宵の仕事2 Ⅱ
「まだ利用する予定だったんだがな……。とはいえ、法定傭兵団だけではなく、教会にまで嗅ぎつけられたのでは潮時だったのかもしれん」
仮面の穴から覗く瞳は忌々しさに満ちており、激しい敵意をもってゼフォール達を睨みつけた。
恍惚派の魔法使い。理法魔術だけではなく魔法を使える強敵である。
宵の教戒師は隠秘蹟を会得し、理法魔術への対処法も身につけている。ただし、魔法使いとの戦い方はそこに含まれない。
ゼフォール自身も魔法使いを相手にするのは初めてだった。
魔法使いが両腕の裾をまくり上げると、袖の下からは二の腕に直接刻まれた複雑な象徴印が露になった。確かに理法魔術での小手調べはもう充分だった。
その意気込みを鼻で笑い、ラズリエルは言い返す。
「まあ、まあ、まあ、ゼフ君、聞いた? ゴミが喋ったわ。やっぱり生ゴミは本格的に腐る前に処分してしまわないといけないわねえ」
「チッ、その尊大さが見かけ倒しでないといいが。売女魔女め、井の中の蛙という言葉を教えてやる」
そんな揶揄を歯牙にもかけず、ラズリエルはその美貌に穏やかな笑みを浮かべた。手の中でペンがクルリと回り、白い杖に変じる。
それはおとぎ話によくある飾りのついた魔法使いの杖ではなく、ゼフォールの黒杖と同じく真っ直ぐな細い杖だった。長さも長剣程度で、ただ、そこにはびっしりと細かい文字と紋様が刻んであった。
「それでもあたしにはあなたを叩き潰せるだけの力がある」
白い杖が剣のように振られると、その勢いだけで強い衝撃が走り抜けた。それは玄関扉を弾き飛ばし、そこに繋がる壁を破壊した。焼け焦げた遺体がその煽りを受け、砕けながら転がり出る。
一方、そばにいたゼフォールも脇を駆け抜ける衝撃に対し、何とかロングコートと隠秘蹟で防ぐのが精一杯だった。
体感で衝撃秘術以上の破壊力であった。もし、これで不意打ちされたら、誰であろうと耐えられるものではない。
そう考えたゼフォールは正面を見て眉をひそめる。吹き飛んだと思われた魔法使いがまだ立っていたからだ。奴はどこから取り出したのか、黒ずんだ小箱を盾のように突き出して耐えていた。
その小箱は完全な立方体で赤い網目が血管のごとく全面を走り、脈動するように明滅している。
ラズリエルは白い杖をクルリと回して、箱を指し示した。
「おんやぁ、万能箱をもらってるのね。チンケな術しか使わないから、混沌の貴族の直弟子とは思わなかったわ」
「……貴様は、狂える聖者ローデリックに師事する女魔法使い。『白剣杖』の異名を持つラズリエル・サリメイル。カーツ傭兵団の技術顧問。貴様のように傭兵に身をやつす奴が私に勝てるものか!」
「あ~ら、そんなに下調べして。あたしに惚れても無駄よ。恍惚派なんか眼中にないんだから」
「こちらも譫妄派など願い下げだ。さあ、いくぞ!」
恍惚派の魔法使いは力を誇示するように大きく両手をあげた。それに呼応して脇をすり抜けて人影が現れる。
完全に虚を衝いたタイミングだった。
仮面の剣士は瞬く間にラズリエルに迫り、ランプの灯りを照り返して白刃が解き放たれた。狙う先はラズリエル先輩なのは明らかだった。
乾いた金属音が響いた。抜き合わせたゼフォールは何事もなかったかのように穏やかな声を発する。
「その殺気、いることはわかっていた」
「これ以上は邪魔だよ、おまえ」
華奢な体つきに似合わない野太い声が返された。
憎まれ口にゼフォールが微笑むと、仮面の剣士は素早く飛び退いた。柄を握るゼフォールの手にいつの間にか呪式譜が現れていたからだ。
仮面の剣士は感心半分からかい半分に聞こえる口笛を吹いた。
「危ないなあ。……宵の教戒師か」
教戒師の真の姿を知る者は少ない。それを知るのは宵の教戒師を退けたものだけだ。
ゼフォールは目の動きを悟られないよう半眼に閉じ、仕込杖を晴眼に構え直した。手堅くどっしりとした構えで相手を迎え撃つ態勢を整えた。
ただし、誰何する声は自然と硬いものになった。
「貴様、何者だ」
