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序章

人付き合いが苦手で断ることも出来ない損な男だと自分を思っている青年タナカは不況の煽りを受けて仕事を失いこれからどうするか迷う内にある廃アパートの一室で夜を明かすため踏み入れる。

そこには既にそのアパートに住み着いているカズという青年がいた。襖一枚隔てられた奇妙な同居生活が始まる。

夏が終わりを告げて秋が来る。緑の葉はすっかり色が抜け落ち黄や赤に変わっていく。青さを無くしたそれは木から落ちて乾いた葉は誰にも気に留められることもなく踏まれていく。鬱陶しいと言わんばかりに箒で集めらてごみ袋の中へと押し込まれていく。

立体交差点の上からその光景を見つめていた。二年前に買ったダウンジャケットは未だに買った当時と変わらずに風を通さない。ダウンジャケット以外の部分は容赦なく風を受け止めて体温を奪っていく。顔の熱はすっかり冷えて頬は冷たく赤くなっているだろうか。

平日の昼間から何をしているのか。

何もすることがないからこうしてここに立っているんだろう。

先週のことだった。勤め先がなくなった。

地元の高校を卒業して地元を離れて就職した工場は不況の煽りを受けて縮小することになった。そこで誰か退職を希望する者はいないか、そう告げられた時に真っ先に自分に目がいった。自分がこの中で一番若い。自分がこの中で一番勤務年数が少ない。他の者は妻子がいる。もしくは今退職したらきっともうどこも雇ってくれない年配の社員だ。

ここで退職してじゃあこの後の勤め先を紹介してくれるんですか?それともしばらく困らないようにと退職金たくさんくれるんですか?と言いたいことはあったが無言でそれらを飲み込み「分かりました」と自分の首を切られに行った。

住んでいた寮から少ない荷物を持ち出して数年勤めた工場を後にすると一気に頭が重くなる。足も引きずるようにして何とかここから離れなければと頭を下げて地面を向き引きずるように歩く重い足。

自分は損な男だった。

どんな時に人生を見返してもそう思う。

二歳上の兄は活発な人だった。その兄を見て育った自分はその活発な姿にいつも肝を冷やしていた。活発が過ぎて怪我をする兄を見て危険を学んだ自分は随分慎重な性格になったものだと自負している。

危ないことしない。

人間関係も慎重に。

堅実に慎重に、出過ぎない。

結果、人の顔色を伺い自分の意見を言えないまま大人になり今職を失った。

実家に帰るための連絡も躊躇している。去年結婚した兄夫婦に子どもが生まれるのだ。母が初孫のために兄嫁に世話を焼いておりそこに自分が帰ってくるのは何とも微妙な雰囲気になるだろう。

とにかく今日の眠るところを探そう。就職先の町は発展しているのかいないのかビジネスホテルは一件しかない。電車に乗ればそこそこビジネスホテルは増えるが正直今の自分の精神状態で泊まりうっかり仕事に忙しくしているサラリーマンなんかを見た日には自分は何をしているのかと自己嫌悪に陥るだろう。

視線の下には車が走る。トラックに乗用車、バイクも時折そこを通る。地方で車社会のため絶え間なく走るその風景をじっと見つめる。吸い込まれていって重力に逆らうことなくただただ首を下に見つめていると車の走る音に混じり階段を上がる音が聞こえる。鉄の階段をスニーカーだろうか、重い足跡は女性のものではない、男性のものだ。

目線をそちらに送ると階段を上がって来たのはやはり男性だ。ファーの付いたジャケットを着て片手にはビニール袋、透けて見えるそれには缶コーヒーが入っていた。

冷たい風が吹きその男性の少し長い髪が風に遊ばれていた。鬱陶しそうに揺れて遊ばれる髪を押さえて顔を上げたその男性は少々つり目に薄い唇。それでも十分に整った顔立ちの男性だった。

お互いの髪が風に好き勝手に遊ばれる中飽きたと言わんばかりに風は止みその瞬間その男性と目が合う。逸らせばいいもののじっと見つめていた。

向こうも逸らすことなくこちらを見つめている。気まずそうに不思議そうに一歩一歩近付いていく。

そのまますれ違い今度は一歩一歩距離が離れていく。人一人分距離が空いた時だった。

つり目の男性が足を止める。

ゆっくりの振り向きこちらと再び目が合おうとした時だった。

「ちょっとお兄さん!」

「…え?」

「大丈夫!?飛び下りようとしてない!?」

つり目の男性が何の用かとでも聞こうとした瞬間反対側走ってきた女性に勢いよく声をかけられる。驚き固まっていると女性は矢継ぎ早に言葉を並べる。

何でもここは何年か前に飛び下りがあったらしく以来自殺の名所として不本意に有名になってしまったらしくそこに自分が何をするわけでもなくぼんやり立っているのを見つけて慌てて声をかけたらしい。

「だ、大丈夫です」

「本当に?お兄さん死にそうな顔をしていたから」

「本当に、大丈夫です」

「あらそう?…だったらいいけど」

「大丈夫です…」

「ならいいけど…あらよく見たらお兄さんイケメンじゃない。若くて格好いい人が死ぬなんて勿体ないものね」

「いえ、そんなんじゃ…」

「死なないなら良かった。じゃあ今日は冷えるから早く帰りなよ、お兄さん」

「はい…」

言うだけ言って女性は去っていった。後ろを振り返ってみるともうあの男性はいなかった。

「……」

ここから離れよう。足をようやく動かして進んだが、どこに向かえばいいか分からなかった。一歩二歩歩いたところでまた止まりスマートフォンを取り出す。少ない連絡先を見つめて電話をかけようとしたが結局またなにもせずに歩き出した。

