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Multi Element 〜刻(トキ)の代償〜  作者: kon
5th MEmory 残存記憶―Relict Memory―(B)
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(10)

Multi Element、最終話。

ブクマ、コメント等よろしくお願いいたします。

「面会の間は、こちらのプレートを付けておいてください。入室許可証の代わりになりますので」

 園立美山病院のフロントで未来はその薄緑色のプレートを受け取ると、ゆっくりと歩き出した。


 緋瀬未来は死ななかった。


 外傷を受けたショックでその前後の記憶がないのだが、この美山病院で目覚めた未来に香子が話してくれた内容によれば、未来は即死してもおかしくないレベルの重傷を受けたということらしい。

 しかし、実際に病院に搬送された時には傷の大部分は回復し、一番外側の皮膚に跡が残る程度にまでになっていたという。そのため、あの遊園地での出来事からたったの一日で退院した。


 だが、香子から語られたのは、それだけではなかった。


* * * * * *


 未来は二〇一号室という表示が提げられた病室の前で立ち止まった。胸元のプレートを外して入室のためのリーダーに翳す。するとロックが外れたらしい音が聞こえたのと同時にスルスルとドアが開いた。


 そこにいたのは、黒髪の少年だった。


 左の肩にはグルグルと包帯が巻かれている。香子によれば、肩から先が丸ごと切り落とされたらしい。

 だが今はしっかりと肩の先まで存在している。もちろん、「本物の」腕ではないらしいが。見た目は確かに人体だし、実際構成している物質も化学的に言えば人体と言えるらしいが、それでもその腕は彼が生まれもったものではない。

 すなわちMEによって生成されたものである。

 現在のME技術に「生命の生成」は不可能である。そもそも生命というものがどういうものであるかという問いに誰もが納得できる解答が導き出されないうちは「生命の生成」が叶うわけもないのだ。

 裏を返せば、MEの発見によって進化した科学でさえもその問いに答えを出せていないということではあるのだけれど。

 だが、今彼の義腕として生成されているのは「物質」としての「肉体」である故に生成が可能であるということらしい。肩口に取り付けられた黒いリング状の装置にイメージ演算領域の一部を義腕の生成のため常に割かなくてはならないという問題を抜きにすれば、特に不自由なく暮らせるということだった。


 ただし「不自由なく暮らせる」というのは「身体的なダメージに限っては」という話である。



「あの……すみません」

 少年は未来に気付くと、非常に申し訳なさそうに言った。


「あなたは……『僕』の知り合いの方ですか?」



 それは紛れもなく少年が発した言葉だった。

 「緒多悠十だった」少年の言葉だった。


 香子によれば、蓼科に勝利した悠十は重傷を負った未来の傍らに座り、手を翳したかと思うとその身体を赤色の光と水色の光が取り囲んだのだという。そして御縞学院で見たのと同様の二つの光のせめぎ合いが数秒続き、それが止んだときには悠十は未来の身体を庇うように倒れていたということだった。

 その後悠十と未来はこの美山病院へ緊急搬送されたのだが、先ほど言ったように未来が異常なまでに回復していたのとは裏腹に、悠十は身体的なダメージよりも大きな記憶というダメージを受けていた。


 それは悠十と未来が再会したときにも襲った絶望ではあるのだけれど、一度記憶を失った悠十がその重さに気付き、そしてより一層大事にしてきたことを知っている今の未来には前回以上の絶望に感じられた。


「あ、あのね、悠十くん」

「……」

 でも、もしかしたら。


「わ、わたしのこと覚えてないかな?」

「…………」

 きっと奇跡が。


「同じ小学校で、また学園で再会できて」

「………………」

 どうか、神様。


「わ、わたし久しぶりに会ったのに、階段から落ちちゃったよね」

「……………………」

 なんでもするから。


「でも、悠十くんが助けてくれて」

「…………………………」

 どうして、届かない?


「わ、わたしは、わたしはね悠十くん。そんな悠十くんのことが、この世界の誰よりも大好きだったんだ」

 そこまで言って未来はとうとう堪えきれなくなって崩れ落ちた。


 こんなのって。こんなのあんまりだ。






       「未来」






 え?

 少年の声が、悠十の声が確かに未来の名前を呼んだ。

「未来、そんなに泣かないでくれよ」

 え?

「ちょっと悪ふざけが過ぎたよね。悪い悪い」

 え?

