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陸 ──人間


 その日も、空は晴れていた。


「きれいな空だね」

 ごろんと寝転んだ隣の女の子が、天を見上げながら笑う。どこまでも青一色の空の上を、鳥たちが気持ち良さそうに渡ってゆく。あの鳥になりたいと、何度思ったか知れない。

「ここのところしばらく、砂嵐も起きていないし。地道に植林を続けてきて、この辺りの環境も少しはよくなってきたのかもね!」

「うん。そうだといいね」

 少女も無意識に、微笑んでいた。

 確かに、遥か彼方の景色まで見渡せるほどに、今日は空気の状態がいい。少女は目を細めて、ずっと遠くに浮かぶ都会のビル群を眺めていた。夜になれば少女たちも、あの街へと戻ることになるだろう。

「今日は久々に羽を伸ばせるからね。よーし、寝ちゃおうっと!」

 いちいち元気のいい隣人は、高らかに宣言して目を閉じた。

 少女は身体を横たえる気にはならなくて、そこに腰かけたまま空を見ていた。 ふさふさと心地よい芝の感触へと、張った力が少しずつ抜けてゆく。




「……ねぇ、聞こえますか」


 少女は空に向かって、呟くように尋ねた。


「神様──」






 言霊たちによる一斉蜂起の末、この国から言葉が消滅してから、今日で半年近くになる。

 会話力、そして思考力を奪われた人間たちは皆、自らの欲に従って生きることを強いられた。助けようとしてくれた異国民もいつしか敵に変わり、もはや救いは何もないかのように思われた。

 ……だが。全世界のほとんどから言語が消滅したあの日から半年が過ぎても、依然、この国には数十万人もの人間たちが生存している。


 憐れみの言葉を司る言霊“憐愍”から、その命と引き換えに言語能力を与えられた少女は、ようやく手に入れた恒常的な思考力で、もとの人間らしい生活を再開した。

 廃墟と化した街の中で、少女は食べ物や飲み物を探し、衣服を着、野生化したままの人間たちから身を守る術を身に付けた。

 とにかく、一日でも長く生きるんだ。そうしたらわたしのすべきことも分かるかもしれない。──少女はただ愚直に、そう信じたのだ。

 少しして転機が訪れた。いつも通りに暮らしていた少女は、自分と同じように言葉を話すことのできる人間と出会ったのである。彼女は一緒に暮らさないかと話を持ちかけ、少女は同意した。自分一人でないと分かったことが、何より嬉しかった。時が経つにつれて出会いは広がってゆき、どこどこに集まって暮らしている人々がいる、などという情報が交わされるようになった。

 かつてこの国に住んでいた人間の数は、のべ一億三千万人。やがて、実にそのうち一万人が言葉を自身の力で用いることのできる人間として再生し、あちこちの都市の跡地で生存していることが明らかになった。

 憐愍のように人間を信じ、その命を懸けてでも人間に希望を託そうとした言霊は、決して少なくなどなかったのだ。

 無限の言霊たちの意志は人間に引き継がれ、少女たちはその先駆者となった。




 いま、隣ですやすやと昼寝をしている子が、少女が初めて出会った他人だった。

 彼女は少女と違い、積極的で明るい性格の子だ。

──『一緒に暮らせば楽しいよ、それに安全だし! ねっ、いいでしょ!』

 嬉しそうにそう迫られたのを、少女は昨日のことのように覚えている。

──そうだ。今のうちに“授業”の内容、考えておかなくちゃ。ぼうっとしてなんかいられないもん。

 少女は胸ポケットからメモ帳を取り出して、鉛筆を指にしかと握った。

 少女たちは三ヶ月前から“授業”と称して野生化した人々を集め、言葉を教える活動を展開している。だいたい一時間程度の授業を、全部で三十回。これだけで大半の受講者はきちんと言葉を話せるようになる。

 それは、少女たちが言葉を教えるのと同時に、その力を分けているからだ。野生化から目覚め、新たな仲間となった人々の数は、今日に至るまでにのべ数十万人以上にのぼった。こうすれば人間たちにできることの幅も広がるし、何より生活の危険も減る。些細な活動も舐めたものではない。

──発案して、よかったなぁ。

 少女は、ふふ、と楽しげな息を漏らした。

 そう、提案したのは少女だったのである。別れ際に憐愍に言われたことを、少女は律儀に守ったのだ。


 辛うじて残存していた畑や田を使い、耕作が各地で再開された。運転能力のある人々は自動車を修復し、最優先で道路が整備された。今、この国の全ての都市は仮整備の道路で結ばれ、人々は互いに情報や賦役を交換しながら支え合って暮らしている。都市部では水運が活発に利用され、港に係留されたまま放置されていた大量のボートが活躍している。

