最終話 かくして、ふたりは末永く
「……いやしかし、師匠、よくもまあ『自由だ』だの『やりたいように』だの言えましたね?」
というのが、ジルからほぼすべてを聞いてのヒースの感想だった。
「僕が口説かれるのを見て食器は壊すわ? 子どもを連れてくるなんていうあり得ない未来予想に動揺して机を燃やすわ?」
ヒースが大変衝撃を受けた部屋の有り様の、それ以上に衝撃の真実だった。なんだ燃やしたって。申し訳なさそうに「君の好みそうなものを新たに設えたつもりなのですが」と言ったエセルヴォルドがなんだか可愛らしかったので許したし、食器は新たに買いに行く予定を立てたからいいけれど、普通に家が燃える前に全部片付いて良かったなと思う。
そうしてヒースは、続けて、手の中の杖をくるんと回した。
「挙げ句、この石は、『竜玉』とかいう、竜種が生まれるときに共に発生する石で? 竜種にとっては命と同じぐらい大事なもので? しかもほぼ自分自身みたいなものだから、その石を通してあたりを見ることも出来ると?」
手紙で状況を聞いてこないはずだ、全部直で見ていたというのだから。若干、というか、かなり恐ろしい事実だが。なんらかの法に触れないのか? 竜を裁く法がないかもしれないな。思いながらヒースは続ける。
「だから『竜玉』は、竜種の間では、婚姻の際に贈り合うものとされている……まあ、これは、リアム経由で、魔王が教えてくれたんですけど」
竜種そのものは現状エセルヴォルドとアズロぐらいしかいないらしいのだが(そもそも竜種がどういう生き物なのかもよくわからないのだが)、竜種をルーツに持つとされる魔族は多数存在する。その中には『竜玉』を持つものもいる。だからこそ、ヴェドニカで会った宰相は、ヒースの杖の石が途方もない力を持つ竜種の『竜玉』であると気づいて、あの反応になったというわけなのだ。知らないうちに牽制されていた。ヒースは「まったく」とため息を吐く。
「それで、『結婚してもいい』だなんて。よくもまあ言えたものですねえ」
エセルヴォルドのヒースへの愛情は、ヒースが自覚していたよりずっと深く重いものだった──というのが、家出を経てのヒースの実感である。なら、はじめからあんな痩せ我慢をしなければいいのに。けれども、ヒースの言葉に、エセルヴォルドは不思議そうに首を傾けた。
「……したくないと言ったのは君の方では?」
「はい? いや、師匠が言ったんですよ。そろそろだとか、……」
言いながら、あの日の会話を思い出す。ヒースが家出するきっかけになった、もう何十回と脳内で反芻した会話だ。『そろそろ、結婚を考えても……嫁をとって独り立ちしてもいい頃なのでは』と言った村長に、エセルヴォルドは『そうですね』と言った。『考えてもいい年齢です』と。そして……
「……待って下さい」
ヒースは片手で頭を抱えた。
「……、……もしかして、師匠、僕の嫁取りや独り立ちについて、直接言及してませんね? 『君がしたければ』とは言ってますが」
そう、エセルヴォルドはずっと、『君がそうしたければ』とばかり言っていた。なにより、最初の会話だ。『結婚を考えても(中略)いい頃なのでは』。『そうですね』?
「師匠、あのとき、『そろそろ』だの、成人年齢だのって言ってたのって、もしかして」
そういえば、リゼも、この話をしたときに、なにか言いたげにしていた気がする。リアムと魔王との決着がついて、話しそのものが流れてしまったが。もしかしてこれを言いたかったのか? 思いながら、ヒースは尋ねる。
「もしかして、……あなたと僕との話をしてました?」
エセルヴォルドは不思議そうだった。
「他に、何があるんです」
「うわあ……」
まさかのプロポーズの前振りだったのか。理解の難易度が高すぎる。というか。
「待って下さい。そもそも、いつから? この杖をくれたのは僕が十五のときですよね。そのときから? ずっと僕をお嫁さんにしたかったんですか?」
「……『お嫁さん』という表現が正しいかはわかりませんが、まあ、そうですね」
「うわあ」
感嘆とドン引きの間ぐらいの声が出た。
「……いや、それでなんで……ええ……? 僕わりとわかりやすくアピールしてましたよね? 後ろから抱きついたり、膝に乗ったり」
いやまあ、膝には今でも乗っている。性的アピールとしての効果がなさすぎて、すっかり定位置になってしまったのだ(この状態で話しているのをリアムに見られたときは、「お前それで『師匠は僕のことどうでもいい』とか言ってたのか?」と愕然とされた。、ちなみにヒースは結局王立魔法学院に客員というかたちで所属し、北の霊峰と学院とを往復しながら研究を続けることになっている)。エセルヴォルドは「それは」と軽く笑った。
……笑った?
