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七章  ボトルシップ  1

 ディルが目を覚ましたのは、空がライラック色に染まる夜明け近くの時だった。窓の外を見ると、やはりそこは海だった。昨日と変わらない穏やかな波が、この日の始まりを静かに告げてくれていた。

 隣で眠っているレンは、寝相も良くとても静かだったが、向かいのジェオときたら、両足がベッドの脇から飛び出し、うなりのようないびきがやたらとうるさかった。ジェオが静かな時はいつなのだろうかと考えていると、隣のユンファのベッドがカラッポなことにディルは気付いた。布団はしわが見当たらないほど綺麗に畳まれており、カメと小ネズミの姿もそこにはなかった。

 ディルは二人を起こさぬよう、ゆっくり、静かに廊下まで歩いた。この船はどこを歩いてもよくきしむので、細心の注意が必要だった。レンはともかく、ジェオの睡眠を妨げるような行為はしない方が身のためだ。

 廊下は相変わらず真っ暗だったが、気分は昨日よりも大分明るかった。アジトのみんなと知り合えたことが心の支えになっているようだ。床にへばりつく苔に足を取られようとも、目の前が漆黒の闇で閉ざされようとも、今のディルにはもうへっちゃらだ。

 螺旋階段を上がり、デッキへ出ると、そこはもう別世界だった。辺りには朝霧が立ち込め、暖かな曙光に照らされて光の粒がキラキラと輝いていた。潮風は肌寒かったが、とても気持ちが良かった。東の水平線から現れた太陽の陽射しが、船を包み、浜辺を通り、そしてヴァルハート国全体を照らし出した時、教会の鐘楼から、朝の鐘の音が鳴り響いた。わずかだが、ディルのいるこの船にも鐘の華麗な響きが伝わってきた。その鐘の音に混じり、ディルに声をかけたのはユンファだった。


「おはようございます。ずいぶん早起きですね」


 マストの上から二重縄を伝って下りてきたユンファのその格好は、まるで大工だった。腰に巻かれた太い革のベルトには、木づちや巻尺、長短様々な釘の入ったフタのない木箱がぶら下げてあり、兵士たちの愛用するクリーム色の小汚い兜が黒髪を包み込んでいる。兜を外すユンファの表情は、見ていてすっきりするような爽やかな笑顔だった。


「おはよう。上で何やってたの?」


 大工道具一切を兜の中に詰め込んでいるユンファを凝視しながら、ディルは聞いた。


「修理です。ここに来てからは、レンさんに色々頼まれました」


 ガチャガチャとひしめく兜を小脇に抱えながら、ユンファはついておいでとディルに手招きした。ユンファが他とは色の違う床板を大股でまたいだ時、振り向きざまにディルにたしなめた。


「ここ、踏まないで下さいね。抜けますから。ジェオさんってば、僕が何度も忠告するのに、もう三回も足を突っ込んで壊しちゃったんです。ここの下はトイレなんですけど、配管の水漏れがひどくてすぐに床板が腐っちゃうんですよね」


 ユンファは、自分が考えた『床板を腐らせない方法』を延々とぶちまけていたが、船尾に辿り着くと子供のような笑顔をディルに見せつけて、カメと小ネズミがごろ寝している所まで駆けて行った。


「アルマと一緒にこの子たちをさらった時は、とても苦労しましたよ」


 ユンファは小ネズミを肩に乗せ、カメの甲羅を優しくさすりながらそう切り出した。


「やっぱり、あの仮面組みの正体はユンファとアルマだったんだね」


 ユンファにすっかりなついてしまっている二匹を交互に見つめながら、ディルは心の中のもやもやがまた一つ消えたことに、刹那の喜びを感じていた。


「どうしてあんなことしたの?」


 また歩き出したユンファの背に向かってディルが質問した。

 煙幕を使って広場中を混乱させたこと、シュデールたちを眠らせ、“お届け物”の動物たちを誘拐し、そしてディルを挑発したこと……あの日の記憶が次々と甦ってくる。

 ユンファは、チョコレート色のペンキが並々と入った、ステンレス製の巨大なバケツの前で立ち止まった。


「さっきも言いましたけど、レンさんは色々な注文をしてくるんです。僕はこういった修理作業なんかには少し興味があったので、最近では自分からすすんでやらせてもらっているんですけどね」


