105 ラヴィアラとの思い出
どこからともなく飛んできた弓矢で敵がばたばたと倒れだした。
「くそ! 敵だ!」「どこにいる?」
敵兵が足を止めて、飛んできた場所を探すが、無駄だ。
実のところ、俺にすらそれはわからない。
ぱっと見、とても矢がまっすぐ飛んできて自分に刺さるようなところがあるようには思えない。周囲は無数の木で覆われていて、とても視界が広がっているところなどないのだ。
しかし、それでも矢を撃てるのが、ラヴィアラとその部隊だ。
ラヴィアラの射手という職業、そして自分の故郷という地の利。
エルフという弓矢に長じた種族。
ここはラヴィアラたちが世界で最も活躍できる空間だ。ここにまで入り込んだら、もう勝ち目などない。
それに罠もしっかりと張っている。
森に走り込んでいた敵兵が穴に落ちた。悲鳴が聞こえるからそれでわかる。
落とし穴は何箇所も作っている。ただし、たいして深くはない。
浅かろうと、それでバランスを崩して穴にはまれば、矢を射かけられて、殺される。
さてと、今のところ、順調にいっているな。ラヴィアラと合流するか。
ラヴィアラは小高い木の上に立っていた。
一見、とても登れないように見えるがちゃんと、周囲の木の幹を使っていけば比較的容易にそこにいけるようになっている。
せっかくなので、俺もそれを試してみた。多少危なっかしいところもあるけど、そんなに体は重いほうじゃないから、ちゃんとたどりつけた。
「あっ、ここまで来たんですか? 落ちないでくださいね?」
「意外と体が覚えてるな。大昔もここまで登ったことあったよな」
アウェイユの森は俺にとっての遊び場の一つでもあった。ネイヴル城は居心地が極端に悪いし、挙句ハルト村なんて郊外の無理に飛ばされるし、欝々とした時はラヴィアラに森に連れていってもらった。
木の上からは戦局がなんとなくわかった。
敵の困惑の声が聞こえてくるのがわかる。少しずつ、兵の数を減らしているようだ。きっちりと迷い込んでくれている。
「エルフは本当に優秀だな。もう、敵のほうは指揮もとれてない」
「エルフの森にそのまま突っ込むだなんて、愚の骨頂ですよ。アウェイユの森のエルフがことさら優秀とは思いませんけど、森の戦い方を知らない人がどれだけ来てもいいカモですね」
兵の数も多いし、これぐらいなら押し込んでいけば、どうとでもなる――そういう甘えが敵にはあったんだろう。
それに摂政を逃がすと、面倒なことになるという思いもあったはずだ。自分たちは賊軍だから、早々と勝利をつかまないといけない。流浪中の前王はいるけど、自分たちで保護しているわけでもない。大義名分にも程遠い。
「アウェイユの森を背後から攻めてきている連中もいるだろうけど、そっちも大丈夫か?」
「はい、入り口を切岸のようにして、人工の崖にしていますから、突破不可能です。高所から矢を射かけられて、さんざんな目になっているはずです」
エイルズ・カルティスも本当に細心の注意を払えば、森を攻めることなどしないはずだ。
だが、その余裕がない。
どうにかできるという希望的観測にすがって、俺を攻めた。
俺はすでに勝つことを諦めている。
森とはいえ、数で圧倒している。
俺の側に十分な準備ができる時間はなかった。
いくつもの情報を都合よく集めて、勝てると思い込む。
それこそが一番大きな罠だ。
「さてと、モータイはどこにいるかな。安全策をとるなら、森には入らないだろうけど」
「入っていますよ。摂政を殺せば、一生ものの武功ですよ。たとえ危険があっても首を突っ込みたくなるでしょう」
「だな。俺もラヴィアラの読みに賛成だ」
やがて笛がピューピューと鳴り響いた。
「この鳴らし方だと、敵将を殺したってことか。さすがにモータイじゃないだろうが」
「あっ、モータイらしい将がいますね」
ラヴィアラがそう言ったが、どこにいるのか、とてもわからない。
「本当か? 兵が動くのぐらいはわかるけど、一軍の将が混じっているのなんて全然わからないぞ……」
「ああ、少し遠すぎて、わかりづらいかもしれないですね。ですが、間違いないです」
そして、ラヴィアラは弓矢をさっと構える。
横にいるだけで熱さを覚えるほどのオーラをラヴィアラから感じる。
「さてと、死んでくださいっ!」
それは鉄砲をぶっ放したと錯覚するほどの威力だった。
矢がわずかな木の隙間を縫うように走り――
遠くの何者かにたしかに突き刺さった。
さらに一発、続いてもう一発。
弓矢は木の幹に決して阻まれることなく、何かの肉を次々と貫いていく。
やがて「モータイ子爵が撃ち殺されたっ!」といった悲痛な声が響いた。
「ねっ? アルスロッド様、本当にいたでしょう?」
いたずらっぽくラヴィアラは微笑む。
「やっぱり、お前は弓の天才だな」
射手という職業をここまで極めているのはラヴィアラぐらいだろう。
「知らない森ではこうはいきませんよ。でも、ここだけは特別です。アルスロッド様との思い出もいくつもありますから」
そのラヴィアラの顔は幼い頃に追いかけていた姉じみたあの表情に近かった。
なのに、そこに違う感情が混じってしまうのは俺が大人になった証拠なんだろう。
戦場では場違いかもしれないけれど、俺はそっとラヴィアラとくちびるを重ねた。
「また、お前に子供を産んでほしいな」
「エルフってなかなか子供はできないんですけど、頑張りますね」
モータイが死んだこともあって、敵軍はいよいよ混乱し、多数の死傷者を出した。
エルフの森で敗残兵になるなんて、生き地獄も同然だ。落人狩りを徹底してやられるだろう。
俺は自軍の兵を集めて、こう言った。
「無事に敵の出鼻をくじくことができた。今から、主戦場のほうに戻るぞ。俺の留守を預かっている連中をねぎらってやらんとな!」