「第十七席次の理法剣士……いや、単なる従者だ」
理法剣士とやらは自嘲気味な笑みを浮かべて言い直した。ゼフォールの瞳が動いてもう一人の仮面の男を示す。
「あの魔法使いのか」
「まさか」
と奴は肩をすくめる。
「花嫁の、さ」
花嫁。意味のわからない単語はゼフォールの思考に一瞬の空白を生んだ。それを見透かしたように剣士の体が前へ動く。
また不意を衝かれ、冷や汗が噴き出た。本能が緊急回避を要求する。咄嗟に飛びすさりつつ目を閉じて柄頭を叩いた。
「強く輝けッ」
柄頭とともに中のガラス玉が砕けて激しい光芒が周囲に突き刺さった。網膜を焼かんばかりの光は世界を白と黒に塗り替え、二人の男の体によってできた影以外の形状をなくした。
理法剣士も慌てて目を閉じて退いた。抜かりなく空振りを繰り出して追撃を牽制している。
とは言え、ゼフォールもこの光には対策ができていなかった。あくまで緊急回避のための非常手段だ。
目の眩む中、有利なポジションとは言わないが、せめて存分に剣を振れるようにと屋外へ走り出た。
あの謎の剣士の実力は恐るべきものだ。剣の腕をいえばゼフォールを上回り、理法剣士という名も伊達ではないだろう。理法魔術への警戒も怠ることができない。
背後に足音が響き、迎撃のために振り返ると、それは崩れかけた建物の奥へと進入するラズリエルのものだった。
恍惚派の魔法使いは迷わず自分の獲物を追っていった。理法剣士は薄目でこちらを睨みながら家の外へ出てきた。
ラズリエルは逃げたというより屋内に誘ったと見るべきだろう。あの先輩、あれでなかなか侮れない。
不意にゼフォールの耳が複数の男達の声を捉えた。伏兵かと瞬時に周囲を確認する。
「住人の避難は完了したな? よーし、囲めえ!」
隣家の脇を通る路地からわらわらと多数の明かりが現れた。それらは松明を手にした鎧姿の戦士達で、装備の金属音が周囲を騒がしくした。
それらを圧して聞き覚えのある声が轟いた。
「戸籍行政官殺しの容疑者は仮面の男だ! 抜かるな!」
大音声の主はカリーナだった。
「教戒師殿、待たせたな」
「カリーナ・スコーデル、退け! 相手は理法魔術を使うぞ!」
一人馬上のカリーナは厳しい顔つきで見下ろしてきた。革に細い金属板を張り付けた堅牢そうな鎧をまとい、兜はなく髪を束ねていた。
「命を狙われて退けるか。ルロイ傭兵団はすでに逮捕した。団員に調べさせたら、買収を持ちかけてきた相手はすぐにわかった。すでにリーシュ伯爵にも上申済みだ。スコーデル相手に買収とは愚かにもほどがある」
舌打ちをしてゼフォールは向き直る。このやり取りがすでに致命的なミスになったかもしれない。
そして、その予感は正しかった。
視界に白い仮面が広がり、光る刃が下から肉薄する。反射的にコートの裾をつかむゼフォール。
「堅固な壁となれ!」
ロングコートの裏地に差し込んである呪式譜が起動呪語に反応した。黒い布が強度を増し、受け止める。
いや、切っ先は布を裂き、ゼフォールの左脇腹をかすめる。布地のおかげで刃は逸れたが、触れたところに異様な熱を感じた。
防御に隠秘蹟が使用されることを読んで、理法剣士は対抗魔術を使っていたのだ。
背筋に悪寒が走り、ゼフォールは剣を払って距離をとった。
が、それを仮面の剣士は許さなかった。太刀筋は鋭く、ロングコートは幾筋にも切り刻まれていった。裂かれた布地は焦げ、飾りのようにヒラヒラと舞い、着用者の手足に絡みつく。
「助太刀する!」
下馬したカリーナが鋭い太刀筋で斬り込んできた。
理法剣士はうるさそうに払いのけたが、次の斬撃に矢継ぎ早に襲われてやむなくカリーナへ体を向ける。彼女の技量は剣士にひけをとらない。
ゼフォールはこの隙にロングコートを脱ぎ捨てることができた。呼吸を整えて斬り結ぶ場に目をやる。カリーナと理法剣士は刃を押し付け、鍔迫り合いを繰り広げていた。
均衡を崩して相手を押し込めれば次の動きの主導権を握れるが、逆にいなされると不利になる。
