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第32話

 ──バァンッ……ッ!!──


 重厚なオーク材の観音扉が、雷鳴のような激音を立てて左右へ勢いよく押し開かれた。


 そこは迷宮都市ヴァルハイトの経済の心臓部、商業ギルド本部「最高裁定の間」。高価な絨毯が静かに敷き詰められ、冷徹な空気が漂う大広間の最奥で、不正取引の糾弾のために呼び出されていたガストン支店長が、びくりと肩を震わせて振り返った。


「な、なんだッ……!?ぶしつけな……ギルド長との面談の最中に、誰の許しを得てここへ──」


 ふかふかの特等席から弾かれたように立ち上がったガストンの顔面が、一瞬で干からびた雑巾のように引きつる。開け放たれた大扉から押し寄せてきたのは、ガストンが「すでにゴロツキどもに始末されたはずだ」と高を括っていた者たちだった。 先頭に立つのは、淀みのない佇まいの巡回商人ルーカス。そのすぐ隣には、泥と血に汚れた膝に包帯を巻きつつも、一歩も引かずに前を見据える少年トビーの姿がある。


 そして、二人を背後から支える布陣は、ガストンの想像力の限界を遥かに超えた『包囲網』だった。長剣を抜身のまま帯びた青年剣士セシルと冒険者の一団。ドワーフの鍛冶師ガルド。上級錬金術師の老いた一団。さらに、不買の脅迫状を叩き潰したコモレビ村の村長と老婆。レム村の親方たち。そして──


「……なっ!?なぜ、シーガル港湾ギルドのフェルナン殿までここに……っ!?」


 ガストンの喉の奥から、乾いた悲鳴が漏れ出た。悪趣味な金無垢の指輪をはめた太い手を優雅に組み、底冷えする蔑みの視線を投げかける港湾の重鎮・フェルナンの姿がそこにあった。


 生産者、鍛冶職人、錬金術師、冒険者、そして海の物流を牛耳る港湾の長。ルーカスたちが日々の誠実な仕事と鋭い観察眼で繋ぎ止めてきた『血脈』のすべてが、今、ガストンの退路を塞ぐように肩を並べていたのだ。その背後では、ギルド長の直接命令を受けた『ギルド警備衛兵隊』が、逃げ道を完全に断つように冷たい長槍をズラリと構えて立っている。


「ルーカス……貴様、なぜ生きている……ッ!?」


 思考の裏付けを無視して、ガストンの口から取り繕えない本音が飛び出した。


「残念だったな、ガストン支店長」


 ルーカスは静かに、しかし空間の空気を一変させる低い声で歩み出る。


「断崖の曲がり角で仕掛けられたお前の卑劣な暗殺の罠は、命懸けで駆け抜けたこのトビーと、確かな信頼で結ばれた仲間たちによって完全に打ち砕かれた」


「な、何を言っているのかさっぱり分からん!妄言も大概にしろ!ギルド長、このような不法侵入者の虚言に耳を貸す必要など──」


 ガストンが額に青筋を浮き上がらせて怒声を飛ばす。だが、中央の裁定席に腰掛けるギルド長は微動だにせず、ただ底の知れない冷徹な瞳をガストンへ向け続けていた。


「しらばっくれるつもりか?ならば、これを見ても同じ口が叩けるかな」


 セシルが不敵な笑みを唇の端に浮かべ、一歩前に躍り出る。そして、腰から外したずっしりと重い皮袋を、磨き上げられた裁定台の上に乱暴に叩き付けた。


 ──ジャラァンッ……ッ!!──


 ほどけた紐の隙間から転がり出たのは、鈍く光る数十枚の金貨。その表面には、バロン商会の独占を示す『鷲とBの文字』の刻印が、これ以上ないほど鮮明に刻まれていた。


 さらにセシルは、あの暗殺手順が記された羊皮紙を広げ、ガストンとギルド長の視線の真ん中へ突きつける。


「お前が私腹を肥やすために雇ったゴロツキの頭目・ゴドウィンから押収した『バロン商会の刻印入り金貨』と、お前の直筆サイン入りの指示書だ。ゴドウィン本人はすでに地下牢で、お前から直接金を受け取った一部始終を洗いざらい自白しているぞ」

「ひっ……!証拠の品が……指示書が、なぜ……っ!」


 ガストンの皮膚から血の気がサーッと引き、脂汗が滝のように噴き出してワイシャツの襟を濡らす。間髪を入れず、コモレビ村の村長とレム村のバド親方が、それぞれの懐から脅迫状と告発の書面を叩きつけた。