 つい二週間前には、廃墟のあちこちに風車が完成し、電線が引かれて電気が街に供給され始めた。大きな河川沿いにはポンプとホースが設置され、仮の水道として街へ水を送っている。焼け落ちずに残っていた各地の図書館の書籍が、インフラなどのいち早い復旧に大きな役割を買っていた。今週末には都市の中心に立つ巨大な電波塔の一時修理が完了し、様々な情報を伝える簡易ラジオ放送が都市全域で再開される見込みだという。

 “授業”プロジェクトを推進する少女たちのグループは今、廃墟を探し回ってありとあらゆる現存の情報メディアを集め、複数の管理施設に集約して公開する準備を進めている。書籍や映像媒体、音声データなどには、生活環境の改善のための知恵もあり、未だ数の少ない娯楽となるものもある。将来、誰かの役に立つことができるよう、これ以上失われる前に予防策を打つのだ。無限の先人たちの努力の結晶は、失ってしまうにはあまりにも惜しい。

 さらなる生存者の捜索、他国の状況の確認などに活用する目的で、大型の気球の建造が進んでいる。古来からある言い伝えなどを元にした擬似的な気象予報が、ビルの電光掲示板の色を用いるという原始的な方法ながら再開されている。人々は課題を克服するためにアイデアを出し合い、話し合いを重ねてきた。


 ダムが決壊し、流れ出した貯水によって没した地区の復旧は、依然、何も進んでいない。原子力発電所からの放射線漏れは電源回復によって食い止められたが、既に排出されたそれらは海や空気を侵し続けている。他にも問題は山積したままだ。

 それでも人間たちは前を向いている。生きるために、よりよい未来を目指すために、それぞれが互いを思い遣り、助け合って、自分にできる努力を懸命に重ねている。




 たまには休みなよ、という仲間の優しさに背中を押されて郊外の公園まで出てきてみた少女だったが、頭にあるのは結局“授業”のことばかりだった。

「うーん、やっぱり思い付かないや……」

 ため息をついた少女は、手帳をぱたんと閉じた。生じた風圧がふわりと髪を掻き上げて、少女はふと、空を見た。

 時々、無心になりたくなる。あの空を夢中で眺めていると、たまった疲れがすうと消えて、穏やかな気持ちになれる。

「考えるって、疲れるもん」

 少女は言い訳のように呟いた。それから、そっと微笑んだ。疲れるほど考えられる幸せだって、きっとある。そう思ったからだった。

 隣の子は、まだ起きそうにない。立ち上がった少女は丘を少し登って、そこから高い空を見上げた。

 ぼうっとしていると、ふと、あの言葉を失っていた日々を思い出すことがある。


 少女たちは──人間は、言葉を自身の力で用いることができるようになった。

 そして、それは思っていたよりもずっとずっと、大きな変化であった。

 今までよりも何倍もしっかりと言葉を理解するようになった人々は、乱暴な物言いや悪意ある発言に敏感になってしまった。その真意が透けて見えるくらい、言葉は発言者の意図を真っ直ぐに相手に伝えるようになったのだ。それはそのまま、言葉を安易に用いることを人間自ら抑制するための、抑止力となった。

 そしてその代わり、暖かい言葉の持つ力も何倍もの大きさになった。言葉の大切さを身をもって知った人々は、今まで以上に言葉を気を使うようになった。だが、それは本音を押し隠すということではない。自分の本心の在処をきちんと把握し、その本心に従って言葉を使うようになったのだ。

 勢いや建前に使う言葉は軽い。だが、本音で語り合うのに使う言葉は重く、そして柔らかい。人々はそのことに気付いたのである。




 この世界は、よくなっていっているのだろうか。

 自分のしてきたことは、正しいのか。

 時折、ふっと意識が飛んだように、そのことが分からなくなることがある。


 そんな時、少女は決まって、憐愍に向かって尋ねるようにしている。


「……ね、神様」


 少女は目を閉じて名前を呼ぶと、心の中で続けた。


──わたし、神様の望んだ通りの世界、作れてますか。

わたしたちの頑張り、神様はちゃんと見ていてくれてますか。

道を外れているなと思ったら、教えてくださいね。わたしたち、きっとまた頑張って、正しい道に戻ります。──だから、目を離さないでいてくださいね。




 かつて少女に、頼れる人はいなかった。

 少女は静かに目を閉じて、昔のことを思い出してみた。

 少女の親は、自分が生まれた直後に姿を消したという。学校では訳もなくいじめられた。その道具は大半が暴力ではなく言葉で、やがてそれは無視へと変わっていった。自分を引き取った里親は酔った勢いで少女を何度も罵倒した。

