宵の仕事2 Ⅲ
よろけながらもゼフォールは相手から距離をとった。
密着しての据え斬りでは勢いがつかないので刃の切れ味以上には切れないものだが、斬られる感触に慣れるものではない。
「クッ……」
追い討ちを防ぐべく痛みをこらえて剣を強く握った。
しかし、間をおかずに仕掛けてくることはなかった。
ゼフォールの睨みつける先では理法剣士が悠々と血振りしている。追撃をかけることもできたはずだが、その場を動くことすらしていない。
宵の教戒師の手の内を知り、隠秘蹟とその対抗手段をも知っているからこその余裕だ。
ゼフォールは確信した。この男には宵の教戒師の経験がある。
それに剣と魔術には対応できるとしても魔法使いとしての未知の力が残されている。それ故に形勢は不利。
浅傷だったため流れ出る血はすぐに止まり、ゼフォールは剣を正眼に構えて深く響かせるように息を吐いた。教戒師になる以前に教わった戦いの技術へと意識をめぐらせる。
そこでは冷静さを欠いた者の末路を徹底的に叩き込まれた。
不利を自覚しているにもかかわらず平静さを失わない様子に、理法剣士はからかいのまじる口調で言った。その口元には微笑みが浮かんでいる。
「仲間がいなくなって、残念だったな」
すでにカリーナの姿は消え、負傷者を担いだ傭兵達の後ろ姿も道の向こうへと消えていた。
答えるゼフォールの声は淡々として傷の痛みを感じさせない。
「彼らは仲間ではない」
「そんなことを言っていいのか? 頭数が多ければ勝ち目があったかも知れないぞ」
「足手まといはいらない」
強がりにしか聞こえない理法剣士は鼻で笑った。だが、その仮面の穴から覗く両目は笑っていない。
「フン、感情を殺したつまらん面だな。確かにおまえは宵の教戒師だ。だが、教戒師では俺に勝てん」
ゼフォールは不意に視界の下端に違和感を覚える。足だ。左右に並んでいた理法剣士の足が前後の開きへと変わっている。奴はポツリと呟いた。
「速撃だぞ」
理法剣士の剣が伸びるように起き上がり、真っ直ぐにゼフォールの顎下を狙った。
頭で考えるより先に体が動く。動物的な反射速度で後ろに飛び退くと、肩から胸にかけての傷から血がしぶいた。黒い上着から覗くシャツは朱に染まっているが、それはすでに流れた血の色だ。
奇跡的にも凶悪な切っ先はシャツの襟を裂くにとどまった。代わりにそこからチョーカーがあらわになり、ゼフォールは首元を押さえてさらに退いた。
牽制の空振りを繰り出すものの、またしても恍惚派の理法剣士は剣を構えたまま動かずにいた。仮面のせいで表情が読み取れないが、その声には驚きの響きがあった。
「おい、貴様! そのチョーカーをどこで手に入れた?」
「おまえには関係ない」
「ほう、そうか……。そのチョーカーは特別な家族しか持てないものと聞いたぞ」
ゼフォールの眉間にシワが寄る。思いがけない台詞を聞かされたからだ。『特別な家族』のことは持ち主しか知らないことだ。注意を分散させるための話術だとしてもあまりにもピンポイントな内容だった。
心のざわめきを抑えてゼフォールは問い質した。
「なぜ知っている!?」
「同じチョーカーの持ち主から聞いたのさ」
このメダルをチョーカーで持っているのは妹しかいない。つまり、持ち主とはリセル以外にない。
心の底から熱く湧き上がるような気持が溢れ出た。これは期待感だ。この一年をリセルを探すことに費やし、アンリエット王国を東から西へと旅をしてきて、西部も半ばを越えてここでようやく強い可能性をつかんだのだ。
