第4章 世界の敵に、懸賞金がかかった
王都の鐘が鳴り止んだのは、日が傾き始めた頃だった。
その頃には、俺の顔は王都中に知れ渡っていた。
街角の掲示板。
商店の扉。
騎士団の詰所。
ありとあらゆる場所に、同じ紙が貼られている。
――指名手配。
――対象:記録改変者。
――罪状:神聖記録への不正干渉、国家秩序の破壊、世界の存続を脅かす重大犯罪。
――報奨金:金貨五百枚。
「……五百枚って、いくらだ?」
俺は路地の陰から手配書を眺めた。
「一生遊んで暮らせるくらい」
隣にいたリゼが答えた。
「へえ。俺、ずいぶん高く評価されたんだな」
「喜ぶところじゃないと思う」
「いや、会社員時代は評価されなかったからな。ちょっと感動してる」
リゼは不思議そうに俺を見た。
それから、ほんの少し笑った。
この子は、笑うと年相応に見える。
さっきまで世界から消されかけていた人間には、とても見えない。
だが、笑顔は長く続かなかった。
「……ごめんなさい」
「またそれか」
「私がいたから、あなたまで追われることになった」
「違うな」
俺は手配書を剥がした。
「俺が選んだんだ。君を助けるって」
「でも……」
「それに、俺は神様に雇われた覚えもない。勝手に世界の敵にされるなら、こっちにも考えがある」
手配書を折り畳み、ポケットに突っ込む。
紙の上の俺は、実物より少し悪人面だった。
画家の腕が悪いのか、神様の性格が悪いのか。
おそらく両方だろう。
「まずは、身を隠せる場所を探そう」
「……うん」
俺たちは路地を進んだ。
そのとき、背後から声がした。
「見つけましたよ」
振り返る。
白銀の甲冑。
銀色の髪。
そして、見覚えのある冷たい眼差し。
セラフィーナだった。
彼女の後ろには、十人ほどの騎士が並んでいる。
剣は抜かれていない。
だが、全員がこちらを見ていた。
「記録改変者。あなたを拘束します」
俺はため息をついた。
「副団長さん。もう少し早く来てくれれば、逃げる手間が省けたんですけど」
「冗談を言っている場合ですか」
「冗談を言わないと、やってられない状況なので」
セラフィーナは俺の隣にいる少女を見た。
その瞬間、彼女の表情がわずかに変わった。
「……その子は?」
「リゼ。俺の保護対象です」
「住民記録を確認しました。該当者はいません」
「でしょうね」
「それだけではありません。周辺住民への聞き取りでも、誰一人として彼女の存在を証言できませんでした」
セラフィーナは剣の柄に手を置いた。
「あなたは、何をしたのです?」
「何も。少なくとも、君たちが言うようなことは」
「信じろと?」
「信じろとは言っていません。調べてください」
俺は一歩前に出た。
「この子を消す命令が出ている。そうだろう?」
セラフィーナの目が細くなった。
沈黙。
その沈黙だけで、十分だった。
「……あなたは、どこまで知っているのですか」
「まだ何も。だから知りたい」
「ならば、なおさら拘束します」
「どうして?」
「あなたが真実を知れば、取り返しのつかないことになるかもしれないからです」
俺は彼女を見つめた。
「セラフィーナさん」
「何です」
「君は、正義の味方なんだろ?」
彼女は答えなかった。
「だったら、命令と正義が食い違ったとき、どっちを選ぶ?」
騎士たちがざわめいた。
セラフィーナの表情から、感情が消えた。
「……あなたには、分からない」
「そうかもしれない」
俺は頷いた。
「でも、俺には一つだけ分かることがある」
リゼの手を握る。
「この子は、助けを求めている。それなのに、君たちは理由も説明せずに消そうとしている」
「世界の存続が懸かっているのです!」
「その証拠は?」
「神の記録があります」
「その記録が間違っていたら?」
セラフィーナの手が止まった。
俺は続けた。
「記録に書かれているから正しい。正しいから従う。従うから、誰も疑わない。そんな仕組みなら、誰かが間違いを指摘しなきゃいけない」
彼女は、しばらく俺を見ていた。
やがて、剣から手を離した。
「……五分だけです」
「え?」
「あなたの話を聞きます。五分だけ。それ以上は認めません」
俺は笑った。
「十分ですよ」
「五分です」
「はいはい」
セラフィーナは騎士たちに下がるよう命じた。
それから、俺とリゼを交互に見た。
「説明してください。あなたたちが何をしようとしているのか」
俺は頷いた。
「まず、俺たちが知りたいのは――」
その瞬間だった。
路地の奥から、乾いた拍手が響いた。
ぱち、ぱち、ぱち。
「素晴らしい。実に素晴らしいですね」
黒いローブをまとった男が、建物の陰から現れた。
