後継者選び、渦巻く陰謀
建武十二年九月。皇太子石宣の凄惨な処刑からわずか一月。鄴の宮殿には、血の匂いがまだ色濃く残っていた。林暁は、この血塗られた過去との決別を誓うかのように、名を林全と改め、かつての林暁の息子としてその名を継いでいた。彼は、陛下に召集された群臣と共に、東堂へと向かった。重苦しい空気が漂う中、誰もが口を開くことなく、ただ陛下の言葉を待っていた。
玉座に座る石虎の姿は、以前の威厳に満ちた姿とはかけ離れていた。その顔には深い皺が刻まれ、目は虚ろで、まるで抜け殻のようだった。皇太子の末子の処刑以来、陛下は病の床に臥せることが増え、その心身は明らかに衰弱していた。
「……誰を、新たな皇太子に立てるか」
石虎の声は、かすれて力なかった。その問いかけに、真っ先に進み出たのは太尉張挙だった。
「陛下、燕公石斌は武略に優れ、彭城公石遵は文徳を備えておられます。この二人からお選びになれば、後趙の安泰も守られるかと」
張挙の言葉には、それぞれの皇子が持つ利点を冷静に分析する、臣下としての忠誠心が見て取れた。しかし、林全はそれが、石虎の感情を逆なでしないための、周到な言葉選びであることも理解していた。
陛下は、林全の方を向き、声をかけた。
「林全よ、お前はどう思う」
林全は、一歩前に進み出ると、静かに頭を垂れた。
「陛下、開国であれば武、継いだ者は文を諡とします。これはあくまで陛下の家事であり、我ら外臣に口を挟む余地はござせません」
林全の言葉は、簡潔ながらも深い意味を含んでいた。それは、石虎の武力による苛烈な統治を遠回しに諌め、次の時代には文治が必要であることを示唆しているかのようだった。しかし、石虎はその真意を悟ることはなかった。彼の頭の中は、次の後継者、そして自らの家の未来のことで一杯だったのだ。
石虎は、張挙の言葉に微かに表情を緩めた。
「卿の言は、まさに我が意である」
しかし、その言葉を遮るように、張豺が進み出た。
「陛下、お待ちください!」
林全は、その声にわずかに眉をひそめた。張豺は、陛下の老病に乗じ、自らの権力を拡大しようと画策していると噂されていた。
「燕公の母は賤しい身分であり、燕公自身もかつて過ちを犯しました。また、彭城公の母、鄭桜桃はかつて太子の件で廃されており、今これを再び立てることで、不和が生じることを臣は恐れております。どうか、このことを慎重にご考慮くださいませ」
張豺はさらに言葉を続けた。
「陛下は、二度にわたって皇太子を立てられましたが、彼らの母はいずれも卑しい娼婦に過ぎません。故に禍乱が相次いだのです。今回は母が貴く、自らは孝行な者を選び、これを立てるべきであると存じます」
林全は、その言葉の裏に隠された意図を悟った。張豺は、劉昭儀を皇后に、その子である石世を皇太子に擁立しようとしているのだ。これは、石虎の個人的な感情と、張豺自身の権力欲が渦巻く、新たな陰謀の始まりだった。
石虎は、張豺の言葉に眉間に皺を寄せた。
「それは卿の言うことではない。太子を誰にするかは我が決める」
しかし、石虎の表情は、どこか迷っているようにも見えた。そして、最終的に張豺の言葉に従い、石世を皇太子に立てることを決断した。
石世を皇太子に立てることが決まった後、陛下は再び群臣を集め、東堂で議論を行った。
「我は三斛の純灰で腸を自ら洗ったが、これによって穢れてしまったからか、専ら悪子ばかり生まれるようになってしまった。みな二十歳を過ぎれば、忽ち父を殺そうとする!今、世は十歳であるが、二十歳に近づく頃には、我は既に老いてこの世にいないであろう」
林全は、石虎の言葉に、深い悲しみと諦めを感じた。
(陛下は、もう、ご自身の息子たちを信じることができなくなってしまったのだ……。ご自身の命の残りも少ないと悟り、幼い石世に託そうとされている。だが、それはあまりにも危うい。幼い君主は、必ずや権力争いの餌食となる。歴史が証明しているのに……)
太尉張挙と司空李農は、石虎の意を察し、石世を皇太子に立てる上書に署名するよう、公卿たちに命じた。しかし、大司農曹莫だけは、頑として署名しなかった。
林全は、その報を聞き、曹莫という人物に深い敬意を抱いた。
「曹莫殿は、忠義の士だ。誰もが陛下の意を忖度して動く中で、ただ一人、国の未来を憂いている」
張豺は、曹莫の下へ向かい、その理由を問うた。
「なぜ、上書に署名しないのか?」
曹莫は、頭を地面に擦り付けて言った。
「天下は重き器であり、幼い君主を立てるべきではありません。故に、敢えて署名しませんでした」
張豺は、その言葉を陛下に伝えた。すると陛下は、静かに言った。
「曹莫は忠臣であるな。しかし、朕の意が届いていないようだ。張挙と李農は我が意を知っているであろうから、彼を諭させるべきだな」
そして、張挙と李農は曹莫を説得し、最終的に石世は皇太子に立てられ、劉昭儀は皇后に立てられた。
陛下は、太常條枚と光禄勲杜嘏を召し出すと、彼らに皇太子の教育を託した。
「面倒を掛けるが、卿らを太子の傅とする。まことに改轍する事を望む。我はこれを両者に託すので、卿らはこの意味をよく理解するように」
林全は、陛下が條枚と杜嘏に託した「改轍」という言葉に、かすかな希望を感じた。
(陛下は、もはや自らの力では息子たちを正すことができないと悟られた。しかし、まだ、この国を憂いておられる。この希望の灯火を、私が守らねばならぬ)
林全は、自らの内に秘めた決意を、改めて固く心に誓った。この国が血の螺旋から抜け出すには、まだ長い時間がかかる。だが、そのための礎を、自分が築かねばならない。そう、心に深く刻み込んだ。




