12. 冒険手帳と昔話
また次の日になった。
昨日迎賓館でダグとリゼルとゼルスの話題で盛り上がっていたのだが、うっかり公務の時間に差し掛かりかけたところで、侍女長に大怒られして即解散となったのだ。
つまり、気になる魔王の話はいったんおあずけってこと。
もうクラリスがゼルスの地を選ぶことは確定だ。
あとは、謁見の日からどのくらいの猶予があってどのくらい準備をできるか。
あと誰を連れていけるかも。下手したらダグと2人きりの旅……はさすがにちょっと嫌だし。
朝起きて侍女たちに支度をしてもらって、今は朝食を食べながら、ミレアの代わりクラリスの予定を確認してくれる侍女長の話を聞く。
クラリスは食べるのが信じられないほど遅いので、時折このような事態に陥るのだ。
「それでは本日のご予定の確認をいたします。まずは、殿下宛ての手紙を多数いただいておりますので、確認をお願いいたします。午前はアーネスト先生の帝王学、そしてユリウス先生の語学です。昼食はオルセリオ公爵家フィオナ様とのお約束で、離宮でのお食事。午後は迎賓館でリゼル王女殿下の対応と、国王陛下のお呼ばれになった商人が何やらお話があると。それ以降は目立ったご予定はございません。何かご質問は」
「ありません!」
侍女長がいると自然と身が引き締まる。昔からたくさん怒られてきたし。
「かしこまりました……姫様、お口元にべったり、ジャムがついておりますよ」
でもなんだかんだ、優しい。
この城で1番クラリスのことを子供扱いしてくるのも侍女長だ。
公的な場での「殿下」呼びではなく、こういう「姫様」呼びの時は特に甘やかしてもらってる気がする。
やりすぎたら怒られるけどね。
「あばばっありがとうヘレナ」
「ええ……姫様、最近何かと慌ただしいようですが、ちゃんと寝られておりますか?」
侍女長……ヘレナが心配そうにこちらを覗き込む。
まあこれだけばたばたしていればヘレナの耳にも入るだろう。
でも全然元気なんだよな! クラリスはちょっとやそっとじゃへこたれない強い子に育ちましたから。
「はい、しっかりぐっすり寝ました! ミレアがいないのがちょっと寂しいですけど」
「そうですねぇ、では夕方ごろに、少しだけ様子を見に行かれるとよろしいかと思いますよ。今日までは医務室で休み、問題なければ明日から戻れるそうですから」
「はいっ! そうします!」
感染の疑いのあるミレアは、クラリスの生活圏に近い専属侍女私室には入れない。
それが戻ってくる予定ってことは、すっかり元気ってことだ。
ああよかった、今日はいい日になりそう。
うきうきで朝食を食べ進め、いつも通り遅すぎると侍女長に叱られたのだった。
昼、少し早めの時間。
白百合離宮でのフィオナとの昼食の約束だ。
どうせあの人は早く来てしまうから、家庭教師に頼んで少し早めに終わらせてもらったのだが。
「ごきげんよう、クラリス王女殿下。ああ本日も愛くるしいお姿、美の女神が嫉妬するほどの罪深き可憐さ! そんな殿下とお食事がいただけるなんて、はあわたくしは、なんて幸せ者でしょうか」
ちっまだ遅かったか。
燃えるような赤髪のおなじみ公爵令嬢フィオナはいつもいつもいつも約束通りに来てくれず、使用人たちが大慌て。
「もう、フィオナ? 私今日早めに来たんだけど、いつから来てたんです?」
クラリスだからいいけど、他の人にまでこの調子じゃ本当に大変じゃんか。公爵家の人間を待たせるなんてできる人物は王族くらいだし。
本人は相変わらずのほほんと美しい笑みを溢しながら、手に持った扇を口元にあてる。
「あら! さすがのわたくしも先ほど着いたばかりですのよ。なんていったって今日は、殿下にお渡ししたいものがありますの! ささ、早くご飯を食べてしまって、中でお話しましょう」
「え、なんだろ? 新作スイーツ?」
「それは後でのお楽しみですわあ」
「なになになに気になるよー」
そんなこと言われたら、ご飯なんて頑張ってかきこむしかなくなるってものよ。
どこかで見たような高貴な令嬢たちの爆速昼食が繰り広げられ、事情を知らない騎士たちは必死に目を逸らしてくれた。
白百合離宮の応接間。
満腹で動きの遅くなったクラリスを尻目に、フィオナはきらきらした目で喋り始めた。
「それで殿下、わたくしのご用意したもの、こちらです」
じゃん、という効果音を口で発しながらどこからか出してきたものは、なんだろう、小さな手帳?
