117 ケララの衷心
「『百年内乱』はいまだ終わりを見せてはいません。その間に、戦乱と飢えで命を落とした民の数は、とても数えきれないでしょう。もはや名前ではなく、量で考えねばならないほどです」
沈痛な憂いがケララの顔ににじんだ。
「たしかに、その責をすべて王家に帰するのはおかしいかと思います。全国の領主たちが一丸となり、王室を盛り立てれば、少なくとも戦乱が訪れることまではありませんでしたから。とはいえ……国を治められないなら、その座から離れるのも、王の役目……。そのように、三百年前の『王家治要』にも出ております」
その書名は聞いたことはないが、ケララのような知識人にはよく知れた書物なのだろう。
「もともと、私は今の王家が再び世を統べることを望んでおりました。それこそが王家に仕える者として当然のことですので」
「だが、それでは、やはり限界があるということだな」
ケララはゆっくりとうなずく。
「ハッセ陛下が国家を統一した時、必ず摂政閣下……アルスロッド様を放ってはおかないでしょう。それほどまでにアルスロッド様の力は強く、犯しがたいものになっています。蜜月はアルスロッド様がどのようなお気持ちであっても崩れ去ります……」
わざわざ、ケララが俺の名前を呼んだのは、それ相応の覚悟の現れということだろう。たいてい俺は臣下から摂政とか閣下と呼ばれている。名前で呼んでいるのは、幼馴染のラヴィアラぐらいのものだ。
「そして、アルスルッド様がいなければ……その身分が何であろうとアルスロッド様という個性がいなければ、国家は再びちりぢりに乱れてしまいます……」
「ならば、俺が王になったほうがマシということだな」
結論をケララの口から言わせるのは可哀想だったので、俺が言った。
ケララはうなずくだけでよかった。
「ただ、これは、あくまでも世のためということを、お忘れなきよう」
釘を刺すようにケララは言った。
「私はラヴィアラさんのような忠臣とは少し違います。もし、アルスロッド様がかえって世を乱すためと判断したならば、弓を引くこともありましょう」
わずかに、ケララの声はふるえていた。もとより覚悟がなければこのような言葉は吐けない。とはいえ、それでも平常心でいることも難しいだろう。
俺は席を立ち上がって、ゆっくりとケララの後ろに回り込んだ。
そして、その両肩に手をぽんと載せた。
「絶対素晴らしい世界にしてやる」
そう、口で誓うのが俺にできる今のすべてであって、最善のことだと思った。
ケララの後ろに来ているからもちろんその顔は見えない。それでも、ケララの気持ちは伝わってくると思った。
テーブルにケララの涙が一粒落ちた。
「はい……。どうか、私を裏切らせないでください……」
左手で、ケララはさっと目元をぬぐった。
「ここ最近、自分が怖くなるのです。夢で、どこかの宿所に入っているアルスロッド様を兵を差し向けて討っている……。そういった夢を見ることが増えてきて、怖くなってたまらなくなることもあります……」
「それはきっと、お前の職業のせいだろうな。アケチミツヒデという職業だったか」
ケララの職業はかつてオダノブナガを殺した家臣の名前だという。それがケララの心に知らず知らずのうちに影響を与えてしまっているとしても、おかしくはない。
「もし、恐ろしいなら私を殺していただいたほうがいいかと思います」
生真面目な性格だから、ケララは本気でそう言っているのだろう。
「実直なように見えるかもしれませんが、私のどこかには破滅願望のようなものが潜んでいる……不気味な夢を見るたびにそう感じます。きっと、私がいなくてもアルスロッド様の統一事業に支障はないでしょうし……」
俺は後ろからゆっくりとケララに腕を回した。
「お前みたいに優秀な将を使えないような奴は、どのみち摂政にも王にもなる器じゃない。俺はお前がどんなじゃじゃ馬でも乗りこなしてみせるからな」
「わかりました。ですが、私も言うべきことは言いました。処断なされたい時はそのようにしてくださればけっこうですので……」
「それより今はお前を抱きたい」
俺は率直に自分の欲望を口にした。
「こんな話をした後にですか……?」
「お前を乗りこなしてみせると言っただろう。それに憂いを忘れるには、快楽がいい特効薬になる。これは冗談じゃなくて、本当のことだぞ」
ゆっくりと俺の腕をほどいてケララは立ち上がると、それでは失礼いたします。
俺のほうに寄りかかって、くちびるを求めてきた。
そこからは場所を移動して、逢瀬を楽しんだ。楽しんだというより、ケララのほうも不安をかき消すように必死にこちらを求めてきた。
ずいぶん激しいやりとりの後、俺たちは同じベッドで横に並んでいた。
「このような調子なら、あなたはいつでも暗殺されてしまいそうですね」
「まさか。心が許せる者としかこんなことはしないさ。下手をすると、陛下よりよほど刺客に怯えないといけない立場なんだからな」
ベッドの中でケララの手を握った。
この手が俺を討つことはきっとないだろう、となぜか無条件に思った。
なにせ、裸の付き合いをしてるんだからな。今更、不満を隠してブスリとナイフを刺すだなんてこともないだろう。不平があれば、言ってくればいいんだから。
「私、ケララ・ヒララはアルスロッド摂政閣下のために衷心より励むつもりです」
ベッドのケララの横顔を見て、確信した。
ケララは俺のことをちゃんと愛してくれている。今回の話もその裏返しみたいなものだ。
そう考えたら、ケララのことがいとおしくなった。
「ケララ、もう一度だ」
「私は疲れました……」
「衷心より励むんだろ?」
俺はまたケララの褐色の肌に抱き着いた。
こんな心のまっすぐな家臣を持てて、俺はこれまで以上に満足した。
そして、この家臣を俺に差し出したハッセって男を王にしてるようじゃ、この国ももたないだろうとも思った。
やはり、俺が王になるしかない。
それこそ、この国のためだ。