「可愛いなと思っていました。ですが、子どもに手を出さない常識ぐらいは、竜にもあります」
言いながら髪に口付けられて、ヒースはうっかり「ひゃっ!?」と飛び上がった。膝の上に乗るのはいつものことだが、エセルヴォルドの側からこうした接触をされるのははじめてだったのだ。赤くなった己が恥ずかしくなって、ヒースは尋ねる。
「そ、そうですか。……というか、そもそも、竜には性欲あるんですか?」
「ありますよ」
エセルヴォルドはあっさりと頷いた。
「君は誤解していたようですが、竜は、人よりもよほど執念……」
執念って言いかけた、というか言ったな普通に。
「……愛情深い生き物ですから。愛するものと同じ姿を取り、同じように愛するんです」
エセルヴォルドは何事もなかったかのように言い直し、ヒースは聞かなかったことにして頷いた。それに、『愛情深い』というのには、納得する点も多かった。
島に流れ着いた人間を庇護するために、島そのものを作り変えた。エセルヴォルドがやったのはそういうことだ。まさしく、『愛情深』くなければ為せない芸当だろう。ヒースは頷いた。
「じゃあ僕は、師匠が、エルセリニアの人々を愛していたことに、感謝しなければいけませんね」
「……というと?」
「だって、そうでなければ、師匠が人間の姿をとることもなかったんでしょうし……、……なんですかその顔は」
エセルヴォルドがまた、きょとんとした顔をしている。今日はそんな顔ばかり見ている。ヒースの問いに、エセルヴォルドはさらりと答えた。
「いえ。私がこの姿をとったのは、赤子の君がアズロを殺そうとしていたのを見て君を止め、君を育てると決めたときなので……」
「……は?」
なんだこの情報量の多い一文は。アズロに対しても確かに同じようなことを言っていた気がするけれど、赤子の僕、ほんとうに竜を殺しかけたのか? 怖すぎだろ。
というかそれは。
「君を抱き上げたとき、勝手に、体が君に相応しい姿になった。だから私は、君を守り、君を愛する。そういうふうにできているんです」
「……僕を見殺しにしようとしたくせに?」
「自分以外のものと人との契約には、口を出さないことに決めていました。それに君は、君の意志で決めたと言った。あの頃の私は、それを尊重することだけが、君を大切にすることなのだと思っていました。……無論、今は、それが誤りだったとわかっていますし」
エセルヴォルドの長い指が、ヒースの頬をそっと撫でる。
「……あのままアズロがあなたを食べようとしていたら、私がアズロを殺していたでしょう」
「でしょうねえ」
部屋の顛末を聞いた今となっては、そうでしょうねとしか言いようがない。アズロのついでに岬のひとつぐらいは犠牲になったかもしれない。
「なら、あの魔王の乱入にも、意味があったってことですね。……それで、師匠」
ヒースは、エセルヴォルドの膝に跨り、向かい合うような形で座り直した。エセルヴォルドの顔を見下ろし、その固い頬を両手で包む。
「僕は成人で、あなたのことが好きで、こうして膝に乗ったりしているわけなんですけど」
難しい話はもうおしまいだ。
「そういう恋人相手に『手を出す』常識も、竜には、ちゃんとありますか?」
エセルヴォルドが、目を瞬く。ヒースはどうにか、一生懸命、蠱惑的に見えるように微笑んでみせる。エセルヴォルドが、目を細める。
「……ええ」
その目が。
確かに、ヒースの記憶の中にある、あの山頂の──愛しいものを見る目そのままだったので、ヒースはやっと満足した。そうして、エセルヴォルドの大きな手がヒースの頭の後ろに回り、ヒースはそのまま引き寄せられて──ヒースとエセルヴォルドは、はじめての、これからの永遠に近い人生において、無限に近いほどにすることになる口づけの最初の一回を、漸く、することができたのだった。




