囲内の反応しかしない。
それは、セリナを傷付けるものではないから、ラギは歯牙にもかけていない。
もし、ほんの少しでもヤイトがセリナを傷付けるのなら、ラギは躊躇いもなく排除するだろうが。
「もういいよね。もう一回、顔でも洗ったら?そんな顔で帰ったら、セリナが心配するから」
ラギの冷たい、どこまでもセリナ至上の声が未だ涙を流し続けるヤイトの耳を打つ。
未だ恐怖に震えていたヤイトは、のろのろとラギの言葉に、顔を洗い始める。
その身を蝕む恐怖が大き過ぎて、ヤイトは何も考えられなかった。
だから、冷たいラギの声にも何の反応も示さず機械的に従ったに過ぎない。
ふん、と小さく鼻を鳴らすとラギはより一層冷たい視線をヤイトに向ける。
慰める気など一切ないラギは、ヤイトの涙が止まったのを確認するとさっさと歩きだした。
ヤイトも覚束ない足取りで、ラギに従う。
「言っとくけど、セリナの前でそんな顔するのは、止めてね。セリナが心配するから。君はお荷物なんだから、心配なんて掛けないでね」
あと少しでセリナの所に辿り着く。
そんな場所で、ラギは急に立ち止まる。
そして、ヤイトの顔を冷ややかに見ながら、本心を告げる。
それにびくりとヤイトは体を震わせた。
苛む恐怖こそ人が犯した罪が作りしもの。