 ここまで言うと、ユンファはデッキの隅の方に放り投げてあった刷毛を二本拾い集め、そのうちの一本をディルに手渡した。手伝いを頼まれたのだと、ディルはすぐに理解した。しかし、ディルが受け取った刷毛は毛が真ん中から左右に分断していて、とても頼りなさそうだった。


「だけど、二週間くらい前、レンさんはいきなり『動物を盗んで来い』って言い出したんです。僕はその目的を何度も聞いたんですけど、絶対に教えてくれないんです」


「きっと、あのカメとネズミには、誰にも言えない秘密の力があるんじゃないのかな?」


「あ、やっぱりそう思います?」


 二人はバケツの中に刷毛を突っ込んだまま、興奮した面持ちで会話していた。それから、カメと小ネズミの“秘密の力”について、船の縁のペンキ塗りをしながら討論を始めた。


「レンに魔法を教えているのかも。もしくは魔力を与えているっていうのは?」


 しかし、ディルのこの意見は、ユンファにあっさりと否定された。


「それは違いますよ。あのカメとネズミを盗む前から、僕はレンさんの魔法を目撃していますから」


「それじゃあ、あの二匹がこの船にやって来てから、何か変わったことは? 例えば、よく魚が釣れるようになったとか」


「なるほど、それはあるかもしれません。ジェオさん、最近ではめっきり叫ばなくなりましたから」


 ディルは無理に笑い声をしぼり出していたが、突然、ユンファが弾かれたように立ち上がったので、ディルは呆気に取られて刷毛を靴の上に落とす所だった。


「どうしたの?」


ユンファをへたに刺激しないよう、囁くような口調でディルが聞いた。


「あの二匹の持ち主はキングニスモだったんですよ! キングニスモって、どこかで聞いたことある名前だなあって、ずっと考えていたんです。でも、ようやく思い出すことが出来ました!」


 ユンファは刷毛を乱暴に振り回し、ペンキをあちこちに飛ばしながら、すっかり興奮しきった様子でそう叫んだ。ユンファは陽射しを背にしていたので、ディルはできる限り目を細めながら、黒い影のようなユンファを見上げた。


「キングニスモっていったら、有名な映画撮影隊だよ? みーんな知ってる」


 ディルが全く興味を示さなかったので、ユンファは不気味に微笑みながら、その場にしゃがみ込んで作業を再開した。ディルの気をわざと引かせようと目論んでいるようだ。


「ねえ、キングニスモの何を思い出したの?」


 ディルはすぐに観念した。ユンファが輝くような笑顔で振り向いた。


「キングニスモはみんなが認める最高の映画撮影隊です。でもそれは表の顔。裏では極悪で名高い犯罪組織で通っています」


 満面の笑顔で言うには、度が過ぎていた。ディルは半ば呆れて、返す言葉が見つからなかった。


「あ、信じていませんね? まあ、僕も実際に悪さを働くところを見たわけじゃないんですけどね。でも、もしこれが事実なら、あのカメとネズミはどこからか盗まれたもので、とても貴重な代物かもしれませんよ」


 それから二人は、黙々とペンキ塗りに励んだ。左右の縁に別れて作業したため、会話するには不便な距離だったからだ。その間、ディルがふと思ったことは、ユンファの言っていたことにも一理あるということだった。広場でのラーニヤとシュデールのやり取りや、レンを探し回っていること、この船のことだってしつこく聞いていた。それに、世界支配を企てるカエマがキングニスモを呼び寄せた。もし、カエマがキングニスモの正体を知っていたとすれば……?

 作業を始めて十分ほど過ぎた時、船尾の階段を駆け上がる足音が、二人の手をピタリと止めさせた。まだ寝足りなさそうなガウン姿のレンが、大きなあくびをしながら現れた。


「二人ともここにいたのか。もうすぐで朝飯の時間だぜ。アルマがぼやき始める前にさっさと行こう」


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