表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
教戒師とゲス魔女の傭兵団  作者: ディアス
32/35

宵の仕事2 Ⅳ


 剣士の右手が頭上に高々と上がり、剣が掲げられた。

 それを追って炎が火柱のごとく立ち上がった。まるで業火そのものが剣と化したよう。火柱からは紫電が飛び散り、近づくものへと牙を剥く。


 そのとき火柱の中で硬いものにに亀裂の入る音がした。刃に直接刻まれた象徴印(ソフィア)が意匠に込められた力を出し尽くしたからに違いない。


「そォォらァァァッ……」


 火柱の長大な刃が振られると、その切っ先が舌先のように周囲の家々をなめた。奴の口からは夢心地な吐息が洩れる。


「うーッ、ふッふふ、ふゥゥゥ……!」


 炎と電弧の触れるところ外壁は脆くも焼き崩れ、理法剣士の周囲には瓦礫の山が築かれた。

 このままでは相手に近づくことすらままならない。


 引きつりの目立つ頬が忘我の表情で無造作に横になぎ払う。太い火柱が腰の高さを走り、ゼフォールは地面に転がってよけた。

 服に焦げ目が増えたが、怪我はせずにすんだ。ただし、ストラ邸は玄関だけでなくその奥も破壊され、見るも無残な外観となってしまった。


「ぐゥゥ……まだ、序の口だぞォォ。ハ……あヘァァァァ……。こ、これから魔法というものをォォお……見、せ、て、やるぅぅ!」


 炎に焼かれた男の声は苦痛と愉悦にまみれ、無口な剣士としての印象は見る影もなくなっていた。また、まぶしい魔法の炎に照らされる瞳は虚ろで、ゼフォールを見つめながらもゼフォールを見ていないようであった。


 ゼフォールは素早く立ち上がると、乱れた息を整えるために深呼吸をした。


「ククク……」


 ゼフォールは無意識に笑いを洩らした。相手の自傷を伴う攻撃にバカバカしさを覚えたからだ。


 その笑いが収まると己の呼吸音が聞こえた。そして、心臓の鼓動も感じた。

 五感を澄ませると、全身のうぶ毛一本一本の動きすら感じ取れるようだった。


 この唐突な悟りはゼフォールがかつて感じたものであることを思い出させた。


 それは宵の仕事に従事していたときのことであった。


 宵闇の教戒師として五回目の仕事をこなしたときのこと。

 そのときの暗殺対象はとある貴族で、その貴族はアンリエット王国で要職に就く有力者であり、その護衛を勤める用心棒はこれまでになく手強かった。


 その貴族は政敵である宰相を陥れるために策を弄した。


 毎年催される国王の生誕祭の開催資金が不足していた。それを集めるための税を新たに設けることになった。

 その税はあくまで生誕祭のためのもので、国民に重税を課すことは本意でなく、支払える余裕のある各戸が余剰金で支払うものとして新設された。


 新税の公布は、通例どおり宰相の名でおこなわれた。つまり、最終的に宰相の決断によるものとされる。

 しかし、実際のところ、案件は種別と規模によって、各分野の専門職に就く貴族に最終決定権が委譲されていたため、国王の生誕祭などといった些細な案件に限定された財源の裁量は、当然ながら税務担当職に委譲されていた。


 生誕祭税は年に一度だけ徴収されるのだが、徴収額は教会、寺院への寄進額の半額と定められた。それは寄進する余裕がある家から見合った額を徴収するという発想に基づいていたからだ。

 ここに、反宰相派の狙いがあった。


 例の貴族は税務担当職に就いていた。そして、彼は税の徴収効率を上げる、という名目の下、税の徴収を国民ではなく、教会や寺院からおこなったのだ。要は各戸から集めるより、寄進先から徴収したほうが早いというわけだ。