高級な革、かな、薄い茶の奥に黒っぽい光が見えるなんとも高そうな見た目をしている。
なるほど。旅立つ前に手帳のプレゼントとは、すっごく大人っぽくておしゃれかも!
「超カッコいいじゃん! これは?」
「はい。名づけてフィオナ謹製諜報手帳! いや、冒険手帳の方が響きがいいですわね? まあ呼び方は殿下がお決めになってくださいませ。なんと、オリセリオ家の全てを使ってまとめあげた、暫定版ゼルス攻略本! ですわ!」
「おおーー!」
冒険手帳! そしてゼルスの攻略本!
なんとも素晴らしい響き。
つまり手帳のプレゼントではなく、重要なのは中身ってことだ。
「こちら、さっそく開いてみてくださいませ」
言われるがまま手に持ち、あ、見た目より軽い。適当に真ん中の方のページを開いてみた。
そこに載っていたのは、見たことのない生物の絵と、詳しい解説。
すごい! まるで図鑑を見ているようだ。
ぱらぱらと違うページを見てもどっしりと書き込まれ、そしてそのどれもが知らない生き物――あ、昨日ダグに教えてもらった鳴き笠茸発見!
説明は、『食用キノコ。分布ゼルス全域。夜に傘を開き、周りの音をそのまま吸収し蓄える。次の日刺激を加えるとわずかに夜の音を聞くことが可能』……あれ、食用だったのか。
そして、ダグがより凶悪だと話していた音喰い鳥の方の説明は載っていない。
なるほど説明は正確で詳しい。けど実態としてはもっといろんな可能性がある、くらいに捉えるのが良さそうだな。
しかしすごいな。……見れば見るほどすごい、いやこれ本当にすごいな!
まるでわくわくがたくさん詰まった宝箱だ!
「すごいよこれ! どうやって作ったの? めちゃくちゃ詳しいしなんでも書いてあって、超お役立ち本じゃん! フィオナすごい、ありがとう!!」
フィオナはクラリスの顔を見て、嬉しそうに笑う。
「まあ殿下、そんなに喜んでいただけて、こちらも嬉しいですわ……殿下にお話をしていただいた時から、わたくしにできることをずっと考えていたのです。ただ情報を集めるだけなら、きっと王城の諜報部の方が得意でしょう。でもこういった形にすれば、殿下が領地に身を移された後もお役に立つかな、と思いまして……」
「フィオナ……本当に嬉しいよ、絶対にずうっと大事にする。ここからさらに書き込んで、世界で1番わくわくの詰まった冒険手帳にするから!」
手帳には、未解明の部分、つまり空白の部分がところどころ目立っていた。
ここにクラリスが目で見て確かめたことを書き込めば良いってことだろう。
ふふん、やっぱり今日はいい日だった!
フィオナにありったけの感謝を伝えたあと、しばらく2人で冒険手帳を読んでみた。
そしてしばらく経ち、この一連の事態の裏情報の話が始まった。
朝読んだ手紙に書いてあった内容だ。
あ、一応内容が内容だから燃やしておいたよ。習ったやつ!
