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第43話

「その交易船には、隣国の宮廷錬金術師と取引する約束になっている『迷宮の最深部ドロップ素材』と『極上級の魔石』が積まれる予定なんだ!船は感染拡大を防ぐため、明日の日没までに緊急出港することが決定した!もしそれまでに薬を届け、なおかつヴァルハイトのギルドに保管されている魔石とドロップ素材を船に積み込まなければ、莫大な違約金が発生し、ヴァルハイトとシーガルの信用は地に落ちる!」

「薬の緊急輸送と、最重要素材の輸送が同時に重なったか……!」


 トビーの額から冷や汗が一筋、あご先へと伝い落ちる。


 薬は一刻を争う人命の生命線であり、迷宮のドロップ素材や魔石は、わずかな衝撃や温度変化で魔力が霧散・暴走しかねない超極上品だ。どちらも失敗が絶対に許されない、文字通り「街の信用と命」がかかった特大の難題だった。


 使者の悲鳴のような報告を聞きながら、レオンの顔から血の気が完全に引いていた。


「な……日没までですと!?ヴァルハイトからシーガル港までの最短ルートを計算しても、通常の荷馬車ではどう足掻いても間に合いません!おまけに高純度魔石の輸送には特殊な緩衝材と緩やかな走行が不可欠です!速度と安全性の両立など、理論上不可能です!」


 レオンは震える指先で計算板を弾き、あまりの絶望的な数値にメガネの奥の瞳を血走らせた。


 一方のカイも、つぎはぎの袖口で乱暴に汗を拭いながら声を荒らげる。


「チッ、能書きこいてる場合かよ!薬を待ってる奴らが大勢いるんだろ!?素材だか魔石だか知らねえが、とにかく馬車に放り込んで、馬を限界まで飛ばせばいいじゃねえか!」

「愚かな!そんな暴走をすればシーガルに着く前に魔石が砕けて魔力が暴走し、薬の瓶も全滅します!」


 突発的な事態の重さに、早くもパニックに陥りかける新コンビの二人。


 だが、ルーカスだけは微動だにしなかった。腕を組み、使者から受け取った書状の赤蝋を指先で割ると、その眼光を鋭く、冷徹に光らせた。テスト運行の悠長なスケジュールなど、一瞬で木端微塵に吹き飛んだことを肌で理解しながら。


「トビー、腹を括れ」


 ルーカスの低く据わった声が、混乱でざわめく事務所の空気を一発で静まり返らせた。


「事態は一刻を争う。テスト運行の中止だ。……今すぐ、二台体制で同時に動くぞ」


 新たな風が吹くはずだった小さな事務所に、引き裂かれそうなほどの緊張と、逃げ場のない覚悟の糸がピンと張り詰めていくのだった。


 緊迫した空気が流れる事務所の中、使者の荒い息遣いと、伝令が乗ってきた馬が鳴らす蹄の音が外から「カツン!……カツン!」と響いていた。


「ルーカス様、無謀です!」


 沈黙を破ったのはレオンだった。彼は血の気の引いた顔で計算板を叩きつけ、必死の相貌でルーカスに食ってかかる。


「当初の計画では、ルーカス様とトビー殿が同乗して私たちのテスト運行に付き添い、指導を行うはずでした!それを突然取りやめ、経験のない私たちだけで定期便を運用するなど……計算が成り立ちません!破綻します!」

「そうだぜ、ルーカスのおっさん!」


 カイも珍しくレオンに調子を合わせ、顔を強張らせて叫んだ。


「俺は文字も読めねぇし、馬車の扱いだってまだ教わったばかりだ!コモレビ村までの道は覚えてるが……メガネと二人だけで定期便を回せだなんて、冗談じゃねぇぞ!」


 動揺に揺れる二人に対し、ルーカスは微動だにせず、静かで底の知れない瞳でじっと二人を見つめていた。そして、ゆっくりと卓上の地図の上に歩み寄ると、力強い指先で二つのルートを同時に指し示した。


