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1

 青年オマールは今年で十九になる。


 その歳の割には鍛え抜かれた身体を持ち、まだ少しだけあどけなさが残る。しかし槍を持たせれば一騎当千、鬼神として恐れられていた。

 しかしそれを名誉だとも、誇りだとも思わなかったし、思えなかった。

 槍を振るう度に左腿に刻まれた紋様が疼き、命令をされれば勝手に動く身体が憎かったのだ。

 オマールは奴隷だった。子供の頃に強制的に『誓約』によって左腿にその証を刻まれ、戦い続けることを強要された奴隷だった。


「生き延びたいなら、強くなって戦いに勝ち続けることだ」


 そう奴隷商人は言った。武器など持ったことのない、真白な手を持つ当時の少年にそれだけ告げて、奴隷商人は彼を競にかけた。

 それがオマールの、奴隷人生の幕開けだった。


◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆


「次の狙いはここです」

 すっと、オマールは少しの間だけ閉じていた瞼を押し上げた。

 冷たい声と共に指さされたその紙面に焦点を合わせれば、明日踏み込むことになっている屋敷の図案が目に入る。

「主は二人、いつもどおりその身柄確保が最優先となります。…くれぐれも奴隷たちを傷つけないようにしてください」

 日が落ちたことで暗くなった天幕の中、ランプの灯りを頼りにした会議は密やかに行われていた。ここにいるのは幹部クラスで、数は二十もいない。皆真剣な顔つきで参謀の話を聞いている。

「まず攪乱部隊が屋敷を警備している連中をおびき出し、屋敷から引き離します。ある程度距離を稼いだら、主力部隊に敵を引継ぎ後退してください。その間に精鋭部隊が屋敷に忍び込み、二人を捕らえます」



 参謀の話を聞きつつ、今ここにいることにオマールは少しばかり不思議な気分になる。

 数年間奴隷として過ごしていたオマールは丁度一か月前、突然現れた解放軍によってその身を解放された。

 当時のオマールの主は解放軍に捕らえられ、脅しに簡単に屈し『誓約』を手放した。

 それだけなら主が変わるだけだったのだが、オマールの新たな主となった男は解放軍に参加している貴族で、本来の身分制度のとおりオマール達の生活の保証人となった。

 解放軍としては身分を平民に戻したいらしいが、平民に戻せば再び他の貴族によって奴隷に落とされる危険があるので、今すぐにはできないと説明した。

 勿論それに不信感を覚えて反発する者もいなかったわけではないが、解放軍に全面的に協力している貴族だということで溜飲を下げる。再び奴隷になって、性質の悪い主を掴まされるよりは、と納得する者が多かった。



「ま、大体こんなもんかな。質問とかあるなら受け付けるけど、どう?」

 参謀の話が終わってから、今まで黙っていた解放軍のリーダーは気軽に尋ねる。元々明るいめの性格ではあるが、更に明るく振る舞っているのは緊張気味の空気を吹き飛ばすためだ。

「今回初陣になる人が多いのはわかってる。だけど、きちんと手筈どおりに動けば大きな問題は起きないよ。気の緩みは厳禁だけど、あんまり重く考えると身体が動かなくなるからさ」