それまでの冷静さは瓦礫のように崩れ去り、ゼフォールは上ずった声で言い返す。
「そんなはずはない! これの意味を知るからこそ他人に明かしたりはしない!」
「おまえが勝手にそう思っているだけじゃないのか」
すげない言葉はさらにゼフォールの心を乱した。養父との絆は簡単に断ち切れるものではないが、リセルがそれを口外することはありえない。
幼少のみぎりに才能を見出され、兄以上に過酷な生活を強いられたのはまさに彼女なのだ。
ゼフォールは昂った気持を静めるべく深く呼吸をして、己に言い聞かせる。この男の言うチョーカーの持ち主を明らかにしなければならない。
「おまえにその話をした人物の名を言え」
「さーな」
はぐらかされたが、苛立ちは感じなかった。要は、この男を打ち倒して、吐かせればよいのだ。
「力ずくで喋らせる」
「できるのか、おまえに?」
理法剣士は口の端を釣り上げて挑発した。
ゼフォールは自分の中に渦巻く感覚が強くなるのを感じた。それは怒りではない。ただ得たいの知れないその感覚は、宵の仕事を遂行する際に現れる、狂気に近い感覚だった。
それがかつてないほどふくれあがった。
ゼフォールの足が一瞬で裂けそうなほど大きく踏み込み、細い剣が振られた。大振りながら今までの斬撃とは比べ物にならないほどの速度と強さだった。
理法剣士は辛うじて剣で受けるも、強力な一撃に体ごと弾き飛ばされる。
崩れかけた壁に背中を打ち当てて倒れずにすんだ。
「貴、様……まさか手を抜いていたのか?」
胸を押さえる理法剣士は驚きを隠さずにそう尋ねた。
ゼフォールは据わった目で相手を見返す。
「カカッ、教戒師の手の内を知っているのだろう?」
甲高い笑いには虚ろさがまじり、静謐な教戒師の雰囲気がガラリと変わってしまっていた。それまでの強張った表情が少しずつ崩れ、頬に熱のこもった笑みのようなものが浮かんだ。
相手が戸惑うほど雑に間合いを詰めると、ゼフォールは追撃の突きを放った。
その神速の一撃に理法剣士は目を剥いた。急いで避けるが間に合わない。
「もっと速く!」
しかし、隠秘蹟が発動するより早く突きは男の左腕を貫いた。よけかけた体勢のまま動きが止まる。
理法剣士の両目がギラリと光り、逆に右手の剣がゼフォールを襲う。
それを間一髪でかわすと刃が眼前に止まり、顔面に焼けるような熱を感じた。その赤熱した刀身には複雑な象徴印が焼き付けられているのが見える。
強い放射熱に耐えかねてゼフォールは相手を突き飛ばした。この一瞬の攻防の中で剣士に呪文を唱える間はなかった。
ゼフォールは引きつるような笑いを洩らしてから呟いた。
「クフ、フフ……理法魔術でも隠秘蹟でもない術か」
「つまり、魔法さ」
と恍惚派の剣士が拾う。
しかし、それはおかしい。魔法が廃れた理由は、大きく複雑な魔法陣を描いたり、難解な長呪文を暗唱するという手間にあったはずだ。
だからこそ理法魔術という様式が整えられたのであり、魔法復古運動という思想が生まれたのである。
であれば、呪文を唱えていないわけがない。絶対に呪文の代わりになるものがあるはずだ。
「クフフフ……呪文のない魔法がどこにある」
小馬鹿にしたようにゼフォールが冷めた笑みを浮かべると、奴は肩を震わせた。それは怒りだけではなく、喜びにうち震えるようにも見えた。
「フフン……そうだな。が、貴様は、魔法復古運動を単に古臭いものへの憧憬を抱いた懐古主義者の集まりとでも思ったか?」
そう言って仮面の下に覗く唇が忌々しげに歪き、それから大きく開いた。
「魔法は、単なる技術ではないッ。世界の理を示す、偉大なる記述なのだ!」
