血の螺旋、崩壊の序曲
建武十二年、春。後趙の都、鄴。宮殿を取り巻く空気は、まるで凍てついた刃のように鋭く、人々の呼吸すらも凍りつかせるかのようだった。林暁は、朝廷の臣下として日々その緊張を肌で感じていた。陛下の寵愛を一身に受ける皇太子石宣と秦公石韜。この二人の皇子間の憎悪は、すでに修復不可能な溝となっていた。それは、いつかこの国を飲み込むであろう巨大な渦のようだった。
林暁は、公務を終え自室に戻る道すがら、壁のひび割れに目をやった。
(この国も、この壁と同じだ。どこかで修復不可能なひびが入っている。そして、そのひびを広げているのは、他ならぬ石虎自身だ……)
その予感は、すぐに現実のものとなった。ある夜、酒に酔った石虎が、ふと漏らした一言が、この国の運命を決定づけた。
「韜を立てなかったのは失敗であった!」
その言葉が、皇太子の耳に届くまでに、さほどの時間はかからなかった。林暁はその報を聞き、自室で静かに硯を磨きながら、深いため息をついた。
(おいおい、何を言ってるんだ。その一言で、兄弟殺しが始まるんだぞ……。現代で言ったら、社長が長男の前で「次男に会社を継がせればよかった」って言ってるようなもんだ。こんなこと言われたら、誰だって暴走するだろ。本当に、この人は自分の言葉の重みを理解していないのか?)
林暁の予感は、残酷なまでに的中した。秦公は、石虎の言葉を己の地位を確固たるものとする天命と受け取り、ますます傲慢さを露わにした。彼は太尉府に堂を建て、「宣光殿」と名付けた。これは、皇太子の名をあからさまに嘲笑する行為であり、もはや宣戦布告に等しかった。
東宮では、この報を聞いた皇太子石宣が、狂気の淵に沈んでいた。彼は豪華な寝台を蹴り飛ばし、部屋に飾られた高価な壺を次々と叩き割った。陶器が砕け散る音は、彼の心の破滅を象徴しているかのようだった。
「あの韜め! 父上の寵愛を笠に着て、朕を侮辱するとは! 許さんぞ、韜!」
その怒りは、もはや言葉では表現できないほどだった。側近の宦官趙生は、その怒りを巧みに煽り立てた。
「秦公は、いずれ皇太子殿の座を奪おうと画策しております。このままでは、皇太子殿のご身分も危ううございます! 先手を取らねば、いずれ殺されますぞ!」
(煽るな、煽るな! そうやって煽って、何を企んでいるんだ、お前は……)
林暁の脳裏に、趙生の陰険な顔が浮かんだ。皇太子は、楊柸、牟成、趙生らと密かに謀議を重ねた。彼らの目は、もはや秦公の命だけではなく、その先に座る陛下の玉座さえも捉えていた。
同年八月。月明かりが仏精舎の屋根を静かに照らす夜、悲劇は起きた。酒宴で酔い潰れ、そのまま眠りに落ちた秦公は、皇太子の命を受けた楊柸らによって、細い梯子(獼猴梯)を伝って侵入され、その命を奪われた。
翌朝、東宮からこの事件の報が上奏されると、朝廷は凍りついた。林暁は、広間に呼ばれてこの報を聞き、信じられない思いで立ち尽くした。
(本当に起きてしまった……。血が血を呼ぶ、この国で最も恐れていたことが……。これで、この国の終焉が、また一歩近づいた)
陛下は、その報に驚愕して卒倒し、しばらく意識を失っていたという。林暁は、その痛みが真実であることを知っていた。しかし、司空の李農は冷静に陛下を諫めた。
「秦公を害した者は未だ判明しておりません。もし賊がまだ京師に居るのであれば、軽々しく出歩くべきではありません」
林暁は、李農の言葉に、一瞬の理性を感じた。しかし、その理性が、この後の狂気を止めることはできないことも、知っていた。この国では、理性は常に狂気に敗北する。
