ep.16 発芽
◇◇◇
リビングで眠るアインスを叩き起こし、家事を一通り済ませると、
ルリは時計を気にしながら上着を手に取った。
「もし日が傾いても僕が帰って来なかった時は、洗濯物をよろしくお願いします。……あっ、ちゃんと畳んでからしまってくださいね?」
「分かった分かった」
「ルリ、もう行くの?」
彼女が起きて来る前に出発するつもりが――
眠そうに瞼を擦りながら階段を降りて来たリンに、ドアノブを捻る手が止まった。
「珍しく早起きですね」
「今日は街に手伝いに行く予定があるから……それに、お見送りもしたかったしね」
リンはふにゃりと笑ってアインスの隣に並んだ。
「いってらっしゃい。カズマ様によろしくね」
「ケンカすんなよ?」
「気をつけます。……では」
手を振る2人に笑みを返すと、ルリは上着を羽織って駆け出した。
「ふぁ……俺はもうひと眠り……」
「ねぇ」
「ん? なんだ?」
「……カズマ様の所に行くのに、ルリったらなんだか嬉しそうだったわね」
遠ざかっていくルリの背中を見つめるリンの瞳に、不安の色が差し込む。
「……気のせいだろ」
アインスはぽりぽりと頬を掻いて、そっと扉を閉めた。
街に降りたルリは、
行く手を阻むように広がる人々に気怠げな視線を送りながら、その中を縫うように進んだ。
『ルリ!』
煩わしかったはずの声を思い出すと、足は無意識に動きを速める。
『……ヘデラちゃん?』
『……』
――あの時に見た、彼女の顔が頭から離れない。
(大丈夫)
ふと、自分が心の中で呟いた言葉に、足が止まった。
「……ああ、カズマさんへの手土産は崩れやすいんでした。気をつけないと」
わざわざ口に出して言う必要はあっただろうか。
(馬鹿馬鹿しい……)
ルリは口角を落とすと、再び足を前に踏み出した。
今度はゆっくりと、周りに合わせるように――
◇◇◇
「カズマさん、ヘデラちゃん、様子を見に来ましたよー!」
ルリは明るく声を張りながら、ズカズカと無遠慮にカズマの家に上がり込んだ。
――返事はない。
カズマはともかく、ヘデラの声も聞こえてこない。
不思議に思いながら部屋を見回すと、見覚えのない重厚な扉が目に入った。
(力の使い方を教えると言っていたが、わざわざそのために部屋を作ったのか?)
不満を表すように鼻を鳴らし、扉についたハンドルを回して開く。
視界に飛び込んで来たのは、家の外観からは想像もつかないほど広大な空間――
「あははははは‼︎」
「ぎゃはははは‼︎」
聞こえて来た声に、ルリの視線は一瞬で吸い寄せられた。
部屋の中を猛スピードで走り回る車。
そして、それに乗ってはしゃぐヘデラとカズマ。
飛び込んできた光景に、ルリは口端を引き攣らせた。
「よくここまで動かせるな!」
「ふふーん!」
「次はバイク乗ろうぜ!」
「よろしくってよ! 振り落とされないようにしっかり掴まってらして〜!」
ヘデラがバイクを作り出して跨ると、カズマは後ろに腰を下ろして彼女の肩を掴んだ。
カズマを嫌がる様子も、自分に気付く様子もないヘデラに、ルリは呆気に取られて固まっていたが、
「行きますわよ〜!」
バイクのエンジン音に紛れて聞こえてきた声にハッとすると、咄嗟にカズマの頭を掴んだ。
「ぎゃっ‼︎ 何しやがんだテメェ‼︎」
「……随分と仲良くなったんですね」
「ルリ!」
「おい待て‼︎ 急に降りるんじゃ――」
ヘデラがルリに飛び付くと、
バイクはカズマを乗せたまま、大きな音を立てて倒れ込む。
床に転がったカズマを見下ろし、ルリは少しだけ口元を緩ませた。
「様子を見に来ました」
「必要ねぇって言っただろうが!」
「ルリに向かってなんて口聞くのよ猿‼︎」
「んだとテメェ‼︎」
「……」
子供のように叩き合う2人を見て、ルリは前髪に隠れた眉を僅かに寄せた。
ヘデラはカズマを嫌悪していたはずだ。
それなのに、
今の彼女は悪態をつきながらも、その顔には以前ほど嫌悪の色が見られない。
「……何をしていたんです?」
ルリは探るように辺りに視線を這わせた。
広い空間には3人と、横たわったバイクだけ。
先程まで車を走らせていたようだが――
「運転技術を叩き込んでた。こいつ才能があるんだよ」
「はい?」
「車とバイクしか試してないが、少し操作を教えただけですぐ乗りこなしたんだ」
カズマがバイクを起こしてヘデラに視線を投げると、彼女は意図を察してバイクに跨り走り始めた。
バイクはマニュアル式にも関わらず、ヘデラはもたつくことなくギアを変えて加速し、カズマの作り出した障害物を難なく避けてみせる。
楽しそうにバイクを走らせるヘデラを見ながら、ルリは呆れたように溜息を吐いた。
「力の使い方を教えると言っていたのに、なに遊んでるんですか」