「落ち着け、二人とも。俺の話を聞け」


 ルーカスの低い声には、周囲のパニックを一瞬で鎮圧する絶対的な威厳が宿っている。


「一刻を争うシーガル港への緊急便――流行熱を抑える精製薬と、衝撃に弱い最上級魔石・ドロップ素材の輸送。これは一瞬の判断ミスが全滅につながる。俺とトビーのコンビで行く。これ以外の選択肢はない」


 トビーは無言で頷き、胸元の革カバーを固く握りしめた。師の言葉に迷いはない。


「だがな」


 ルーカスは指先をすっとスライドさせ、コモレビ村へと続く街道を叩いた。


「だからと言って、今日コモレビ村で俺たちの荷物を待っている職人や村人たちとの約束を『緊急事態だから』と破るわけにはいかないんだ。定時配送の停止は、俺たちが築き上げてきた循環の死を意味する」


 ルーカスは腕を組み、レオンとカイの正面に立った。


「付き添いテストは中止だ。コモレビ村への定期便は、第二商隊――レオン、カイ、お前たち二人にすべてを託す」

「っ……!託すと言われても……!」


 レオンの銀縁メガネの奥で、瞳が激しく揺れ動く。


「レオン、お前の計算と正確さは本物だ。荷物の数、村での引き継ぎ、スケジュールの管理はお前にしかできない」


 ルーカスは次にカイの肩へと視線を移した。


「そしてカイ。悪路で荷物を傷つけない積載の感覚、そして道の状況を見抜く目は、お前が誰よりも優れている。お前の手がなければ、コモレビ村への荷物は届かん」


 二人の弱点ではなく、二人が持つ「強み」をまっすぐに見据えて放たれるルーカスの言葉。カイとレオンは息をのみ、喉の動きをピタリと止めた。


「お前たちは二人で一つなんだよ。『理論』のお前と、『感覚』のお前。二人がお互いの背中を預け合わなければ、この局面は乗り越えられん」


 ルーカスは一度言葉を切り、凄まじい眼光で二人を射抜いた。


「どうだ、やってみる覚悟はあるか?それとも、俺たちの看板を降ろして、待っている客に『ごめんなさい』と謝りに行くか?」


 事務所に重い沈黙が降り立った。プライドが高く失敗を恐れていたレオンと、己の無力さに引き目を感じていたカイ。二人はチラリと視線を交わし、不快そうに顔を背けつつも、その瞳の奥には小さく、しかし確かな覚悟の火が灯り始めていた。


「……私の計算に、抜かりはありません。現場が破綻しないよう、完璧にコントロールしてみせます」


 レオンが震える手でメガネを掛け直し、低く答える。


「けっ……メガネに仕切られるのは胸糞悪いが、荷物を待ってるおっちゃんたちを裏切るわけにはいかねぇからな。俺の腕で見事に届けてやるよ!」


 カイも鼻を鳴らし、つぎはぎの袖を固く捲り上げた。


「よし、決まりだ。使者殿、ドロップ素材と魔石は商業ギルドで良いのか?」

「ああ、すでに冒険者ギルドから商業ギルドが買い上げてある」

「トビー、使者殿と錬金術師ギルドに行って精製薬の確保と馬用のポーションを、それと定期便の朝露草が増えても受けいれられるか確認してきてくれ最大で倍量だ。俺はこれから商業ギルドに行ってドロップ素材と魔石の確保だ。使者殿もその足で来てくれるとありがたい。レオン、カイは二人でこのまま定期便の準備をして予定通り出発しろ」


 ルーカスは不敵な笑みを浮かべると、二台の馬車の出立準備に向けて、疾風のごとく指示を出し始めた。突発的な二台体制――未熟な新コンビにすべてが託された運命の刻が、刻一刻と迫っていた。


 出発の刻限が迫る荷置き場。朝靄が薄っすらと漂う空気の中に、言葉にできない緊張感が張り詰めていた。


 ルーカスとトビーの第一馬車には、厳重に密封された高純度の精製薬の木箱と、魔力漏れを防ぐ特殊な金属ケースに収められた迷宮の最深部ドロップ素材、そして極上級の魔石が手際よく積み込まれていく。一瞬の油断も許されない重厚な空気がそこにはあった。


 一方、二人の横に据えられた第二馬車――コモレビ村へ向かう定期便の前では、レオンとカイが呆然と佇んでいた。

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