少女に味方はいなかった。言葉の持つ凶悪な力の前に、少女は黙って屈し、心で泣きながら必死に痛みを耐えていた。

 だが、ある日突然起きた言葉の消失で、自分に関わりのあった人間たちは次々に命を落としていった。隅に隠れて「あんな風にはなりたくない」と怯えていた時、憐愍に出会い、そして今がある。

 もしあの頃、少女に思考力があったなら、何を思っただろう。何を願っただろう。

 考えてみたくはない。だが、考えてみたくなる気持ちもまた、この胸の中にはある。


──わたし、不安症だからなぁ。あれこれ悩んで、それをぜんぶ自分で抱えて、ついつい溜め込んじゃう。

 少女は苦笑した。苦笑さえも今は爽やかだった。

 女の子が下から登ってきた。「ちょっとー、あたしのこと置いてかないでよ! 起きたら誰もいなくて、びっくりしたじゃない!」

「えへへ。ごめんね」

「まったくもう」

 二人とも、笑っている。

 言葉と表情には、別々の本心が宿っている。最近よく、少女はそう思うようになった。

「さ、帰ろうか。日が暮れる前に戻らなきゃ、危ないもん」

「そうだね……。……あ、先に行っててくれる?」

「え、先に?」

「深呼吸したら、わたしも行くから」

「……ん、分かった。んじゃ下で待ってるよ?」

 彼女は首をかしげたが、素直に丘を降りていった。

 少女はその背中を見つめながら、宣言したとおりに深呼吸をひとつした。

 地平線の向こうに街が揺れている。今日は、明日は、あの場所で何をしよう。何ができるのだろう。




 言霊のいなくなったこの国が、これから先、どんな運命を辿ることになるのか。

 そんなことは誰にも分からない。分かったら苦労なんてないのである。

 でも、たとえどんな苦境に立たされても、困難を前に泣きたくなっても、言葉を、そして言葉を用いる人間を、愛していたい。

 自分がかつて味わったような苦しみを、もう二度と、誰かに味わわせたくない。

 どんな国だって、どんな社会だって、人間が言葉を大切にすれば、言葉はきっとその思いに応えてくれる。そして、それらが当たり前になったその瞬間、優しい世界は必ずや、実現するはずだ。

 そしてそれは、人間が思いやりを失くしたために言霊もろとも破滅してしまった、あの悲惨な過去を繰り返したくないという憐愍の希望を、現実のものにしてくれる。






「──大丈夫」




 かつて、すべての居場所を失って追い詰められていた自分を憐れみ、慰めるために口にしたことのある独り言を、少女はふたたび口にした。

 同じ文句のその言葉が、今度は前を向くための力になると信じて。




「大丈夫。きっと、大丈夫なんだから」






 言霊のいない世界は、まだ、始まったばかりである。











挿絵(By みてみん)








これにて、本作は完結となります。


作者の高校生活最後の作品は、こんな狂的(?)な雰囲気の作品になってしまいました。歪んでいますね(笑)

しかし、何が何でも今年中に書かねばという危機感に苛まれて執筆に励んだのを記憶しています。今年(2015年)にこだわりたかった理由は、賢明な読者の皆様のご推察にお任せしたいと思います。


さて。ここで、作者のうっかりで回収しそこねたままになっている伏線を解消しておこうと思います←

主人公の言霊「憐愍」が、なぜ自らの言葉の主を見失ってしまったのか。それは彼が意味を持つ言葉そのものが、対象や思いのはっきりしないものであったからです。憐愍自身の存在が、かなり不安定な存在だったとも言えるでしょう。

それ以外の伏線は全て回収したはずです……作者の思い違いがなければ←


本作のテーマは、「言葉たちの気持ち」でした。

言霊が人類に反逆し、彼らを滅ぼそうとする。人類は言葉を大切にしなさすぎたのだ──。このような物語を書いておきながらでは説得力がないかもしれませんが、作者自身は作中の登場人物ほどの悲観を今の世に対して抱いてはおりません。

ですが、それなりに物申したい気持ちがあるのもまた、確かです。

今の感性はきっと、一年後、二年後と時間が経つうちに消えて行ってしまうものなのでしょう。あの頃はバカなことを言っていたなぁ、などと来年の今頃は思っているかもしれません。

今年、この時期ながら、このような作品を書いて(恥ずかしながら)皆様の前に上梓できたことを、嬉しく思います。……あっ、出来についてはその、高校生レベルでしかないので……(そうですらないかもしれない汗)


長くなりましたが。

本作を最後までお読みいただき、ありがとうございました!

よいお年を、お迎えください。




2015/12/31

蒼旗悠



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