要約すると、王国議会が自らの失敗を晒したくないからゼルスを悪者にしてノースラとの戦争をしかけたがっていると。
うん、まあそんなことだと思ってたよ。
お父様があんなに急な話をするなんて、裏で糸を引いているのは王国議会ぐらいしか思いつかないし。
フィオナはクラリスが泣き出すとでも思っていたようで、ひとしきり「さすが殿下、聡明でいらっしゃいますわね」なんてお褒めの言葉をもらった。
そんなこんなでそろそろお開きだ。
「フィオナ、今日は本当にありがとう。この恩は一生忘れないからね!」
「まっ! 殿下ったら。それにまだまだこの手帳は序の口ですわ。今も家の者にゼルスについて調べさせていますの、じきにゼルスの地図や街の情報に観光地にスイーツ情報まで、ぜーんぶお届けしていくんですからね! ゼルスに移られてからも気を抜かないでくださいまし!」
これが我が国が誇るオルセリオ公爵家の力。
フィオナは昔から賢くて美しくて優しくて……最高の友達だ。
「でも私こんなに貰ってばっかで、どうやってもフィオナに恩返しできる気がしないよ……」
それを聞いたフィオナは、心底驚いた顔でクラリスに問いかけた。
「ま! 殿下ったら、わたくしを救ってくださったことを忘れてしまいましたの? ええ、それでしたら何度だって思い出させてあげますわ。わたくしの、暗い暗い、許されざる昔話を」
フィオナはクラリスを見つめ、淡々と語り始めた。
フィオナの生まれたオルセリオ公爵家は、アルディア三大公爵で最も力を持つ、王家に近しい血と権力のある家柄だった。
しかも、そのオルセリオ家は男子ばかり。唯一の女子フィオナは、親族からいびつな教育を受けて育った。
躾はそれはそれは厳しかった。褒められることなんてなく、日常の細かな部分まで常に怒られ続けた。
なのに、欲しい物はすべてねだれば貰えた。気に入らないものは言えば消してもらえた。
だんだん歪んでいった。
物に当たるようになり、ついには下の人間にも当たるようになった。
心が、分からなかった。
フィオナがどのような振る舞いをしても、皆一様にこびへつらい、ごまをすってくる。止められる人はいない。
つまらない。
大人はみんなフィオナに媚びていたし、子供も最初は仲良くなれても親に何か吹き込まれるのか途中から態度が固くなるのだ。
そんな中フィオナが見つけた小さな楽しみは、ほかの令嬢の粗を探し、周りに同意を求めて遊ぶこと。
いや、相手に粗などなくても、少しでも気に食わなければそれは始まったのだ。
ある日の王宮庭園。
母上たちのサロンに飽き駄々をこねたところ、子供は庭園でお散歩しておいで、とのことで、その場にいた貴族の子女3人で庭園に向かった。
相変わらずつまらない話。フィオナの装いが素敵だとか、オルセリオ家の最近の業績は素晴らしいとか、フィオナを見てくれる人なんかいないじゃない。みんな公爵令嬢だから持ち上げているだけ。
適当に相槌を打ちながら歩いていたところ、道の先に別のご令嬢が見えた。
『……ねえ、あの方、たしか伯爵家の方でしたわね?』
フィオナは話を遮って、横にいる侯爵令嬢に聞いた。
『はい、アーゼンス伯爵家の方だったと記憶しております』
その子は道端にしゃがみ、花を摘んでいた。
見ているとなぜだか、むしゃくしゃした。だから急いで近づいて、言ってやったのだ。
『そこの方、わたくしの道を塞ぐとはどういうおつもりで? オルセリオ家はそのような扱いを受けるべきだと、そうおっしゃるのでしょうか』
普通に挨拶をしようと立ち上がったそのご令嬢は、フィオナの言葉を聞いて顔面蒼白になった。
『め、滅相もございません! 大変失礼いたしました、すぐに――きゃっ』
立ち去ろうとするのを阻止するため取り巻きが令嬢の花を奪い取り、頭の上からかける。