「だって、悠十くんは記憶に重大なダメージを受けて……」

「ああ、うん。まぁそうなんだけどさ」

「香子さんが悠十くんはすべての記憶を失っているようだって言って……」

「ああ、香子さんにも言っておかないとな。記憶が戻ったって」

 悠十はやけにあっけらかんとした調子で話し始めた。


* * * * * *


「えっと……」

 ロゴスと緋瀬を蘇生させる方法を確認し、実際に能力を行使したときに一瞬思考回路が停止し、次に目覚めると真っ白な世界にいた。そう、ここは精神世界だ。ここに来たということはクロノスがいるということである。

「やぁ、ユウ」

 振り向くと、やはり例にもれずクロノスが白い箱に座っていた。

「緋瀬の蘇生は成功したのか?」

「まぁな。あの理屈回しの計画というのは概ね正確だからな。確かに、完全なるロゴスの力によって得た、真理という記憶をエネルギーに加算して、心象の力を打ち消そうとする力を抑えながらあの娘の命を救ったよ。それでユウの記憶も真理の記憶もきっかり消えた」

「そうか。てことは、またこの精神世界にオレが記憶を保ったままいるっていうのは、これから記憶を消す作業に入るってことになるんだな?」

 やるなら、スパッとやって欲しいところだ。あんまり焦らされると決心が鈍りそうになる。

 だが、クロノスの返答は思いもよらない物だった。

「いや、違う」

「え? だって、今言ったじゃないか。オレの記憶と真理の記憶を使ってちょうどなんだろ? だったら、今オレの記憶が残っているのはおかしいだろ」

「ああ、確かにそうだ。だから、言っただろう?『ユウの記憶も真理の記憶もきっかり消えた』」

「だから、無くなってないって言って――」

「じゃあ、ユウがあの娘と来た遊園地の名前は?」

「そりゃあ……」

 あれ? なんだっけ?

「あれ、なんでオレそんなことも忘れて……」

「そう、忘れてるんだよ、大部分のことは。ただ、それを他のもので少し補填したから、全部ではないというだけで」

「他のもので補填?」

「ああ。ユウが、いや、前のユウが記憶を失ったとき、何をしたか話してなかったな」

「あ? それと今なんの関係が――」

「いいから黙って聞け。昔のお前はな、絶望したんだ。自分という存在に。自分が存在していることを憎むくらいに」

「自分の存在を……憎む」

「ああ。だから自分に関する記憶と記録を消したがった。そしてそれを実行した。自分の記憶を代償に他人の記憶やあらゆる記録を抹消した。だが、一人だけ消さなかった人物がいた」

 そこでクロノスは意味ありげに自分の顔を撫でた。

「この顔と同じ者。いや、どちらかと言うとワタシがあの娘と同じ顔を持ったという方が正しいのか」

「まさか……」

「緋瀬未来、だよ」

 オレはあまりに突飛な話で、いや、今までのことも突飛だったには違いないのだが、それでも今回の話に関しては拍子抜けしてしまった。

「ユウは自分の中の彼女に関する記憶は消したにも関わらず、彼女の中の自分の記憶を消すことはできなかった。それは彼女とユウが交わした《約束》のせいなんだろうけどな。まぁその内容をここで話してしまうというのはいかがなものだろうか、とワタシなりの配慮に基づいて話すことはしまい」

「そんな……そんなことって……」

「まぁ信じられないだろうけどな。それが真実だ。だから安心しな。あの娘がユウの記憶を失っていないのは、ロゴスのおかげではない。もちろん自然な忘却をしなかったのはロゴスのおかげかもしれないが、だが、前のユウも今のユウと同じようにあの娘を大事にしていたということさ」

 蓼科が戦いの中で言っていたことに対して言っているのだろう。

 クロノスは箱から降りて伸びをしながら続ける。

「とにかく、ワタシはユウから余分な記憶を奪ってしまった格好になる。記憶は残存していた。残存記憶(レリクト・メモリー)だ。つまり、借金だな。そして前のユウはその借金の扱いについて、こう言ったのさ」


――もし、次の俺が、また記憶を捨てるようなことがあれば、その借金分で少しでも取り戻させてくれ。俺は間違った選択をした。だから、同じ過ちを起こさないように。


「………………」

 オレは何も言えず、クロノスの話を聞くことしかできない。

「だから、それに従ってユウの記憶の一部を取り戻した。だが何度も言うが一部だけだ。ユウは全ての記憶を失うつもりだったから、実感としてはあまり記憶を失った感覚はないだろうがな。まぁそれでも、一回記憶を失ってからエネルギーを使って取り戻したのだからそれなりのショックはある。意識が回復してからしばらくは記憶がない状態になるだろうな」

「前に一度失った記憶を取り戻すのは難しいとかなんとか言ってなかったか?」

「ああ、言ったよ。でも、よく考えてごらんよ。代償として記憶を払ったのは前のユウ、すなわちクリスマスのときのユウだ。そしてそれによって取り戻したのは今のユウの記憶ということになる。つまりね、記憶の立ち位置としては、未来を見たという形になるわけさ」

