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第40話

「そうだ。例えばここだ。コモレビ村の朝露草の集荷。お前は『箱詰めを標準化して容積率を上げれば効率が上がる』と書いている。だが、朝露草は朝露の水分と風通しが命だ。効率を求めて箱にギチギチに詰め込めば、輸送中に蒸れてただのゴミになる。錬金術師たちが欲しいのは『効率よく運ばれた箱』じゃない。『摘みたての魔力が残った完璧な薬草』なんだよ」


 ルーカスは椅子から立ち上がり、事務所の窓の向こう――忙しげに行き交う職人たちの背中を指差した。


「レオン、数字は大切だ。数字がなければ商売は潰れる。だがな、数字はお客さんが俺たちを信用してくれた『結果』としてついてくるものだ。数字だけを追いかけて現場の汗や商品の特性、客の感情を無視すれば、どれほど美しい計算だろうと一瞬で絵空事に変わる」

「ですが……!理論に基づいた効率化こそが、双方に最大の利益をもたらすはずです!感情や現場の都合ばかりを優先していては、規模の拡大など不可能です!」


 レオンは声を張り上げ、握りしめた特製ペンを白々とさせた。己の信奉してきた正義を揺さぶられた焦燥が、整った整髪の隙間から滲む汗を誘発する。


「じゃあ、鮮度を無視した朝露草をギルドや錬金術師が、良い顔でそして良い金額で引き受けると思うか?理論は構造を支える骨組みだ。だが、そこに肉を通わせ、血を巡らせるのは『現場の泥臭さ』と『人間への理解』なんだよ。」


 ルーカスはレオンの硬直した肩に、ぽんと重みのある手を置いた。

「お前は頭が良すぎるゆえに、まだ数字の向こう側にある人の想いを見たことがない。帳簿を完璧に閉じる前に、まずその目で『荷物が届く瞬間』の人の顔を見るんだ。それができない限り、お前は一生、本当の商人にはなれんよ」


 静まり返った室内に、ルーカスの低く据わった声だけが残る。レオンの唇が微かに震え、何かを言い返そうとした喉の動きが途中でぴたりと止まった。自らの足元にある致命的な欠落に突き当たり、青年は歯噛みしながら視線を足元へと落とすしかなかった。



「カイ!こっちだよ、入って入って!」


 手押し車を片付け終えたトビーは、事務所の裏手にある荷置き場へ、一人の少年を招き入れた。


 動きやすさ重視のつぎはぎだらけの服をまとい、すばしっこい体つきをした少年――カイ。膝や袖口にうっすらと泥や木屑がこびりついているのも構わず、カイは警戒と好奇心が混ざった鋭い眼差しで、所狭しと荷物が並ぶ荷置き場を見回した。


 カイはトビーと同じ孤児院の出身だった。文字の読み書きは一文字もできず、周囲からは「落ちこぼれ」のあらくれ者扱いされていたが、トビーは知っていた。カイが幼い頃から迷宮都市の複雑な裏路地を駆け回り、一度通った抜け道や風景の細部までを完璧に脳裏に焼き付けていること。そして、指先が器用で、どんな形状の荷物でも瞬時に頑丈に縛り上げたり組み合わせたりできる才能を持っていることを。


 街中配送の依頼が爆発し、新しい仲間が必要だと悟ったトビーは、迷わず孤児院へと足を運び、周囲から少し浮いていたカイの細い手首を掴んでここまで連れてきたのだった。


「兄貴……ここが兄貴の言ってた事務所か。すげえな、街中の職人の荷物が山ほどあるじゃねえか」


 カイは口を半開きにして荷物の山を見上げたが、ふとトビーの首から下がった「記号メモ帳」と卓上の羊皮紙に目をやると、ぎゅっと眉間にしわを寄せて一歩退いた。


「……でもさ、兄貴。俺、文字なんかさっぱり読めねえぞ。孤児院の先生にも『お前は頭が悪いから商売の真似事なんてするな』って言われたし……。やっぱり俺には無理なんじゃねえのか」


 声のトーンがわずかに落ち、カイの爪先が石畳の溝をコツコツと叩く。


 トビーは静かに目を細めると、首から下げた自分のメモ帳を外し、カイの目の前へそっと差し出した。


「大丈夫だよ、カイ。見てごらん」


 カイがおそるおそる覗き込んだ紙面にあったのは、整然とした文字ではなく、歪な円や波線、小さな馬車や工具の形をした独自の「記号」の群れだった。


「これ……文字じゃねえな?絵……か?」

「うん。僕だけの『記号メモ』なんだ。僕も最初は文字が全然書けなくて、羊皮紙にインクを盛大に撒き散らして泣いていたよ。ノロマで使えない奴だって、自分を責めてばかりいた。でも、ルーカスさんが教えてくれたんだ。『目的は情報を残すこと。自分だけのやり方を作ればいい』ってね」


 トビーはカイのつぎはぎだらけの肩にぽんと手を置いた。


「カイの記憶力と手先の器用さは、絶対に僕たちの力になる。文字なんて読めなくたっていい。カイの目と手があれば、完璧な仕事ができるよ」


 カイの喉が小さく鳴る。瞳の奥で、かすかな澱みが消え、強い光が灯る。文字が書けない自分をそのまま肯定され、必要とされるなど初めての経験だった。カイは手の甲で乱暴に鼻の頭を擦り、照れくさそうに頬を引き攣らせた。


「へへっ……兄貴がそこまで言うなら、やってやるよ!」

「よし!それじゃあ、まずは荷積みの練習からやってみようか」


 トビーは積み込み用の空の木箱と、形状も重さもバラバラな試供用の荷物をいくつか並べた。重い鉄の部材、角の尖った木枠、そして衝撃に弱い試薬瓶の入った小さな木箱。


「荷馬車の荷台は揺れるんだ。だから重いものを下に、滑りやすいものを隙間に挟んで、揺れても互いにぶつからないように積み上げる。僕がいつもやってる『立体パズル』だよ。見ててね」


 トビーが手本を示そうと指先を伸ばした、その瞬間だった。


 カイは並べられた荷物の形状と体積をじっと一秒ほど見つめると、トビーの制止を無視して、すばやい身のこなしで荷物をひょいひょいと抱え上げた。


「こうだろ?重い鉄を一番下に敷いて、この角が出てる箱はこっちの凹みに引っかける。で、割れ物は一番上の真ん中に置いて、周りをこの柔らかい布袋で固定すれば……ほら!」


 あっという間に組み上がった荷積みの構造。


 それを目の当たりにしたトビーは、息をのんで言葉を失った。


 隙間なく完璧に噛み合わさった荷物の配置。振動のエネルギーを分散させるための重心。トビーが何度も試行錯誤を重ねルーカスから学び、ようやく体得した荷積みの「本質」を、カイは一度見ただけで直感的に理解し、再現してみせたのだ。


「……すごいよ、カイ!天才だよ!僕が教えることなんて、最初から半分もないくらいだ!」

「へへっ、だろ?俺、こういうパズルみたいな作業は大得意なんだよ!道の風景を覚えるのと一緒で、形と配置が勝手に頭の中に浮かんでくるんだ!」


 カイは胸を張り、得意げに鼻を鳴らした。文字という壁に阻まれず、己の圧倒的な感覚と身体の器用さを武器にする少年。


 トビーは新しくできた弟弟子の頼もしさに胸の奥を熱くさせながら、これから始まる新しい挑戦へ向けて、カイとともに何度も荷積みの確認を重ねていくのだった。

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