『フィオナ様のお散歩の邪魔をするなんて、許されませんわ。覚えておきなさい』
取り巻きも学習していた。フィオナの気に入らない者を排除することこそが、自分たちが気に入られる唯一の道であると。
そして、それをしなければ、自分が標的にされるだけ。
そんな日々が続いても、誰も、フィオナに注意できる者などいない。
傲慢で醜い化け物が、生まれようとしていた。
夕方、王宮で貴族の子女を集めた小さなパーティが開かれる日のこと。
公爵令嬢であるフィオナも当然、そこに参加するため準備に勤しんでいた。
『……あなた、生意気ですわね』
『申し訳ございません、フィオナ様。ですが、これは王家の方を立てるためのお約束でして……』
その日は、お気に入りの白いリボンをつけていきたかった。
珍しく母上がくださった、大事なもの。
それを侍女が、だめと言うのだ。
なんでも王家の、フィオナより若いお方……第二王女殿下が来るらしい。
その方が、白い装いにするらしいのだ。
だからフィオナはだめだと。
『ふぅん、白ねえ……きっとお似合いにならないから、わたくしが染めてさしあげればいいのですわ』
パーティにはジュースが出る。
白はフィオナの色。王女の方を、変えちゃえばいいんだ。
化け物は、白いリボンをこっそり持ち出しパーティ会場へ向かった。
パーティが始まった。
嘘の笑顔で固めた令嬢たちが次々と挨拶に来る。
嫌な時間だった。
でもいいの、今日はあの王女で遊ぶって決めたから。
フィオナは会場の一番明るい場所、自分より小さな人影に向かって歩いた。
『こんにちは、クラリス第二王女殿下。わたくし、フィオナ・フォン・オルセリオでございますわ。本日の美しい白の装い、特別にお似合いでいらっしゃいますわね』
『わあ、フィオナさま、ありがとうございます! 見てください、このね、ドレスに、白の手袋! 北方の国の特別な布? かなんかでできているらしいんですよ! フィオナさまほどのお方なら、やっぱりお分かりになるのですね!』
嫌味だろうか。にっこにこで、まるで心の底から喜んでいるような演技。
……嫌いだわ、このお方。
そしてついに実行の時がきた。
クラリス王女はちょこまかと移動しては下位貴族にも挨拶をしていて、王族としての品位もない。非常に目障りだった。
そのクラリスが休憩をしようと壁際を目指して歩き出した。進行ルートに、フィオナたちがいた。
ちょうど通り過ぎようとした時、フィオナは隣の令嬢を思いっきり突き飛ばす。
派手な音がした。
突き飛ばされた令嬢はクラリスにぶつかり、手に持ったぶどうジュースがクラリスの手にかかった。
白は、染まっていた。
いつも通り、やってやっただけ。
なのに今日は、周りの反応が違った。
『クラリス殿下!!! 大丈夫ですか!?』
『お怪我の確認を! 大変、お召し物が……』
『ちょっとあなた、こっちに来なさい!』
使用人たちが連携して隣の会場にいた大人たちを呼び、次々と応援が現れた。
突き飛ばされた令嬢は号泣して謝り続けているし、クラリスはいいよと強がりつつも泣きそうな顔をして裏へ引いていった。
『失礼、フィオナ嬢が突き飛ばすのを、見ていたという声が複数』
誰かが言った。大人の声だ。
心臓がどくんと跳ねた。
たしかに自分のやったこと。だけど、誰もそれを指摘することなんてなかったのに。
フィオナは頭で必死に言い訳をひねり出し、口に出していった。けれど、誰も同調してくれなかった。
父と母が来た。
事態を聞いて、フィオナは別室に連れていかれた。
……怒られた。
それはもう、泣いて謝っても許してもらえなくて、両親は見たことないほど怖い顔で怒り続けた。
誰もフィオナのこと見てくれてなんかいなかったのに。こんな時だけ出てきて。
何を言っても無駄だった。持っていた白いリボンは、ぐちゃぐちゃにして部屋の隅に投げ捨てた。
