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五胡転戦記  作者: 八月河
劉石冉漢趙魏
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皇帝即位、叛乱の狼煙

建武十二年一月。病の床に伏していた石虎陛下は、奇跡的に快方へと向かった。しかし、その奇跡は、人々の心を安んじるものではなかった。皇太子石宣の凄惨な処刑からわずか数ヶ月、その血の匂いが未だ宮殿の石畳に染みついているかのようだった。


陛下はついに皇帝位に即位し、大赦を天下に布告した。元号を太寧と改め、諸子を王に進封し、百官は一等増位された。その報を聞きながら、林全は自室で静かに硯を磨いていた。


(陛下は、この大赦によって、血塗られた過去を帳消しにできるとでもお考えか。いや、そうではない。これは、自らの罪と悲しみを、力で塗りつぶそうとする、新たな狂気の始まりだ)


林全の不安は的中した。大赦の対象から外された者たちがいた。それは、前皇太子石宣が選抜した高力と呼ばれる精鋭の衛士一万人余りだった。彼らは、石宣の罪に連座し、涼州の辺境へと流されることになった。


(石宣の部下だったというだけで、なぜ罪を背負わなければならない? これでは、彼らの命を奪うことと変わらないではないか……。この国は、いつまで連座というシステムで、罪なき人々を苦しめるのか)


林全は、衛士たちのことを考えると、胸が締め付けられる思いだった。彼らの未来を奪うことが、石虎の悲しみを癒すことにはならない。それは、ただ、新たな憎しみを生むだけだと、林全は理解していた。



高力の一行が雍城に到達すると、雍州刺史の張茂は、彼らの馬を奪い、代わりに手押しの一輪車である鹿車を与え、戍所への食糧輸送という過酷な労働を命じた。


その報を聞いた林全は、思わず持っていた硯を強く握りしめた。


「張茂め! 彼らは罪を犯したわけではない! ただ、皇太子の部下であったというだけで、遠い辺境へ流されるのだ。それなのに、馬を奪い、ろくな食糧も与えず、苦役を強いるとは! これでは、彼らの心に怨みが積もるばかりではないか」


林全の怒りは、当然のものだった。この非人道的な扱いは、高力の衛士たちの心に、深い怨みを植え付けた。彼らは、もうこれ以上、黙って死んでいくことはできないと、心に決めた。そして、その怨みが、やがて巨大な炎となって燃え上がる。


高力の督である梁犢は、この怨みを利用して反乱を計画した。彼は胡人の頡独鹿微に命じ、その旨を衛士たちに告げさせた。衛士たちは、この計画を聞くと、皆が歓喜の声を上げ、地面を叩き、天を仰いで叫んだ。


「このまま辺境で犬死にするより、戦って死んだ方がましだ!」


「そうだ! 我らの怨みを、この鄴の都に届けてやろう!」


梁犢は自らを東晋の征東大将軍と称し、衛士たちを率いて下弁を攻め落とした。そして、張茂を捕らえ、大都督、大司馬に担ぎ上げ、軺車に乗せた。


林全は、この反乱の勢いに驚きを隠せなかった。


(たった一万の兵が、ここまで広範囲にわたって反乱を起こすとは……。いや、これは単なる兵士の反乱ではない。これは、この国に絶望した民の怨嗟の集合体なのだ。武器や防具もなく、ただ斧を振るう彼らの姿は、まさに憤怒の戦神だ)


梁犢の兵たちは、武器や防具を持たなかったが、民から奪った斧に一丈にもなる柄を装着し、戦神のように戦った。彼らは、向かうところ敵なしで、守備兵も次々と彼らに寝返った。それは、後趙という巨大な土台が、内側から崩れ始めていることを示していた。


梁犢は郡県を攻め落とし、長吏や太守を殺しながら東へと進軍を続けた。長安に到達する頃には、その勢力は十万人にも膨れ上がっていた。


長安を鎮守する楽平王石苞は、精鋭を全て投入してこれを迎え撃ったが、梁犢は一戦でこれを撃破した。そして、長安を突破し、潼関から東へ出て洛陽を目指した。


石虎皇帝は、この事態を重く見て、司空李農を大都督に任じ、統衛将軍張賀度、征西将軍張良、そして征虜将軍石閔を始めとする歩騎十万を与えて迎撃を命じた。しかし、李農は新安で梁犢に大敗し、洛陽でも再び敗北を喫し、成皋まで退却した。


林全は、この報を聞き、思わず天を仰いだ。


(李農ですら敗れたか……。梁犢の反乱は、もはや武力だけでは止められない。それは、陛下の暴政と皇子たちの争いによって生み出された、この国の病なのだ。この病を治すには、根本から腐敗した膿を取り除かねばならぬ。しかし、この国に、その覚悟を持つ者がいるだろうか……)


石虎は、この事態を大いに恐れ、早馬を出して燕王石斌を大都督に任じ、統冠将軍姚弋仲、車騎将軍蒲洪、そして征虜将軍石閔と共に討伐を命じた。


石斌らは出撃し、滎陽においてついに梁犢を撃破した。梁犢の首級は挙げられ、その余党は尽く滅ぼされた。


林全は、一応の安堵を覚えたが、同時に、この乱によって失われた多くの命、そして深まった民の怨嗟に心を痛めた。


この国は、一体どこへ向かうのだろうか。彼は、自らの内に秘めた決意を、改めて固く心に誓った。それは、いつか来るであろう、この国の崩壊の日に備えるという、孤独な決意だった。

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