狐面の転校生
千葉の古い城下町。
観光地化されていない裏路地には、 今も“人ではないもの”が住んでいる。
夜になると、 提灯の灯る「あやかし横丁」が現れる。
主人公だけが、その道を見ることができる。
理由は―― 彼女が千年前、 “封印の巫女”だったから。
春の風が、神社の桜を揺らしていた。
柊木乃葉は石段に座り、ぼんやり空を見上げていた。町外れにある春日神社は古く、小さい。けれど木乃葉はこの場所が好きだった。
鈴の音。 線香の匂い。 夕暮れの空。
ここにいると、不思議と胸が落ち着く。
――なのに最近は違った。
毎晩、同じ夢を見る。
燃える社。 赤い着物。 泣いている自分。
そして。
狐面をつけた男。
その男を見るたび、 胸が締めつけられた。
「このはー!」
祖母の声が飛ぶ。
「またぼーっとしてるだろ!」
「はーい!」
木乃葉は慌てて立ち上がる。
その瞬間だった。
強い風が吹いた。
桜が舞う。
鳥居の向こうに、 “誰か”が立っていた。
黒髪。 長身。 狐面。
金色の瞳だけが、 こちらを真っ直ぐ見ている。
木乃葉は息を呑んだ。
だが次の瞬間、 姿は消えていた。
「……また夢?」
胸がざわつく。
その翌日。
教室に転校生が現れた。
「九条夜です」
ざわり、と空気が揺れる。
女子たちが小さく悲鳴を上げる。
黒髪。 切れ長の目。 異様なほど整った顔。
だが木乃葉は、 その顔を見た瞬間、 息が止まりそうになった。
知っている。
初めて会うはずなのに。
夜は教室を見回し、 木乃葉と目が合った瞬間、 わずかに目を見開いた。
そして小さく呟く。
「……やっと見つけた」
木乃葉の鼓動が跳ねた。
放課後。
木乃葉は神社へ帰る途中、 見慣れない路地へ迷い込む。
赤い提灯。 石畳。 古い木造の店。
そして。
人ではないものたち。
狐耳の女。 一つ目の男。 猫の尾を持つ子供。
木乃葉は青ざめる。
「え……?」
その時。
背後から黒い手が伸び、 木乃葉の足首を掴んだ。
「巫女ォ……」
振り返る。
そこには、 首の折れた女がいた。
木乃葉は悲鳴を上げる。
逃げようとした瞬間、 影が腕に絡みついた。
動けない。
女の口が裂ける。
「見つけたァ……!」
その時だった。
青白い炎が闇を裂く。
狐火。
怪物が悲鳴を上げる。
木乃葉の前に立っていたのは、 九条夜だった。
だが昼間とは違う。
金色の瞳。
背後に揺れる巨大な狐の影。
夜は木乃葉を抱き寄せる。
「……またお前を失うところだった」
低い声。
苦しそうな響き。
木乃葉は震えながら叫ぶ。
「な、何なの!? ここどこ!? あなた誰!?」
夜はしばらく黙っていた。
やがて静かに言う。
「ここは“あやかし横丁”」
提灯の灯りが、 夜の横顔を照らす。
「そして俺は――お前に封印された妖狐だ」
木乃葉は言葉を失う。
夜は木乃葉を見つめる。
その目は、 怒っているようにも、 泣きそうにも見えた。
「お前は覚えていない」
夜は苦く笑う。
「だが俺は、 千年ずっと忘れなかった」
その瞬間。
木乃葉の脳裏に、 知らない記憶が流れ込んだ。
燃える都。
赤い着物。
血。
泣きながら誰かを抱きしめる自分。
そして――。
『次の生でも、 必ずお前を見つける』
男の声。
胸が痛い。
涙が溢れる。
木乃葉はその場に崩れ落ちた。
夜は慌てて木乃葉を支える。
「……思い出すな」
苦しそうな声。
「お前は知らなくていい」
けれど木乃葉は、 夜の服を掴んだ。
「……嫌」
自然に言葉が出る。
「知りたい」
夜が目を見開く。
木乃葉は涙を流しながら言う。
「あなたを、 忘れたくない」
沈黙。
提灯が揺れる。
遠くで祭囃子が鳴っていた。
やがて夜は、 静かに木乃葉の頬に触れた。
「……変わらないな」
切なそうな笑み。
「お前は千年前から、 そうやって俺を苦しめる」
その時。
横丁の空が大きく揺れた。
闇の奥から、 無数の妖気が溢れ出す。
『封印が解ける』
『巫女が目覚めた』
『王を還せ』
不気味な声が響く。
夜の表情が変わった。
「……始まったか」
木乃葉は震える声で尋ねる。
「何が……?」
夜は振り返る。
金色の瞳が、 真っ直ぐ木乃葉を映す。
「千年前の続きだ」
提灯の灯りが揺れる。
その光の中、 巨大な狐の影がゆっくり立ち上がった。
木乃葉はまだ知らない。
この出会いが、 自分の運命を変えることを。
そして、 千年前に終わった恋が、 再び動き始めていることを。