いきなりそれまでの印象を打ち消すような熱弁だった。
恍惚派の剣士が長剣を大きく振ると、炎熱を帯びた刃がさらに電光をまとわりつかせた。またしても呪文はなかった。
「これを見ろ!」
剣士の手が自分の襟をつかむやシャツを引きちぎった。はだけた胸には黒字で複雑かつ精緻な紋様があった。
ひと目でわかる。それは見慣れた理法魔術の五大公理によく似た魔法陣だった。もう一人の魔法使いと同様に体に魔法陣を刻みつけてあるのだ。
「これが世界の記述だ。混沌の貴族率いる恍惚派こそが、その記述の代弁者なんだ!」
雄叫びとともに灼熱に燃えた長剣が頭頂を襲い、ゼフォールは軽やかなステップで横にかわした。受ければ、おそらくこの細い仕込み杖は破壊される。そんな危険な輝きをもつ斬撃だった。
二撃、三撃と紙一重でかわすゼフォール。その瞳は剣だけでなく全身を捉え、的確に相手の行動を読み取っていた。
どんなに強力な攻撃でも当たらなければ効くことはない。恍惚派の剣士は間合いをあけて一旦手を休めた。
左腕が痛むのか、仮面の下で唇が引き結ばれているようだったが、なぜか悦楽を感じているようにも見えた。
剣士は出方を窺いつつ、ゼフォールの右側面へ回り込もうとする。そこには自分の左腕を庇う意味もあった。
この間は剣士だけではなく、ゼフォールにも相手を観察する余裕を与えた。
相手のはだけた胸を一瞥して、その魔法陣の危険性を理解することができた。本来なら個別に併用すべき象徴印を分解して一つの魔法陣として組み直してあるのだ。
エネルギー源としての太陽の公理とその変換のための月の公理が強引に組み合わせた複合定理として描かれ、その周囲を効果の維持とコントロールを目的に水星の公理で囲んであった。
理法魔術において、五大公理を初めとする象徴印は多大なる研究の結果、完全性が与えられ、だからこそ簡便な呪文による術の行使が可能となった。
それを分解して魔法陣と組みなおしたということは、完全性が損なわれたということだ。
魔法陣を使うのであれば、本来長い詩歌的呪文が必要となるのだが、それを唱えるどころか無詠唱で効力を発動させるからには、それなりの代償が必要になる。
それが不完全な魔法陣を基底に据えてとなれば、術からのとんでもないキックバックがあるはずだ。
そして、何より、胸に刻んだ魔法陣が内包する力を消費すれば、その魔法陣は消滅する。その際、肉体に与えるダメージもバカにならないはずだ。人体はメモ紙とは違う。
つまり、敵は自滅する。違和感を覚えつつもゼフォールはそう考え、相手と間合いを保ったまま、円を描くように移動した。
滅びの前兆はすぐに現れた。
長剣の炎と雷は柄を握る剣士の肘にまで広がっていった。布の燃える匂いとともに肉の焦げる臭気がする。見る間に炎の侵食は二の腕にまで達した。
「グ、グゥゥゥ……熱いィィィ……」
洩れた苦しそうな声とは反対に恍惚派の剣士の唇はしまりなく開いた。そう、まさに『恍惚』という表現がぴったりだった。
それでも、剣士は刃に発生させた魔法を解く素振りは見せなかった。
それどころか奇声をあげて斬りかかってくる。斬撃の鋭さは増し、黒い上着をかすった。次撃はさらに素早さも上がった。
「ガッああぁぁぁ! あぁあぁぁぁぁ!」
奴は突然叫ぶなり仮面をつかんで投げ捨てた。現れた素顔は焼け爛れていた。おそらく、火だるまになる前に負った火傷だろう。
ひきつりのある醜い顔は蕩けた表情を浮かべていた。
「ああ、気持ちいい……。これぞ、恍惚の境地……アウフ、ガヌプ……」