夕暮れ時になりランドセルを背負った子どもが体を揺らしながら帰っている。あの有り余る元気はどうあの小さな体に収まっているのだろうか。ランドセルの彼らを目で追うと、ロープの張られた敷地内に入っていく姿が見えた。

“立ち入り禁止”

「あ…」

思わず引き返しランドセルの子どもを追う。立ち入り禁止の意味を分かっていないのか何か危ないことをするのではないかと余計なお節介だろうかと思いながら声をかけようとするが子ども達は既にいない。立ち入り禁止の文字の向こうには古びたアパートがあった。

ここから見える窓はガラスが割れて中からガムテープで補修がされていた。ところどころ錆びている部分もあり、人が住んでいた頃が想像出来ない。

立ち入り禁止の文字に触れてどうしようかと右往左往していると突然アパートの扉が開き中からあのランドセルの子どもが大声を上げながら飛び出して来た。

お化けだ!お化けだ!

本当に出た!逃げろ逃げろ!

追い付かれたら殺されるぞ!

自分の横をあっという間に通り過ぎて行きここは立ち入り禁止だから入っちゃ駄目だと注意する暇さえなかった。

呆然と開いたままの扉を見つめるとあら思いが湧く。

(ここなら)

ここならば誰にも気付かれずに夜を明かすことが出来るのでは?と思いが巡る。自分と違う真面目に働く社会人があふれかえる場所よりもここの方が落ち着くかもしれないと、あのランドセルを背負う子どものように立ち入り禁止を潜り抜けて錆びた階段を上がっていく。

開きっぱなしになった扉のノブを掴んで部屋の中へと入る。扉を閉めて中を確認すると、窓ガラスにヒビは入っているが雨風は凌げる。畳の部屋はところどころ変色しているがそこに新聞紙でも敷けばきっと問題なく寝られる。壁には小さな穴が空いてる…鼠でもいるのか。襖があり部屋は二部屋あるらしい。この部屋の一室を使わせてもらおう。そしてもう一室使うのは。

あとはここにいるお化けだ。

「す、すみません…」

静かな部屋の中に自分の声がやけに響く。

「自分はえっと…タナカも言います。一晩で大丈夫ですのでこちらに泊めていただないですか?」

お化けさん。と付け加える。

誰も見えない部屋に自分の声が響いて消えた。何の反応もない。これはお化けのはいかいいえどちらになるのかの。

そう思っていると笑い声が聞こえた。

「え…?」

襖が閉められた部屋の向こうから笑い声が転がってくる。けらけらと男性の低い声で笑うのが部屋中に響いて困惑する。

「え、お化けさん?」

「ち、違う…違います」

ようやく笑った笑い声を引きずって襖の向こうから声が聞こえる。

「生きてる…?」

「生きてます。人間です」

「こ、ここに住んでる方で?」

「はい、職場がなくなっちゃって金もないのでここにしばらく寝泊まりさせてもらってるんです」

「そ、そうなんですね」

「上がっても構いませんよ。ま、俺の家じゃないですしね」

「お邪魔します」

「はー…にしても」

大の大人がお化けさんってと彼は再び笑い始める。襖が閉められた部屋の向こうで自分の発言にここまで笑われるとはと頬が赤くなる。

「すいませんね。笑って」

「いいえ…」

「挨拶します?ここ開けますか?」

「いや、いいです」

人見知りが激しく恐らく顔を合わせた状態だとまともに喋ることは出来ないだろうと思い襖は閉めたままにしてもらった。

「そう?助かります」

「助かります?」

「こっちの部屋、好き放題してるからめちゃくちゃ散らかしてるんですよ」

見られたら人生終わるかも、と冗談交えて彼は話した。

「お兄さん名前は?」

「あ、タナカです」

「俺はカズです。呼び捨てでどうぞ」

「カズ、さん」

「んじゃ俺もタナカ、さん」

名前を呼ばれたのは久しぶりだった。

家族はいたがどこか見えないかのように扱われた。学校でもいじめはなかったがただそこにいるという認識だった。社会人になっても人付き合いが出来ず損な人生を送っている。

名前をきちんと呼ばれる。呼んでくれる存在がいることに体の中身が満たされるような感覚になった。

「タナカさん」

「はい、カズさん」

「タナカさんも俺と似たような状況で?」

「はい…えっと工場で働いていて、寮に入ってたんですが…人員削減とかで...その、辞めるように求められて…」

「俺も同じです。突然だったからどうすればいいかと思って…それでとりあえず節約のためにホテルとかじゃなくて、ここに」

「俺も、俺も同じです」

「あんまりこういうことする奴もいないと思いますけど…いるもんですね」

「本当に、驚きますね」

ところであのお化けはカズさんが?と聞くと苦笑いが聞こえてここを子ども達の肝試しの場にされては困るからと部屋に来たタイミングで大きな音を立てて脅かしたらしい。

立ち入り禁止なこともあるし、怪我でもされたら彼らの親は心配するだろうとカズさんは言った。

「だから、扉は閉めて内から開けられないようにしましょう」

「えっと…何か…あ、ベルトでドアノブと窓の柵繋げておきましょう」

「それ良いアイディア」

誰もいないはずの廃アパートの一室で顔も知らないままに同居が始まった。



この作品はBL作品です。苦手は方はご注意下さい。

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