「俺たちを『不買』の脅しで屈服させられると高を括っていたようだが、大間違いだ!ルーカスさんが作ってくれた『直販ルート』を掴んでいる俺たちには、もうお前のような奴にすがる理由など一片たりともない!」

「さらに言うなら、ガストン」


 フェルナンが指輪をジャラつかせ、腹の底から絞り出すような低い声で言い放つ。


「貴様が消そうとしたルーカスとトビーはな、港湾ギルドにとっても嵐の危機を未然に知らせてくれた、代わりの効かん取引相手だ。貴様のような暴力で商いの土壌を汚す腐れ商人は、港の市場からも即刻叩き出してやる」


 ガストンの全身の関節が、耐えがたい恐怖と焦燥でガタガタと震え出した。


「ひ……ヒィッ……!ぬ、ぬかしおれ……!我がバロン商会の莫大な資金力と圧倒的な流通量なしで、この迷宮都市の経済が回るわけが──」


 ガストンが最後の足掻きとして、虚勢に満ちた叫びを上げようとしたその瞬間。


 中央の裁定席から、商業ギルド長が重々しく立ち上がり、冷厳な響きを伴った裁定の槌(ガベル)を、硬い木の板へと振り下ろしたのだった。


 ──ガァァァンッ……!!──


 商業ギルド長の手から振り下ろされた重厚な木槌が、静まり返った裁定の間全体に冷たく響き渡った。


「バロン商会・ヴァルハイト支店長ガストン。競合商人への強盗・殺害未遂の教唆、および物流を害する不当な不買脅迫……。すべての罪状は、明白な物証と証言によって完全に立証された」

「ぎ、ギルド長……ッ!?お待ちください、どうかご再考を!私の背後には大国に繋がる本部の威光が──」


 血の気を失ったガストンが縋り付こうと身を乗り出すが、ギルド長の冷徹な瞳がその醜態を切り捨てる。


「弁明の余地はない。これよりバロン商会の当商業ギルド登録を停止とする。処分の解除条件は、『ガストンの解任および新支店長の就任』、ならびに『被害を受けたルーカス殿と村々への賠償金の支払い』のみだ。この決定は本国へ直ちに通達する」

「な……解任……賠償……っ!?」

「さらに、お前個人には殺人未遂教唆の罪で即刻勾留を宣告する。全財産を没収し、その一部を被害者であるルーカス殿、トビー君への賠償に充てる。……衛兵、連行しろ!」

「はッ!」


 ギルド長の重々しい命に応じ、控えていた衛兵たちが一斉に踏み出す。


「放せ!離せぇッ!私はバロン商会の支店長だぞ!あんな貧乏商人やドブネズミどもに、この私が敗れるはずがないんだ……っ!離せ、触るなっ……!」


 ガストンは整えられた髪を乱し、泥沼を這う犬のように足を暴れさせたが、冷徹な甲冑の腕に両脇を固められ、無造作に床を引きずられていく。金と暴力、そして効率だけを絶対の尺度とし、日々の泥まみれの仕事に誇りを持つ者たちの「信頼」を踏みにじり続けた男の、あまりにも底の抜けた末路だった。


 ガストンの醜い絶叫が廊下の奥へと溶けていくと、最高裁定の間に張り詰めていた重苦しい空気が、一気に音を立ててほどけていった。


「やった……勝ったぞッ……!」

「ざまぁみろ、悪徳商人の分際がっ……!」


 レム村のバド親方が腹の底から笑い声を響かせ、コモレビ村の村長と老婆がガシッと固い握手を交わす。フェルナンもフッと余裕のある笑みを漏らし、金無垢の指輪を光らせながらルーカスの歩み寄った。


「見事だったな、ルーカス、トビー。数字の規模だけが商売の全てではないと、あの愚か者に思い知らせてやったな」

「フェルナンさん、ここまで力を貸していただき……本当にありがとうございました」


 ルーカスが深く頭を垂れる。その隣で、ずっとルーカスの革の裾を細い指で握りしめていたトビーが、震える息を整えながらぽつりと呟いた。


「僕たちの……血の通った道を守れて、本当に……本当によかった……っ!」

「ああ……。俺たちが紡いできたこの道は、もう誰にも渡さない」


 ルーカスは大きな手のひらを広げ、トビーの泥にまみれた頭を優しく包み込むように撫で下ろした。集まった冒険者たち、頑固な職人たち、村の長たち、そして港の商人。立場も背負うものも違いながら、互いの誠実さを結び直した絆の力が、巨大な悪意の牙を完全にへし折ったのだった。

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