年齢は三十歳前後。
細い顔に、整った笑み。
右手には、銀色の杖が握られている。
その杖の先端には、小さな水晶が埋め込まれていた。
男はセラフィーナに向かって、恭しく頭を下げた。
「お久しぶりです、副団長殿」
「……あなたは」
「王立魔術院、記録魔術研究室主任。エリアスと申します」
男は俺に視線を移した。
「そして、あなたが噂の記録改変者ですか」
笑みは変わらない。
だが、その目は俺を観察していた。
珍しい標本でも見るように。
「お会いできて光栄です」
「こっちは光栄じゃないんですけど」
「そうでしょうね」
エリアスは楽しそうに笑った。
「何しろ、あなたは今、世界で最も危険な人物なのですから」
彼は杖を掲げた。
水晶が光る。
その瞬間、俺の視界に、見慣れない文字が浮かんだ。
――対象:エリアス。
――記録閲覧権限:第二階層。
――管理者との接続:確認済み。
俺は息を呑んだ。
この男は、俺と同じように記録を見ている。
しかも、俺より深い階層まで。
エリアスは微笑んだ。
「さて。少し、あなたの能力を拝見しましょうか」
そして、杖を振った。
路地の出口が、消えた。
石壁が伸び、建物が歪み、道そのものが閉じていく。
まるで、最初から出口など存在しなかったかのように。
セラフィーナが剣を抜いた。
「エリアス! 何をするつもりです!」
「ご心配なく。殺すつもりはありません」
男は俺を見つめた。
「ただ、あなたが本当に記録を書き換えられるのか。それを確認したいだけです」
俺は歯を食いしばった。
やられた。
この男は、俺の能力を試すために、わざと逃げ道を塞いだのだ。
そして、俺が記録を書き換えれば、その過程を観察できる。
つまり。
俺が力を使うほど、相手に情報を与えることになる。
「……性格悪いですね」
「研究者ですから」
「研究者って、そんな免罪符でしたっけ?」
「さて。どうでしょう」
エリアスが笑った。
俺は、壁を見た。
確かに、記録が書き換えられている。
――この路地には、出口が存在しない。
その一文が、現実を変えていた。
ならば、逆の記録を書けばいい。
――この路地には、出口が存在する。
いや。
それだけでは駄目だ。
根拠がない。
存在しないものを、存在すると書くだけでは、さっきのように拒否される可能性が高い。
俺は周囲を見回した。
路地の壁。
建物の配置。
地面の傾斜。
そして、足元に落ちている一枚の木片。
木片には、古い文字が刻まれていた。
――旧東区、避難路。
俺は拾い上げた。
「……なるほど」
出口が存在しないのではない。
出口の記録が消されているだけだ。
俺は木片を掲げた。
「エリアスさん」
「何でしょう?」
「この路地、昔は避難路だったんじゃないですか?」
男の笑みが、ほんの一瞬だけ止まった。
「……面白いことを言いますね」
「答えてください」
「さあ。古い都市計画の記録は、私の専門外です」
「嘘ですね」
俺は木片を握り締めた。
「知っているんでしょう?」
頭の中に、声が響いた。
『記録への干渉を検知しました』
『根拠を提示してください』
「これだ」
俺は木片を地面に置いた。
「避難路を示す標識がある。つまり、ここにはかつて道があった。記録が消されても、物証は残っている」
水晶が激しく光った。
『根拠を確認』
『過去の記録との整合性を照合します』
エリアスの表情から、笑みが消えた。
「待ちなさい」
彼が初めて、鋭い声を出した。
「それ以上の改変は――」
遅かった。
路地の奥で、石が崩れる音がした。
閉じていた壁に、一本の亀裂が走る。
そして。
そこに、細い道が現れた。
俺はリゼの手を引いた。
「走れ!」
セラフィーナが騎士たちに叫ぶ。
「追跡は待ちなさい! エリアス、説明を!」
だが、俺たちはすでに路地を抜けていた。
背後から、エリアスの声が聞こえた。
「……なるほど。あなたは記録そのものを作っているのではない」
男は、独り言のように呟いた。
「失われた記録の痕跡を見つけ、そこから現実を復元しているのですね」
俺は振り返らなかった。
だが、その言葉は耳に残った。
もし、そうだとしたら。
俺の能力は、何でも好きに書き換えられる力ではない。
この世界に残された痕跡を見つけ、失われたものを取り戻す力なのかもしれない。
そして、その力を使えば使うほど。
俺の前に立ちはだかる敵も、俺の正体を理解していく。
路地を抜けた先で、リゼが足を止めた。
「……ねえ」
「どうした?」
「今の人、知ってる」
俺は振り返った。
「エリアスを?」
リゼは小さく頷いた。