その日から、フィオナは心を閉ざした。
ひと月経ち、またパーティがあった。
フィオナは『令嬢と言い争いになり手を出し、あろうことか王女殿下にぶつけた野蛮な子』だった。
もう誰もフィオナに同調しなくなっていた。いや、同調しなくてもいいんだ、と令嬢たちの中で意識が変わったのだろう。
形式的な挨拶を終えると、皆そそくさとどこかに行ってしまった。
もう上手く微笑みも作れなかった。
王家の方が立場が上だ。そんな相手に仕掛ければ、誰も味方しないなんて身に染みて分かっていたはずなのに。
いつも通りみんな味方してくれるだなんて、馬鹿みたいな思い上がりをしていた。
パーティなんて大嫌い。早く終わってほしくて、隅の方でただ立っていた、その時。
『こんにちは、フィオナさま! 今日は深い赤のドレス、すてきですね!』
格下に声をかける必要なんてないはずなのに。
目の前には、クラリスがいた。
何か言われるのだろうか。背筋が凍る。
とりあえずありきたりな言葉を反射で返す。
『……ごきげんよう、クラリス第二王女殿下。お褒めいただきありがとうございます。殿下の黄色い髪飾りも、素敵ですわね……』
すると、またぱあっと明るい顔をして、クラリスが返す。
『やっぱり、フィオナさまには分かるのですね! これは姉さまからいただいた、たしかローゼルで作られるいっきゅうひんらしく、ぜひフィオナさまに見ていただきたかったんですの!』
ずいぶん大きな声ではしゃいでいる。
ほら、周りの視線も痛くて――いや、なぜか周りは優しい目でこちらを見ている。
もう訳が分からなかった。
何か言いたいことがあるのならはっきり言ってほしい。
フィオナはクラリスに冷たく静かに言う。
『クラリス殿下……わたくしは前回殿下のお召し物を汚した張本人です。謝罪などなんの足しにもならないでしょうが、わたくしのできることならなんでもするので、どうかお許しいただきたく……』
クラリスは少し困った顔で笑い、今度は小さい声で言う。
『わかってます。でもほら、私だってむしゃくしゃして失敗することはあるもの。せっかくのパーティなのに、悲しいお顔をされているフィオナさまが気になっちゃって……ね、大丈夫ですから、楽しみましょう?』
何を言われているのか理解ができなかった。
固まっていたフィオナに、クラリスが優しく手を伸ばす。
おずおずとその手を握り返したところで、クラリスは誰かに呼ばれてしまった。
『あら、ごめんなさい。またお話しましょうね!』
次のパーティでも。
『フィオナさま! ねえねえ、最近話題のスイーツ、ご存じですか?』
王城ですれ違った時も。
『ごきげんよう、フィオナさまー! みてみて、今日は自分で刺繍を入れてみたのー!』
もう、わからなかった。
駄目なフィオナへの当てつけなのか。ほかの令嬢にフィオナといるところを見せつけて、あんな悪いやつとも仲良くできるというアピールなのか。
数日が経って、フィオナは思い切ってクラリスをお茶に誘った。
同情ならいらないから、もう関わるのは最低限だけにしてくれと頼むつもりだった。
泣きながらそれを伝えた。
するとクラリスは、蔑むでもなく振り払うでもなく、きちんと話を聞き天使のような微笑みで答えてくれたのだ。
『嫌です、フィオナさま。私は、フィオナさまにも笑顔になっていただきたいのです。あの日から、ずっと暗い顔をなさっているじゃないですか。それが私のせいだとしたら、変えられるのも私だけだと思うから……』
『違います! クラリス殿下は何も悪くありません。わたくしが、殿下に醜く嫉妬して、わざと令嬢を突き飛ばしたのです……申し訳、ございません』
王族への故意の加害。
殿下が本気を出せば、フィオナなどどうとでもできる重たい事実。