「そう見えるか?」
「……運転手なら必要ありませんよ」
カズマの瞳に映る自身の顔は、取り繕うことなく不機嫌そうに歪んでいる。
ルリは顔を背け、誤魔化すように眼鏡のチェーンに指を絡ませた。
「今あいつに必要なのは、戦うための力じゃない。身を守ることのできる力だ」
ルリから視線を逸らさないまま、カズマは言葉を続けた。
「何があっても、生き残るための――」
「神弾はどれだけ作れるようになりました?」
ルリの冷たい声が言葉を遮る。
「どうなんです?」
わざと音を立たせながらチェーンを擦り、
いつものように小馬鹿にしたように笑ってカズマの苛立ちを誘う。
「……物体の生成とは違って、神弾は1発でも体に相当な負荷がかかる」
「どれだけ作れるようになったかと聞いているんですが?」
苛立つカズマの顔を見て、ルリの口角は愉しげに吊り上がった。
しかしそれと同時に、何故か自身の中にも募る苛立ちに、眉間に寄った皺が深くなる。
笑みを絶やさないよう奥歯を食いしばった時、
カズマはふいっと顔を背け、少し間を置いてから答えた。
「……変わらない。3……いや、2発だ。だから今まで通り俺が用意した6発でなんとかしろ」
「ふむ……創造の力の方も鍛えてくださいよ」
「鍛えようがねぇ」
「残念です」
惜しそうに呟くと、ヘデラがバイクを降りて駆け寄って来る姿が目に入った。
好意の滲んだ笑みは変わらないが、瞼が腫れている様子はない。
予想していたよりも平気そうな彼女に、少しだけ口角が下がる。
来るんじゃなかった――そう思いながら、ルリは抱き付こうとするヘデラを止めた。
「今日は様子を見に来ただけなので、そろそろ行きます」
「えっ⁉︎」
ヘデラの顔がくしゃりと歪む。
喜びに輝いていた瞳が涙で揺れると、ルリは意地の悪い笑みを浮かべた。
「また4日後に来ますね〜! 特訓頑張ってくださ〜い!」
「やだやだやだ〜‼︎ 嫌ですわ〜‼︎」
ヘデラはその場に転がって泣き始めた。
「ぶっ……あははは! 可愛い!」
大人しくしていれば誰もが見惚れるような美しい女が、顔をくしゃくしゃにしてバタバタと手足を振り回し、みっともなく泣き喚いている――ルリが堪らず吹き出すと、
それを見たヘデラは怒りを爆発させた。
「笑い事じゃなくってよぉぉお‼︎」
「ぶはっ! す、すみません……おかしくって……ククッ……」
「ちょっとぉぉお⁉︎ 毎夜寂しくて枕を濡らす妻が可哀想だとは思いませんのぉぉお⁉︎」
「……毎夜……泣いてるんですか?」
思わず問いかけてしまった。
ヘデラは床をバシバシと叩きながら「当たり前でしょぉ⁉︎」と声を荒げた。
カズマはそんなヘデラに呆れたように笑って、呆然とするルリに声をかけた。
「もうちょっと早くに来れば、瞼パンパンですっげぇブスなこいつが見れただろうに」
「うるさい猿‼︎」
「んだとポンコツ‼︎ もう治してやんねぇぞ‼︎」
ルリはぽりぽりと頬を掻くと、そっとヘデラの顔を覗き込んだ。
「ヘデラちゃん」
「うぅぅうぅ……」
「まだ3日目じゃないですか。それに、カズマさんがいるんだから寂しくないでしょう?」
返事は聞かなくても分かる。
それでも、わざと問いかけた。
「本気で言ってるの⁉︎」
「わっ!」
ヘデラは扇を取り出すとルリの頭を叩いた。
「まだ⁉︎ まだって何よ‼︎」
怒りに顔を真っ赤に染めながら何度も扇を叩き付けるヘデラに、ルリはおかしそうに笑いながら彼女の言葉に耳を傾けた。
「猿がいるから寂しくないでしょうって⁉︎ ふざけるなぁ‼︎」
「誰が猿だ‼︎」
「猿がいたって意味ないわよ‼︎ 私が側にいて欲しいのはルリなんだから‼︎」
ヘデラは扇を床に叩き付けると、そのまま体を丸めて伏せてしまった。
「うわぁぁぁん‼︎ ルリの薄情者ぉぉおお‼︎」
「……来なくていいって言ったのに来るからだぞ」
まるで獣の咆哮のような声を上げて泣くヘデラに、カズマは責めるようにルリを肘で突いた。
「ヘデラちゃん……」
ルリは床に伏せて泣くヘデラをそっと抱き上げ、
子供をあやすように背中をぽんぽんと撫でた。
「意地悪なことを言ってすみません」
「ううぅ……行かないでぇぇ……」
前髪の隙間から覗く眉は困ったように垂れているのに、口元には柔らかな笑みが浮かんでいた。
初めて見るルリの表情に、カズマが驚いて口を開きかけた時――
「えんえーん」
「よしよし……カズマさん、今日泊まっていってもいいですか?」
「ッシャァ! あっ、やべっ……えーんえーん! カズマ一生のお願いですわ〜!」
したり顔でルリの背中を撫で回すヘデラが視界に入ると、カズマはスッと表情を引かせ、
「却下だ」
ヘデラの頭をバシンッと強めに叩いた。