 これが、灰光教を始めとする宗教界から反感を買った。それは寄進と同額の税ではなく、寄進の半額を徴収しているだけだと。

 しかし、反宰相派の税務担当職貴族は宰相の名を盾に徴税を強行し、教会や寺院も宰相の絶大なる権力を恐れて表立った反発は控えた。

 そのことに気づいた宰相は最大勢力である灰光教の枢機卿と会談し、今回の件についての誤解を解いた。


 それにより、その税務担当職貴族は宵闇の教戒師に狙われることとなったのだ。

 ただ、ゼフォールがその任に選ばれたのはたまたまなのか、別の理由があったのかは定かではない。


 そして、ゼフォールは暗殺対象の貴族とその護衛をとある塔へと追い込んだ。


 都にはスピラーディアと呼ばれる名所があり、そこには天を衝かん高さの尖塔群があった。ゼフォールは相手を追って屹立する尖塔の林へと足を踏み入れた。

 これらの細長い塔にはそれぞれ登ることができた。塔には他の塔とを結ぶ外廊下がクモの巣のように張り巡らされ、その一つでゼフォールは用心棒と対峙した。


 追い詰めたというより誘い込まれたといったほうが正しかったのかもしれない。吹きっさらしの渡り廊下は突風が吹き、ゼフォールは煽られて体勢を崩した。

 眼下では地上の建物がまるで子供のおもちゃのように小さく見える。相手はここでの戦いに慣れている様子でせせら笑っていた。


 そのとき、ゼフォールは異質なリズムを感じた。それはあらゆる感覚を鈍くした。そのリズムは死地に瀕した教戒師の意識を否応なしに覆い尽くし、ゼフォールに新たな感覚を与えた。


 それは五感の代わりに世界を把握する感覚だった。まるで頭の後ろに別の目ができたようで、世界を俯瞰する、五感以上の知覚をゼフォールにもたらした。

 高所の突風はおろか、相手の攻撃も緩慢な動きに感じられ、ものの数秒で仕込み杖が相手の喉笛を切り裂いた。


 そのときと同じ特異な体内感覚が、今体内にある。


 それに意識を向けると、ゼフォールの鼓動は早まり、その感覚のもつ異質なリズムとダンスを踊るように絡まり始めた。

 同時に相手の動きが目で見えない部分も手に取るようにわかった。まるで相手を全方位から観察して、その情報をも統合して動きを捉えたかのようだ。


そして、すぐに呪文のない魔法のからくりがわかった。


 理法剣士の左手が背後でこそこそと動いている。片手で印を結び、呪文の詠唱と同等の意味を持たせていたのだ。

 種がわかると案外つまらないものだった。所詮は理法魔術の域を出るものではない。


「ククッ、クフフ……」


 ゼフォールは笑いをこらえるように体を震わせた。

 この程度の相手に苦戦をしていたのかとの自嘲した。


 王都アンルードで宵闇の教戒師であったときに処分した背教者達の中には同じ人間とは思えない技の持ち主がゴロゴロしていた。

 だが、それ以上に人間離れしていたのは、まさに宵闇の教戒師だ。その凄まじい戦闘力はアンリエット王国軍の一個師団を相手にしてもひけをとらないだろう。


 それを思い出した途端にゼフォールの口から哄笑が迸った。


「ククク……クフフフ……クッハハハハハッ!」


 聖職者とは思えない凄烈な笑みが浮かぶ。頭の奥から溢れた力が全身を巡った。これまでに感じたことのない感覚だ。


 今ならどんなことでもできそうな気がする。ひと跳びで屋根の上に登ることはもちろん、昼夜を問わず駆け続けることも、どれほど難解な魔法を理解することも、リセルを見つけることすらたちまちのうちにできるに違いない。