石宣は、自らの犯行を隠蔽するため、大将軍記室参軍の鄭靖・尹武らを捕らえ、罪を着せようとした。しかし、陛下はすでに石宣を疑っていた。
「天王后杜珠が悲しみのあまり危篤に陥った」
そう偽って石宣を招聘すると、疑うことなく中宮に入った石宣は、そこで拘束された。林暁は、史科という人物が、石宣の謀略を知っていたことを陛下に報告した、という報を聞いた。
「東宮長が楊柸の家に上がり、五人の男と『大事は既に定まった。あとは大家(天子)が死んで老寿となるのを待つのみ』と話し合っていたと……」
林暁は、石宣のあまりの愚かさと、陛下の深くえぐられた悲憤に、言葉を失った。
(なんて愚かなんだ……。自分が何を言ってるか分かってないのか? 自分が親に何を言ったか、それがどれほど親を傷つけるか、考えたこともないのか……)
皇太子は席庫に幽閉され、その顎には穴を空けられ、鉄環と鎖で繋がれた。
林暁は、陛下が秦公が殺された刀箭を手に取り、その血を舐めて泣き叫んだという報を聞き、その凄まじい悲しみが、狂気へと変貌していく様を肌で感じていた。
仏図澄は陛下を諫めた。
「東宮、秦公はいずれも陛下の子です。今、韜の為に宣を殺そうとしておりますが、これは禍を重ねるだけです。もしこれを誅するならば、宣は彗星となって鄴宮を一掃してしまうでしょう」
しかし、陛下はもはや、誰の言葉にも耳を貸さなかった。
処刑の日、鄴の北には巨大な薪の山が築かれた。林暁は、その光景を遠くから見つめていた。黒煙は天高く立ち上り、まるで天を呪うかのように、空を覆いつくした。
石宣は、秦公の側近であった宦官たちによって、髪と舌を引き抜かれ、梯に引き上げられた。彼の顎には縄が通され、絞り上げられた。手足は切断され、眼は潰され、腸は潰された。そして、薪の山に火が放たれた。
林暁は、その地獄絵図を、陛下が劉昭儀以下数千人の女官と共に、中台から見物したと聞き、背筋が凍る思いだった。
皇太子の妻子九人もまた殺害されることになった。林暁は、この惨劇の中で、せめて罪なき命だけでも救いたいと強く願った。彼は自らの配下の中でも最も信頼の置ける者たちを密かに動かし、皇太子の妻子が連行される道中での救出を計画した。しかし、陛下の警護はあまりにも厳重で、八人の妻子を救い出すことは叶わなかった。
ただ一人、石虎が可愛がっていた、まだ幼い末子だけは、辛うじて救い出すことに成功した。その子は、連行される際に「子にも罪はあるのでしょうか」と訴え、陛下の衣を掴んで泣き叫んだ、と報を聞いた林暁は、その小さな命を救い出せたことに、安堵と同時に、救えなかった命への深い悲しみを覚えた。
林暁は、その幼子を自らの養子とすることに決めた。
「この子は、私の子として育てよう。そして、二度とこのような悲劇が起こらぬよう、この名を忘れることのないように」
林暁は、その子に「林業」と名付けた。そして、この幼い命を石虎の目から遠ざけるため、信頼できる配下と共に長安へ送り、その地の守備を任せた。
石虎は、この報復により、ついに発病してしまった。天王后杜珠は廃され、側近たちは車裂きの刑に処された。東宮は猪牛を養う場所とされ、衛士十万人余りは流罪となった。
林暁は、朝臣たちが皆、口を閉ざし、仕官してもただ禄を食むだけになったことを知っていた。この国は、すでに破滅の道を歩んでいる。彼は、愛する家族と、新しく授かった幼い養子を守り、この血塗られた時代を終わらせるために、静かに、そして着実に、その準備を進めるしかなかった。彼の心には、決して揺らぐことのない、固い決意が宿っていた。