もう終わってもいいや。疲れた。そんな思いと共に溢れ出た言葉。
だけど返ってきたのは、何も変わらない優しい言葉だった。
『だから前も言ったでしょう? 分かっています、大丈夫です、と。顔をお上げくださいフィオナさま』
『…………』
『たった一度じゃないですか。私だって、数えきれないほど失敗して怒られてますよ。昨日だって、兄さまに絶対あげるんだ! って紅茶を入れて、ティーポットごと割りました。その前は、お勉強が嫌で逃げ出して、廊下の花瓶を割りました。あら私ったら壊してばっかりですね』
そんなの全然可愛いものじゃないか。
人を傷つけたんじゃない、物なんて買えばいいだけ。王族なんだから尚更。
『ええと、だから、そんなことはもういいんです。私は、フィオナさまと仲良くしたかったの』
『……なぜ、ですか』
『だって、フィオナさま、きっと私とおんなじ、悲しい気持ちがあるなーって思っていたから』
『悲しい気持ち?』
『はい。ただ仲良くしたいのに、相手がだんだん固いお顔しか見せなくなって、誰も私を見てくれなくて、えっと、家柄しか見てない! ってことです』
そうか。
公爵令嬢のフィオナですらみんな媚びを売ってきていたんだから、目の前の王女様なんてもっとひどかっただろう。
大人の汚い権力争いに、駒としての期待、勝手な理想像の押し付け。
同じ思いをしてきた人が、いたのか。
自分だけじゃ、なかったのか。
この王女は、こんなに幼いのに、もうそんなことも理解して受け止めているのか。
色々な気持ちが渦巻く。
いつの間にかフィオナは、気持ちが抑えられなくなっていた。
『……誰も、わたくしの話なんて聞いてくれなかった。いえ、聞いてはいるけど、返ってくるのはいつも似たような肯定の言葉だけ。わたくしを、ただのフィオナを、ちゃんと見てくれる人なんて、1人も……』
両親でさえも。
涙がぽろぽろ零れる。
母が見たら外ではしたないと怒られるだろうか。父は、見向きもしないだろうな。
クラリスはそんなフィオナでも、真っ直ぐに見ていた。
『あわわ、えっと、だ、大丈夫? ごめん、そんなに嫌だったらもちろんいいんですけど』
フィオナを見て、心配している。
こんなに優しい人がいるならこの世界は、実はもっと明るくて楽しいものなのかもしれない。
『……お友達に』
『はい?』
『わたくしとお友達に、なってくださいませんかっ!』
『は、はい! あ……やったあ!』
目の前には大輪の花が開いたような笑顔。
世界にはこんなにも、美しいものがあったのか。
その時フィオナは心の底から、嬉しい、と思えたのだ。
「へえーフィオナにそんな時期が」
「ま! やっぱり殿下ったら覚えていらっしゃらないのですわね! あのあとも我が家まで来てくださって両親と話をしてくださった結果仲良くなれたし、わたくしが今まで意地悪した令嬢に謝りたいと言った時には場を取り持ってそのまま一緒に遊ぶようにしてくださったし、本当に、殿下がいらっしゃらなかったらもう、どんな人間になっていたことか……だからわたくしは一生殿下に恩返しするのです。いえ、したいのですわ!」
今の元気いっぱいフィオナからは考えられないような話。
鼻息荒くクラリスに心酔しているのはそういう事情か。クラリス自身は色々あって、あんまり覚えてなかった。
あ、後ろで侍女がジェスチャーしている。
大変もう大焦りの表情。ぎりっぎりの時間らしい、移動せねば。
「ごめん時間がきちゃったみたい。いつもありがとね。ずっと友達だよ、フィオナ!」
「もちろんですわ! クラリス殿下に何が起きても、わたくしは絶対に絶対に味方ですわ……それでは名残惜しいですが、殿下、今日もよい一日を!」
「はーいフィオナもね!」
クラリスとフィオナは白百合離宮を出て、別々の方向へ歩き出した。
太陽が今日も、眩しかった。