「ずっと前に、私を消そうとした人」
その声は、震えていた。
「そして、私のお父さんを殺した人」
俺は、何も言えなかった。
遠くで、鐘が鳴った。
日没まで、あとわずか。
俺たちの逃亡は、まだ始まったばかりだった。
第1巻 第5章 俺を殺した男は、英雄だった
「……待ってくれ」
俺は、リゼの肩に手を置いた。
「今、何て言った?」
「エリアスは、お父さんを殺したの」
リゼは俯いた。
「私がまだ小さかった頃。お父さんは、王都の記録を調べていた。人が消えていく理由を、ずっと調べていたの」
「人が消える?」
「うん。私と同じように、みんなから忘れられてしまう人がいたの。最初は一人、次は二人。それから、もっとたくさん」
彼女は自分の胸元を握り締めた。
「お父さんは、その人たちを助けようとしていた。でも、ある日、帰ってこなくなった」
「それがエリアスの仕業だと?」
「……あの人が来た日のこと、覚えてる。お父さんが最後に言った言葉も」
「何て?」
リゼは、震える声で答えた。
「『世界の記録を信じるな』って」
俺は黙った。
偶然とは思えない。
記録の矛盾を追う人間が消される。
記録を書き換える能力を持つ人間が、世界の敵とされる。
そして、神の命令を実行する魔術師が、その裏にいる。
少なくとも、この世界には、俺が知らない大きな秘密がある。
問題は、それを知ることが本当に正しいのかどうかだ。
「……リゼ」
「うん?」
「一つ、約束してくれ」
「何?」
「これから先、俺に隠し事をするな。君が覚えていることは、全部話してほしい」
リゼは目を伏せた。
「……分かった」
「俺も約束する。君を見捨てない」
その言葉を口にした瞬間、胸の奥がわずかに痛んだ。
なぜだろう。
初めて会った少女なのに。
この約束を破ったら、何か取り返しのつかないものを失う気がした。
*
その夜、俺たちは旧東区の外れにある廃屋に身を隠した。
窓は割れ、天井には穴が開いている。床には埃が積もり、家具らしい家具もない。
異世界転移して五日目。
俺の現在の生活水準は、会社員時代より明らかに悪化していた。
「……せめて、屋根くらいまともなところに住みたい」
「ごめんなさい」
「いや、君のせいじゃないから」
リゼは少し安心したように微笑んだ。
俺は拾ってきた木箱をひっくり返し、椅子代わりにした。
「さて」
問題を整理しよう。
まず、俺には記録が見える。
次に、一定の条件を満たせば、記録を書き換えられる。
ただし、何でも自由に書き換えられるわけではない。
証拠が必要だ。
過去に存在した記録や、現実に残された痕跡。それらを根拠として、矛盾した記録を修正する。
そして、改変には代償がある。
俺は自分の名前を思い出せなくなっていた。
これは重大な問題だ。
名前を忘れるというのは、単なる記憶障害ではない。
もし、もっと大切なものを失うようになったら?
家族の記憶。
大切な人との思い出。
自分が何者なのかという感覚。
それらを失ってまで、俺はこの力を使えるのだろうか。
「ねえ」
リゼが言った。
「あなた、怖くないの?」
「何が?」
「私を助けること」
俺は少し考えた。
「怖いよ」
正直に答えた。
「何が起きるか分からないし、君のことも全部知っているわけじゃない。俺が間違っている可能性だってある」
「……それでも?」
「ああ」
俺は彼女を見た。
「怖くないから助けるんじゃない。怖くても、助けると決めたからだ」
リゼは何も言わなかった。
やがて、窓の外に視線を向けた。
「……あなたって、変な人ね」
「よく言われる」
「誰に?」
「……さあ」
答えようとして、言葉が止まった。
誰に言われたのだろう。
会社の同僚か。
友人か。
それとも、家族か。
思い出せない。
俺は拳を握り締めた。
まただ。
記録を書き換えた代償が、少しずつ広がっているのかもしれない。
そのとき、廃屋の扉が三回叩かれた。
コン、コン、コン。
俺は立ち上がった。
「誰だ?」
「私です」
聞き覚えのある声だった。
扉を開ける。
そこに立っていたのは、セラフィーナだった。
甲冑は脱いでいる。代わりに、濃紺の外套を羽織っていた。
「……どうして、ここが?」
「あなたのような素人が、追跡を完全に逃れられると思いますか?」
「ごもっともで」
彼女は部屋に入り、リゼを見た。
それから、静かに頭を下げた。
「先ほどは失礼しました」
俺は目を瞬かせた。
「……え?」
「あなたたちを、十分に調べずに拘束しようとしたことです。謝罪します」
意外だった。
もっと頑固な人間だと思っていた。
「何か分かったんですか?」