そのため、互いに狙うのは離れ際だ。セフォールは一撃を叩き込む瞬間を狙って仕込み杖を腰高に構えた。
押し合う二人の体がいっそう密着した。理法剣士の手に紙片が見え、柄とともに握り込まれているのがわかった。
ゼフォールはハッとする。宵の教戒師がよく使う手だ。
奴の口が危険な言葉を吐いた。
「ぶっ飛びな」
カリーナの体が弾かれたように横に飛び、壁に激突した。そのまま倒れ伏し、彼女は動かなかった。見たところ外傷はないが、腹部を中心に受けた衝撃は内臓を破裂させている可能性があった。それぐらい危険な術だった。
理法剣士が使用したのは間違いなく隠秘蹟である。
「貴様、宵の教戒師の経験があるな」
ゼフォールの問いかけに対する返答は無言だった。覗く唇が意味ありげに笑う。
理法魔術は象徴印を原動力として魔法陣を廃し、誓願系の呪文でコントロールする形式をとる。呪文の結句で魔術が起動する仕組みだ。
魔法陣を省略することで煩雑な手間をなくし、そのバーターで効果と出力が限定されている。
隠秘蹟も最近では現代版にアレンジされ、象徴印と単語レベルの起動呪語で発動できる。
簡単に言えば魔法をより大雑把にする代わりに瞬時に使えて強力なものにしたものであり、ある意味理法魔術より機能的なものであった。
その代わり精緻なコントロールはできない。衝撃秘術が単純に衝撃を発生させるだけであるように。
「三代目を守れ!」
号令が飛び、数人が倒れた団長に駆け寄る。そのうち二人は追撃を阻止すべく剣を抜き放って理法剣士に向かった。連携のとれた動きだ。
殺到する傭兵を無視して理法剣士はカラカラと笑う。
「電流衝撃を喰らえ!」
右手に新たな呪式譜が現れ、起動呪語とともに拳を地面に振り下ろした。
その拳を中心に青みがかった光が円形に広がった。所々にのたうつ蛇のような電光が走り、傭兵達の足に絡み付いた。
いくつもの悲鳴が上がり、肉の焦げる臭いとともに男達はどうと倒れた。その電撃はカリーナのいる辺りまで届き、団長を介抱に駆け寄る団員達も苦しそうに膝をついた。
ゼフォールは懐の呪式譜をまさぐりつつ素早く間に入る。コートの裏以外には、上着の内ポケットにある三枚だけだ。
「退け、スコーデル!」
「貴様の命令を受ける筋合いはない!」
大柄な傭兵がそう怒鳴ってカリーナのもとへ走り寄った。身につけている鎧がカリーナと同じ意匠であり、おそらく副団長のような地位を占める人物なのだろう。
「団長! しっかりしてください!」
ゼフォールが三枚の呪式譜を指の又に挟んで柄を握り直すと、理法剣士は警戒した。奴は少しずつ横に移動しながらじりじりと間合いを詰め始めた。
それに対応して、ゼフォールも相手と同じ向きへ歩を進める。敵と負傷者との間に身をおくように自分も位置をずらした。
背後ではスコーデルの傭兵達が慌ただしく負傷者を運び去る音がした。ゼフォールの意識の一部が背後へ向く。すると、待っていたように理法剣士が前に出た。
ゼフォールは反射的に斬撃を繰り出す。牽制だ。しかし、それは役に立たなかった。
薄刃の先をかするようによけて、剣士は背後へと抜けた。そこには団長を担ぐ団員達がいる。
「加速だッ」
弾けるような速度のバックステップでゼフォールは理法剣士の横に並んだ。
そこへ、まるで予測していたかのように横薙ぎが襲ってきた。
ゼフォールの肘が上がり、切っ先を下に向けて刃を受け止める。その体勢のまま、ゼフォールは二枚目の呪式譜の握りを強めて起動呪語を呟いた。
「衝撃を喰らえ……」
柄を握る手のあたりに一瞬ふくらむような感触が発生したが、それは煙のように消えてしまった。
不発、いや、衝撃秘術は無効化されたのだ。そう考えた間にも敵の剣尖が鋭く弧を描いてゼフォールの胸元を狙った。咄嗟に胸を反らせ、さらに首を振ることでその突きはかわせた。
理法剣士は感心したように口笛を吹く。
「よくよけた。が、これは無理だ」
胸に当たる刃が強く引かれて、ゼフォールの肌に冷たい線が走った。それはすぐに赤い線となり血が流れ出した。




