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ズルズル
ズルズルズルズル
何だ、何の音だ
「っ、きつ、重た、い」
誰だ、これは誰だ
「目、覚ました、なら、ちょっとは、歩いて、よ」
少年?まだ俺より、ずっと幼い…?
「そう、辛い、だろう、けど、頼む、よ」
どこに向かっているんだろうか。俺は帰らなければならないのに
「あな、た、オマール、さん、でしょ」
何故俺の名を知っている?
「知、ってる、よ。クロ、エさん、嬉し、そうに、話して、たから」
そうだ、俺はクロエの、クロエ達の下に帰らなければ
「わか、ってる、よ。僕、だって、仲間、悲しま、せ、たく、ない」
君は、連れて行ってくれるのか
「当た、り、前で、しょ」
そうか、そうか…
「っ、意識、保って、てよ。僕、一人じゃ、潰れ、る」
ああ、わかった。帰るためなら、
――――何だって、する
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
クロエは待っていた。
治癒部隊の天幕の外、晴れた空の下で、愚直なまでにその人の帰りを待っていた。
帰ってこなかったら、とは考えない。
待たない覚悟は捨てた。待ち続ける覚悟を決めたのだから。
(オマール)
最愛のひとの名を呼ぶ。
始めはただ、腹が立った。
弟達が決死の覚悟でその命を生かそうとしたのに、死を望んだ彼を前に目の前が真っ赤になった。気づいた時には手を上げていて、そんなことをした自分が信じられなくて驚いた。
だけど、叩かれた彼はもっと驚いたはずだ。だけど後にも引けなくて、とっさにクロエは主の真似をした。
生きてください。生きる権利があるのですから。
それはかつて、クロエ姉弟へ向けられた言葉だった。他者を拒絶した二人に与えられた、厳しく、そして優しい掌。
今度はクロエが差し伸べる。死を望む、かつての自分達の写しのような強き男に。
傲慢だ、と言われた。そのとおりだと、自分でも思う。だけど、生きて欲しかった。男が絶望するほど、世界はまだまだ捨てたものではない。少なくともクロエはそう思ったから。
だから、笑った。自分でも驚くほど挑発的に、男に挑みかけた。
だったら教えてくださいな
それで終わると思っていた。だけどそれが始まりだった。
クロエの弟ロイクは新たに加入したその男のことをクロエによく話した。
とても強いこと、歯が立たなくて悔しいこと、いつか追いつきたい目標であること。
あれからクロエは男と顔を合わせることもなかった。だけど、弟がいつも話してくれるから、とても近しい存在に感じていた。
そんなある日、鍛錬を終えたらしい男が外で寝転がっているのを見かけ、気安く声をかけてしまった。弟の洗脳のおかげで、クロエの中ではすっかり親しい間柄のつもりだったのだが、相手からすればそうではない。微睡んでいたはずの眼が驚き大きく見開かれ、ようやくクロエは自分の失態を悟った。
でもやっぱり引くに引けなくて、そのまま何となしに男の隣に座り込んだ。それが二度目の接触だったと思う。
男の傍はどこか居心地が良かった。
周りから優しい雰囲気だ、心が安らぐともてはやされるクロエだったが、自分ではそうだと思わない。だけど皆がそれを望むなら、それが主のためになるならば、と意気込んで疲れることもあった。
男は違った。クロエに必要以上の言葉を求めなかった。そこにいるだけで、男は緩やかな表情を見せた。特別な態度も、相手を気遣った言葉もなく、クロエと言う存在を欲してくれた。それがクロエには嬉しかった。
そしてまた、クロエもただ男がいてくれるだけで良かった。男はあまり喋る方ではないし、きっと耳障りの良い言葉を紡ぐのは苦手だと何となくわかった。それでも、クロエはその大きな背に、揺るがない肩に、包み込むような腕に、言いしれない安心感を抱いていた。
二度と得られないと思っていた、親に抱かれるような感覚を、彼はいとも簡単に与えてくれた。クロエが捨てた甘えたい気持ちを、男は拾い上げてクロエごと抱きしめてくれた。
クロエは願う。
クロエを必要としてくれて、クロエが必要だと思う、たった一人、大事なひとを。
「返して…、帰って、きてください…!」