「ええ。騎士団の記録を確認しました」
セラフィーナは一枚の紙を取り出した。
「旧東区には、二十年前まで孤児院が存在していました。ところが、ある日を境に、建物の記録も、運営者の記録も、入所者の記録も、すべて消えている」
「二十年前?」
リゼが顔を上げた。
「そんなに前じゃない……」
彼女は苦しそうに眉を寄せた。
「私、そんなに長く生きていないはずなのに」
セラフィーナは彼女を見つめた。
「あなたの年齢も、正確には分からないのですね」
「……うん」
「ならば、なおさら確認が必要です」
俺はため息をついた。
「結局、まだ疑っているんですね」
「疑うことと、敵だと決めつけることは違います」
セラフィーナは真っ直ぐ俺を見た。
「私は、あなたたちが何者なのか知りたい。そのうえで、守るべき人間なのか判断します」
「正直で助かります」
「あなたも、私に隠していることがあるでしょう」
「そりゃ、まあ」
「では、お互い様です」
彼女は少しだけ口元を緩めた。
初めて見る表情だった。
ほんの一瞬。
それでも、彼女がただの冷徹な騎士ではないことが分かった。
セラフィーナは紙を机に置いた。
「それから、もう一つ」
そこには、一人の男の肖像画が描かれていた。
金色の髪。
整った顔立ち。
胸には、王国の紋章。
そして、誰もが認める英雄の証。
「勇者レオンハルト」
セラフィーナが告げた。
「この国で最も信頼されている人物です」
俺は肖像画を見た。
「……勇者?」
「十年前、魔物の大侵攻から王都を救った英雄です。現在は王国軍の総司令官を務めています」
「その人が、どうしたんです?」
セラフィーナは、声を落とした。
「あなたの手配書を見て、勇者本人が動き始めました」
「へえ。大物が出てきたな」
「冗談を言っている場合ではありません」
彼女は肖像画を裏返した。
裏面には、短い文章が記されていた。
――記録改変者を発見した場合、ただちに報告せよ。
――可能であれば、生存した状態で確保すること。
――抵抗する場合は、処分を許可する。
俺は目を細めた。
「生存した状態で確保?」
「ええ」
「殺すより、何かを聞き出したいんでしょうか」
「おそらく」
俺は肖像画を見つめた。
勇者。
世界を救った英雄。
人々から愛され、王国に信頼されている男。
そして、記録改変者を捕らえようとしている。
もし、彼が本当に善人だったら?
もし、彼が本気で世界を守ろうとしていたら?
そのとき、俺は彼と戦えるのだろうか。
答えは、まだ出なかった。
セラフィーナが立ち上がった。
「明朝、王都を出ます」
「どこへ?」
「王立魔術院です。エリアスの研究記録を調べます。彼が何を隠しているのか、確かめなければなりません」
「俺たちも同行していいんですか?」
「あなたを野放しにするより、監視下に置くほうが安全です」
「やっぱり監視なんですね」
「保護です」
「はいはい」
彼女は扉に手をかけた。
そのとき、リゼが小さく呟いた。
「……勇者レオンハルト」
セラフィーナが振り返る。
「その名前を知っているのですか?」
リゼは首を横に振った。
「知らない。でも……」
彼女は胸元を押さえた。
「その人が来たら、あなたは私を助けられなくなる」
部屋が静まり返った。
「どういう意味だ?」
俺が尋ねると、リゼは震える声で答えた。
「勇者は、世界を守る人だから」
「それは知ってる」
「違うの」
リゼは俺を見た。
その瞳には、恐怖が浮かんでいた。
「勇者は、世界が壊れそうになったとき、必ず現れる。そして……」
彼女は、言葉を切った。
「世界を壊す原因を、必ず殺すの」
俺は息を呑んだ。
リゼは続けた。
「昔から、そうだった。世界が不安定になるたびに、勇者が選ばれて、原因を消す」
「原因って……」
彼女は、自分を指さした。
「私のこと」
その瞬間、部屋の外で鐘が鳴った。
遠くから、兵士たちの足音が近づいてくる。
セラフィーナが窓の外を見た。
そして、顔色を変えた。
「……包囲されています」
俺は立ち上がった。
「誰に?」
彼女は答えた。
「勇者レオンハルトです」
窓の向こう。
月明かりの下に、一人の男が立っていた。
金色の髪。
白い外套。
そして、手に持った聖剣。
男は俺たちを見上げ、穏やかに微笑んだ。
「記録改変者よ」
その声が、夜の街に響いた。
「君と話がしたい」
俺は窓の外を見つめた。
世界を救った英雄。
神に選ばれた勇者。
そして、俺たちを捕らえに来た男。
どうやら、第二の人生も、上司選びに失敗したらしい。
ただし今回は。
相手が神様だけとは限らなかった。