 ふっと余裕の笑みを浮かべる。

「大丈夫、皆なら必ず勝利をもぎ取って、生還できる」

 聞きようによっては無責任な発言だが、不思議なことにこのリーダーが言うと何故か信じられる。信じて、大丈夫だと余計な力が抜けていくのを感じる。

「だから、力を貸して。かつてのあたし達のように、不当な扱いを受けている仲間を救うために!」

 その掛け声に、一同が雄々しく肯定の声を挙げる。オマールもその一人であり、初参戦にやや興奮気味であることを自覚していた。

 『誓約』によって意に沿わぬ命令を遂行していたあの頃とは違う。己の意志でこの道を選び、己の力で同胞を救うことができる。その高揚感に酔いしれそうになる。

 全体の雰囲気を見渡してからリーダーは頷き、解散を命じる。

 実行は夜が明ける前の四時。

 それまで十分に休んでおくようにと言い渡されたオマール達は、熱気をそのままに天幕を後にした。



 解放軍はそのほとんどが奴隷である。そしてその奴隷のほとんどが、解放軍と共に動いている唯一の貴族を主としている。

 しかし少数ながらその貴族を主としない奴隷がいた。初期から解放軍に参加している七人がそれに該当する。その中には先程の会議にいた、リーダーや参謀も含まれていた。一体誰が主なのかと解放軍の中でも噂になるが、オマールが聞いた限りでは誰も知らないと言う。

 奴隷が奴隷の主になることはできないことから、解放軍の中ではその貴族を抜かせばただ一人、平民の身分を持つ少年が主なのかと噂になっている。

 否定も肯定もせずにただ笑うだけの少年もまた、初期から解放軍を支えているメンバーの一人だ。参謀の補佐を請け負っている。

 主のわからない七人と、平民の少年と、貴族の青年。この九人が主だって解放軍を回している。



 しかし、とオマールは己の天幕に戻ってから考える。

 結局のところ、こんなことを続けていても、根本的な解決にはならない。

 再び奴隷に落ちることを恐れて『誓約』を解除することができない状況を打破しない限り、ただただ解放軍に所属する奴隷の数が増えるだけだ。

 不当に『誓約』を結ぶ貴族をどうにかしなければならない。

(数を増やす、それが狙いか?)

 ごろんと寝返りをうち、興奮からか全く来ない睡魔に悩まされるオマールは考える。

(まともな主の下にいるとはいえ、『誓約』がある以上俺達は一生奴隷だ。いや、例え平民に戻ったとしても同じこと。今のこの国では平民も奴隷も大して変わらない)

 平民だって、いつどんな理由で奴隷に落とされるかと内心怯えながら暮らしている。

 既に奴隷に落ちたオマール達がやっていることは、不当に扱われている奴隷を解放軍の内部に取り込みつつ、主だった人間を捕らえて牢屋に入れることだ。

 だがそれでは末端を叩くだけで、問題の解決には繋がらない。

 もっと根本的な解決が必要だと、解放軍の上層はとっくに気づいているはずだ。

(解放軍が今動いているのは、身分制度を悪用する貴族や王族をいかに取り押さえるかの証拠を集めるため、もしくはここまで奴隷の数を増やしたことを議会に報告するため…それくらいしか理由が思いつかないな)

 主としての権利を一人の貴族に集中させるのはそのためだろうか。それにしてもオマールはやや不安だった。

 もしこの貴族が王族の不満を買って奴隷に落とされた場合は、その王族がオマール達の新たな主になる。

(その可能性があるのは悪女か、もう一人の悪女の息のかかった人間だ)

 悪女である第三王女、もう一人の悪女の言いなりと言われている国王や第四王子。

 この三人なら、簡単に気に入らない貴族を奴隷に落とすだろう。そしてそうなった場合、『誓約』によってオマール達は主に逆らえず、解放軍を崩壊の危機に追いやるだろう。

(まだまだ不安定な足元だ)

 そう考えていく内に、興奮は冷めて厳しい現実を前に気分が暗くなる。

 今はまだ、何の解決にも至っていないのだ。ただ今この瞬間だけ、『誓約』によって理不尽な命令が下ることも無く、他の奴隷を救えるという英雄の気分に浸れるに過ぎない。


(先はまだ真っ暗だな)


 オマールが参戦した時は既にかなりの人数を抱えていた解放軍は、おかげで初期メンバーと最近加入したメンバーの差異がある。それでもオマールはその強さを買われて幹部に抜擢されている関係上、上層部と顔を合わせることは多いのだが…。

(上の連中が何を考えているんだかさっぱりわからない)

 それがオマールの、正直な感想だった。



 だがそう悩んだところで打開策があるわけでもなく、この流れに身を任せるしかなかった。

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