「それにしても、なんでロゴスはオレにそのことを言ってくれなかったんだろうな」

「それはロゴスの論理の力を以てしても叶わないところだろうよ」

「なんでだよ?」

「ユウも気づいていたはずだぞ。それか忘れてしまったか。まぁいずれにしてもありきたりな答えさ」


――心は論理じゃ説明できないのさ。


* * * * * *


「なぁ、まだ怒ってるのか?」

 オレはあのガレージで情けない声をして三人の女の子の顔を順に伺う。

「……」

 未来は何も言わない。

「……」

 香子も何も言わない。

 これじゃあ三人とも怜状態じゃないか……とオレが心の中でため息をつくと、

「……今何か失礼なこと考えた……」

 怜が無表情のまま睨んできた。

「イエ、ソンナコトハ」

 ぐうの音もでないオレであった。


 あの後、オレは記憶を失ったといういたずらをしたことに関して未来、香子、怜にひどくどやされた。だが実を言うとオレにはいたずらを仕掛けた、という意識はない。

 クロノスが言っていたように確かに記憶は一時的に消失していたのだ。しかし、病室に現れた未来を見たときに、激しい奔流となって記憶が戻ってきたのである。

 そのタイミングというのはあまりにドラマティック、というか作り物ティックであったのだけれど、実際にそうだったのだから仕方がない。

 なんの根拠もないことだし、今更確かめる術もないのだけれど、それでもあえてそれを考察するなら、補填された記憶のエネルギーが未来に関する記憶ものであったために、未来の姿がトリガーとして機能したのかもしれない。


 まぁそれでも、三人が怒るのも無理ない。裏を返せばそれだけオレのことを心配してくれたということなのだろうから。

 それに、オレが一度記憶を捨てようとしたことに関しては、やはりオレに非がある。そしてそのことを彼女たちには話していない。話せるはずがない。


 とにもかくにも、オレはどこをとっても情けない男ではあったのだけれど、それでも生きて帰ってきたのだった。

 かなり自分の中ではズルをしている感は否めなかったけれど。


「ありがとな」

 オレは小さい声で言った。


 そしてそれを聞き取った彼女たちはそれぞれの笑顔で応えてくれるのだった。


* * * * * *


 学園からの帰り道。オレと未来は夕焼けに背を向けるようにして歩いていた。

「ゆ、悠十くん、怪我は大丈夫なの?」

 未来が言っているのはオレの左腕のことだろう。蓼科、というか《道化師》のよって斬り落とされた左腕。

「ああ、とりあえずはな。義腕だからまだ違和感は少しあるけど」

 黒いリング状の装置、AT-MERE2.2というらしいその装置を媒介に運動神経、感覚神経が繋がれているらしい。そしてその義腕は、オレのイメージ演算領域を半強制的に義腕の生成に割くことで形状が維持されている。

 そんなことになっても生きて帰ってきただけ感謝すべきなのだろうが。

「未来の方も大丈夫そうだな」

「あ、あ、う、うん」

 急に顔が赤くなったような気がした。

「どうした?」

「あ、あの、ずっと気になってたんだけど、悠十くんて、前はわたしのこと、緋瀬って呼んでたと思うんだけど……」

「ああ、そのことか。嫌なら元に戻すけど」

「あ、嫌じゃ、ないんだけど……どういう心境の変化なのかなぁって……」

「うーん、そうだなぁ。前に怜に言われたんだよ。仲良くなった証に下の名前を呼ぶって。だから未来とももっと仲良くなりたいなって思ったときに、下の名前で呼んだ方がいいのかなぁと」

「へ、へぇ……」

「まぁそれよりも『俺』が未来とした約束を思い出さないとだけどな」

「う、うん……でも悠十くんはちゃんと生きて帰ってくるって約束はちゃんと守ってくれたし……」

 それは「オレ」と未来の約束だけれどな。心の中で言ってみた後にオレはそういえばと思い出す。

「しかしあれだな。左腕と一緒に時計もなくなっちゃったんだよな」

「時計……」

「なぁ、未来。今度の日曜日、時計を選ぶの手伝ってくれないか?」

 オレがそう言うと未来は急に立ち止まった。

「どうした未来?」


「ずるいなぁ……悠十くん。《約束》思い出してないのに守っちゃうなんて」


「ん? なんか言った?」

「う、ううん! なんでもないよ! わ、わたしね、いい時計屋さん知ってるんだ」





 これはオレが救われる話。過去という刻の代償と引き換えに、生きるという未来を手に入れた物語だ。

 

 


どうもkonです。

6月から約9ヶ月にわたって書かせていただきましたこのMulti Elementもひとまず最終話を迎えることができました。

未熟な部分も多い作品でしたが、最後まで読んでくださった方は本当にありがとうございました。

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