第1章「未来の罪人」
「お前は、三日前に生まれた人間を殺した」
処刑台の上で、俺はそう告げられた。
王都の広場を埋め尽くす民衆が、一斉に罵声を上げる。
殺人。
国家反逆。
神への冒瀆。
罪状は三つ。証人は二十七人。王家の印が押された判決書まである。
なるほど。
これなら、俺が何を言っても無駄だろう。
普通の人間なら。
「最期の言葉はあるか」
黒い甲冑を着た騎士が尋ねた。
兜の隙間から見える目は、氷のように冷たい。
腰の剣には銀色の紋章が刻まれていた。王都の治安と秩序を守る、聖堂騎士団の紋章だ。
つまり、俺を殺そうとしている連中は、国にとっての正義そのものというわけだ。
笑える。
つい昨日まで、俺は日本の会社員だった。
会議に出て、資料を作り、上司の無茶振りを片づける。成果を出しても評価されず、失敗すれば責任を押しつけられる。
そんな人生を変えたくて、変えられないまま、気づけば見知らぬ世界にいた。
そして今。
異世界転移から、たった数日。
俺は国家反逆罪で処刑されようとしている。
転職先としては、最悪もいいところだった。
「一つ聞きたい」
「遺言を許した覚えはない」
「じゃあ質問だ。そこの判決書、発行日はいつだ?」
騎士が眉をひそめた。
「神暦四百十二年、春の三日目。それがどうした」
「俺がこの世界に来たのは、春の五日目なんだが」
広場のざわめきが止まった。
俺は続ける。
「どうやって、俺が来る二日前に犯した罪を裁いたんだ?」
「黙れ、異端者!」
「いや、黙るのはそっちだろ。証拠があるんだろう? その判決書を見せてくれよ」
「貴様に見せる必要はない!」
「公開裁判じゃなかったのか?」
騎士の剣が、俺の首筋に押し当てられた。
冷たい金属が皮膚をなぞる。
周囲の人間は誰も止めない。
誰も俺を信じていない。
当然だ。
彼らにとって、俺は見知らぬ異邦人だ。対して、騎士団は何代にもわたって王都を守ってきた英雄たちなのだろう。
信頼の差は、どうしようもない。
普通なら。
俺は判決書を見つめた。
その瞬間、紙面の文字が歪んだ。
いや、違う。
文字の裏側に、別の文字が透けて見えている。
まるで、この世界の表面に書かれた文章の下に、もう一枚の文章が隠されているようだった。
俺は目を凝らした。
そこに書かれていたのは、罪状でも判決でもない。
――対象個体:未登録。
――転移記録:未承認。
――処分理由:管理上の不整合。
……なんだ、これ。
さらに、その下。
黒く塗り潰された行の奥に、かすかな文字が浮かんでいた。
――被告人は、世界の管理者により選定された。
息が止まった。
その一文が見えた瞬間、頭の中に声が響いた。
『記録への干渉を検知しました』
男とも女ともつかない、無機質な声。
『閲覧者の権限を確認します』
俺は思わず周囲を見回した。
誰も反応していない。
『権限なし』
ですよね。
そもそも、俺は異世界に来たばかりの一般人だ。
神様に認められるような善行を積んだ覚えもない。
むしろ会社では、上司の悪口を言いながら残業していた。
『例外処理を開始します』
判決書が光った。
そして、文字が一行だけ書き換わった。
――被告人は、世界の管理者により選定された。
その下に、新たな一文が浮かぶ。
――なお、この記録を閲覧した者は、次の管理者候補とする。
「……は?」
思わず声が出た。
待て。
俺は何もしていない。
勝手に人を候補者にするな。
というか、管理者って何だ。
この世界を管理する神様のことか?
『記録の整合性が崩れています』
頭の中の声が、初めてわずかに乱れた。
『修復を開始します』
その瞬間、判決書の文字が激しく明滅した。
騎士が目を見開く。
「何をした!」
「俺が聞きたい!」
紙面から黒い煙が立ち上った。
処刑台の周囲に、悲鳴が広がる。
騎士は剣を振り上げた。
「異端の魔術だ! 即刻処刑しろ!」
その声に反応して、広場の鐘が鳴った。
一度。
二度。
三度。
だが、四度目の鐘は鳴らなかった。
代わりに、空中に巨大な文字が浮かび上がった。
――処刑命令を停止します。
広場が凍りついた。
「な……」
騎士の手から、剣が滑り落ちた。
俺は紙面を見た。
さっきまで存在しなかった一文が、そこに刻まれている。
――本件の裁判記録には重大な矛盾が存在する。
――審理を再開せよ。
民衆の顔色が変わった。
俺は、ようやく理解した。
俺はこの世界の文字を読めるようになったわけではない。
魔法を使えるようになったわけでもない。
もっと厄介なものに触れてしまったのだ。
この世界において、記録は単なる過去の記録ではない。
人々が何を信じるか。
誰が正義で、誰が悪なのか。
誰が英雄で、誰が罪人なのか。
それを決めているもの。
世界そのものを形作る、もう一つの現実。
俺には、それが見える。
そして、どうやら。
それを書き換えることもできるらしい。
「……面白いじゃないか」
俺は笑った。
久しぶりに、心の底から。
騎士が後ずさった。
「貴様……何者だ」
「さあな」
俺は処刑台の上から、王城を見上げた。
白い塔の最上部に、巨大な時計がある。
その文字盤には、数字の代わりに奇妙な記号が刻まれていた。
その中心に、一人の人影が立っていた。
距離があるのに、なぜか分かった。
あれは、俺を見ている。
そして、笑っている。
まるで、ずっと前から俺がここに来ることを知っていたかのように。
頭の中に、再び声が響いた。
『候補者番号、ゼロ』
『管理者選定プログラムを開始します』
『第一試験――生存』
俺は空を見上げた。
雲一つない青空。
美しい異世界。
夢にまで見た、第二の人生。
どうやら、この世界にもクソみたいな上司がいるらしい。
しかも、そいつは神様だ。
「いいぜ」
俺は、誰にも聞こえない声で呟いた。
「今度は、俺がルールを決める番だ」
その瞬間、空の端に、小さな黒い文字が浮かんだ。
――第一候補者、登録完了。
そして俺は、まだ知らなかった。
この日、俺が救った命の中に。
いつか俺を殺すことになる女がいたことを。