 それに、眼前の敵を、軽い斬撃で頭頂から股下まで真っ二つに斬り割ることすら。


 悪鬼のごとき微笑に軽侮の色が加わった。

 笑い声を聞いて剣士は苦しみ悶えながらも逆上した。


「何がッ……おか、しい!?」


 上半身が火に包まれているにもかかわらず、まだ動けるのは何かしらの対策がなされているからなのであろう。


 破滅的な魔術の使用は理解不能だが、身を滅ぼす(さま)にゼフォールは場違いな憐憫の情を覚えた。


「いや、理法魔術しか使えない魔法使いとは……哀れな奴と思ってな」


「ぶ、ぶ、ぶッ……侮辱するなァァ!」


「図星……か。だから、おまえは『理法剣士』なのか」


 軽く頷きを見せ、ゼフォールは無造作に剣士に近づいていった。体に満ちる万能感は、相手がどんな攻撃を仕掛けてこようが対応できるという確信を与えてくれた。

 そう、それが魔法であったとしても。


 対して、もはや火だるまと言ってよい姿の剣士は剣を投げつけてきた。剣を捨てても全身に燃え移った火は消えなかった。


「それ、以上は……言わせん!」


 新たな火傷によってより醜くなった顔は憎しみに満ち、化け物の様相を呈した。


 理法剣士は剣を捨てた。

 なら、攻撃手段は理法魔術に限られる。他にあるとしても隠秘蹟(ミスティカ)だが、教戒師には対処ができる。

 この男の剣士としての腕を考えれば、純粋な剣の勝負に持ち込まれると、勝機は少なかった。しかし、相手が魔法の使えない魔法使いとなれば、もはや敵ではない。


 理法剣士は自分からもゼフォールに近づいた。よろめくような足取りは力尽きる寸前のようだった。魔法の炎によるダメージが蓄積し、その体に戦う力も残っていないのだろう。

 剣の間合いに入る直前で剣士は膝をついた。ならば一息に、とゼフォールは仕込み杖を振り上げた。


 同時に炎に包まれた両手も上がった。それが勢いよく振り下ろされ、地面に掌を打ちつけた。

 ゼフォールの足元で乾いた音が響く。ハッと視線を下げると裂ける大地が見えた。土が勢いよく盛り上がった。


 異質なリズムがゼフォールの全身を満たした。途端に迫り上がる土の動きが急に減速し、ゆっくりしたものへと変貌した。

 割れた大地を押しのけて激しく進む土の槍。幾本も伸び上がる鋭い穂先。それらの動きはまるで粘土の中を無理矢理進むように緩やかなものだった。


 ゼフォールは咄嗟に土の槍を蹴った。それは硬く壊れない。そのため、その勢いを利用して大きく跳んだ。

 ゼフォールの足先はきれいな弧を描いて、間合いの外で地面に着地する。土の槍は教戒師を追ったが、その鼻先で動きを止めた。


 今の攻撃は理法魔術でも隠秘蹟(ミスティカ)でもない。これは、恍惚派の魔法使いを自称する男の意地だ。


 ゼフォールが理法剣士から目を離さずにいると、奴はグハッと呻いて口から血をしぶかせた。

 喉元を押さえ、苦しそうにむせ、咳き込んだ。胸にある魔法陣はすでに線がぶれ、にじんでいた。複雑な構造の魔法陣には部分的にかすれが生じ、魔法が使えるのはあと二回がせいぜいだろう。


 理法剣士は悶えるようにボロボロの両腕を大きく振り上げ、苦しみをおして再び天を仰いだ。


「ガアアァァァッ!」


 その手が地を押し、ゼフォールの背中に悪寒が走る。退路を断つ音が踵に迫った。

 考える暇はない。ゼフォールは矢のように前方へ飛び出した。


 焼け爛れた顔面が一層の苦渋を増した。両腕を前に突き出すと薄れかかった魔法陣から黒い煙が出てまとわりつく。黒煙は黒炭のごとききらめきをまとい、その黒さは禍々しい危険を感じさせた。

 それは、苦しみの中に浮かんだ微笑によって保証された。まだ完全に出現してはいないが、即死するような魔法なのだろう。


 その両腕に飛び込みつつゼフォールはフッと笑った。


 教戒師の体は地面スレスレにまで沈み、地を()る足が神速の踏み込みを見せた。

 そして、逆袈裟の斬り上げ。複雑な魔法陣は左腕とともに切断され、次の瞬間、ゼフォールは理法剣士の背後に背を向けて立った。同時に逆手で持った仕込み杖が肩甲骨の間を貫いていた。


 ゼフォールは絶命した男の背を踵で蹴り飛ばした。重い肉の塊が瓦礫にぶつかり、そこで派手な血を噴出させたが赤い飛沫は宵の教戒師には届かなかった。


 振り返ったゼフォールの目に残り火に照らされた瓦礫が映る。自分達が侵入した屋敷は見る影もなく崩れ去り、その周辺の家々も半壊の憂き目に遭った姿を見せていた。

 その中にポツンと手足を無様に折り曲げた死体があった。


 引き結んだ唇の隙間から笑いがこぼれた。


「クカカカ……」


 血振りした刃が地面に赤い線を引いた。 


 そのとき、夜空に響き渡る轟音が大気を振るわせた。


 ストラ邸の崩れ落ちた屋根が高く撥ね上がる。そこには鮮烈な赤い光の塊があったが、それが翡翠のようなきれいな緑の光に弾かれて霧散してしまった。

 その幻想的な光にゼフォールは暫時目を奪われたが、すぐにその場から数歩横によける。


 ちょうどゼフォールの立っていた位置に仮面の魔法使いが転がるようにして落下してきた。その衣服はボロボロで、仮面にはヒビが入っていた。

 魔法使いは例の硬そうな箱を抱えたまま、何とか四つん這いになって着地すると、警戒するように慌てて上空を見上げた。何を警戒しているのかは言わずもがなだ。


 その警戒される人物の姿はどこにも見当たらなかったが、ゼフォールには確信があった。


 聞き慣れた高笑いが頭上に響く。


「オーホホホホ。やっぱり、生ゴミは生ゴミよね。ねえ、ゼフ君?」


 ゼフォールの隣に軽やかに下り立つのは、ラズリエル先輩だった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