閑話2
参謀補佐であるマティスはぶつくさと文句を言いながらも、執務室で書類に目を通していた。現在彼の叔父である参謀は使い物にならない。と、いうのも、不定期に王都から秘密裏に送られてくる手紙を、自室でゆっくりうっとり目を通しているだろうから。
(ったく、仕方のない人だな)
けれどマティスとて、叔父の唯一の癒しの時間を邪魔したくない。だから文句は垂れるけど、それでも代わりを担うのは、少々哀れだと思っているからに他ならない。
マティスはこの解放軍では珍しく奴隷ではない。様々な街では他の平民を手助けしてくれるけど、奴隷に落とされるのを怖がって解放軍に参入することは今のところない。現在貴族として参加するスースと、マティスのみが『誓約』のない自由な立場である。
と言っても、スースが無茶な命令を下すとは思えないし、彼は現在の身分制度に絶対反対だ。
(身分制度っていうより、第三王女を目の敵にしてるよな、あの人)
マティスとて第三王女を始めとする奴隷賛成の貴族には嫌悪を示している。マティスの両親を殺し、母の弟である叔父を奴隷にしたのは、他でもない彼らだから。
だけど、スースの場合は少し違うかもしれない。多くの仲間はスースを地方貴族の末席のしがない青年貴族だと思っているかもしれないが、かつては中央にいた人間だった。けれど若くして中央に嫌気がさして放浪の旅に出てしまったという。
その彼が、こうして解放軍に常時いてくれるのは心強い。特に今はマティス達と志を同じくする貴族とは連絡が制限されており、貴族と会談を申し出る時の窓口になったり、貴族としての意見を聞きたい時に重宝する。何より彼なら、
「何難しい顔してるんだい?」
「ああ、スースさん。丁度あなたのことを考えてましたよ」
「へぇ、それはそれは。で、おれの何考えてたの?
「スースさんの立場の人がいると、随分色々と楽だなと」
「ふーん?おれの評価って、立場だけ?」
「変に拗ねないでくださいよ。面倒だな。あなたボクより年上でしょ。汲み取ってくださいよ」
「汲み取って誤解するよりいいだろうさ。で、どうなの」
どこか目を輝かせる年上の青年貴族に、マティスは胡乱気な視線を送る。
彼の言もわからなくはないが、己の評価を面と向かって聞きたがるなんて悪趣味だ。こういう大人にはなりたくない。
「個人的に見れば、敵です。好感度はマイナス値でしょうね」
「えー、それ酷くない?おれは結構マティスには優しい人のはずだけど」
「優しいかどうかではなく、単に叔父の敵でしょう。叔父の敵はボクの敵です」
「うわ出たよこの重度のアンコンめ」
「家族仲が良いのは結構なことじゃないですか。ボクとしては叔父の幸せを願っていますので」
「おれの幸せは願ってくれないのか」
「『それ』以外の点では願ってますよ。ええ、仲間ですからね、願ってますって。一応」
「一応なんだ…」
情けない顔をするスースに容赦のない言葉を浴びせる。これで叔父の幸せが少しでも近づくなら易いものだとマティスは鼻を鳴らす。
叔父が奴隷に落ちた時、まだマティスは幼く覚えていない。周囲の人間の決死の覚悟でマティスは保護されたが、甥を逃がすための時間を稼いだために叔父は捕らえられたと聞いている。
だからこそ、マティスは成長してから叔父を探す旅に出た。この状況下、奴隷になった命の危険に常に晒される。だがマティスや彼を育てた人間は、叔父が生きていると信じていた。
何故なら美しい容姿を持つ奴隷は、用途が異なるから。
北の血を色濃く残した叔父は、幼い頃からその容姿を天使のようだと褒め称えられていた。殺されず奴隷に落とされたのもその容姿故だろうと誰かが言っていた。
だから、どんなに辱められようとも、きっと簡単には死なないだろうと。
(で、見つけた時にはあれだったからなぁ…)
マティスは、叔父の主と刺し違える心意気だった。そうすれば『誓約』は消えなくても叔父は一瞬でも自由になる。その間にどうにかしてくれるだろうと一縷の望みを託そうとしていた。
だというのに、あの叔父の、主に対する心酔ぶりといったら、決死の覚悟で短剣を忍ばせていた自分が馬鹿みたいだった。
とかく、予定外のことはあったが、マティスは叔父の主の下に留まることを決め、眷属になることなく始めから解放軍に参加している。
そうして共に暮らしている中で叔父の有能っぷりに感動し、こんな人になりたいと憧れて…いる、の、だが。
「リュカ、やっぱり帰ってこなかったね」
「おかげで叔父がしばらく嫉妬に狂ってましたよ。宥めるの大変だったんですから」
「いやいや、リュカだからあの程度で済んだのであって、あれが別の誰かだったら参謀放り投げてでも王都に直行しただろうさ。丁度ほら、代わり身がいるわけだし」
「ボクじゃ叔父の代わりになりませんよ」
「でも他の誰かに押し付けるよりましだろう?で、ニルスもそのまま帰ってこなくなる、と」
「そしたら今度はスースさんが行くでしょう」
「当然。でもおれだけじゃないと思うけどね。そしたらほら、解放軍の初期メンバーは総崩れになる、と」
「嫌な予測立てないでくださいよ。洒落にならない」
「本当に、洒落にならないよなぁ」
スースは能天気に笑うが、現実として起こる可能性があるだけに自然苦い顔になる。
(初期メンバーの、あの人に対する思い入れが強すぎる)
残ってくれるのは僅かだろう。それこそマティスしか残らないかもしれない。
疲れた息をついたマティスはそうならないようにだけ気を付けなければと気を引き締める。解放軍がようやく力を付け始めたのだ。瓦解などさせてたまるか。
その中心は一枚岩となって動いているのが強みだが、同時に弱点も同じだ。
(あと少し、少しだけ我慢してくださいよ)
叔父を始めとする面々の限界が来る前に、早期に事を進める必要がある。
「参謀補佐も楽じゃない…」
この時マティスはまだ十七、癖のある仲間達を抑えるのに苦労している。