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10.ダクトには虫と鼠と決闘マニアが住んでいる

 モノ・シズは地獄から出発して遥か上、重厚な赤い空さえも突き抜けたところだ。ここまで岩の塔を登ってきたはずの彼はいつの間にか両足を垂直に立てて、実に平坦な直線の道を歩いていた。最初、彼はこの変化に気づくことができなかった。気づくために必要な酸素、体力、気力のどれもがことごとく欠けていたのだ。ついにモノは力尽き、地面に横向きで倒れ、真上を横切っていく空を見つけた。雲一つない青空だった。モノ・シズの瞼は、彼の脳がパニックによって指令系統を制圧してしまうよりも速く脊髄信号を受け取ってそっと閉じられた。

 モノ・シズは眠っている間、自分の置かれている状況、特に地形や傾斜の変わり映えに関する確認を、睡眠学習によって済ませていた。それから安全に目を覚ます(セーフティ・アウェイク)。彼の覚めた眼を投げ飛ばす限り、どこまでも真っすぐな道があった。そんな直線道を挟み、何もない両岸の彼方、異様な空間から二人の男が姿を現した。お互いの顔を見合い、足の裏で虚無の地面を掴みながらやって来た。

 その右側から来た男は、肩に明るい海賊王のジャケットを羽織っており、下にはいくつもの斬り傷を受けてなおそこに深い影を落とす、漆黒の袴を履いていた。顔はごつごつとした砂漠地帯から顎や口周りに十分な髭を保ち、ただ一点だけ柔和な両方の目つきがとても不気味だった。腰には南部産の名刀を二本差し、刀の鞘の先端が地面との擦れ擦れを引きずっている。

 その男の対岸にいる男は、首の七分目にまで届く整形された襟に、その体格にぴったりと張り付く上等な布地、肩や腿を強調するように膨らんだストライプの蹴鞠という、一目見てそれと分かる古風な西洋貴族だった。男の表情は、裏にある神経質さを知らしめるべく皺を眉間に集め、その上を架かる橋の片側に宙ぶらりんになっている懐中眼鏡は、かつて職を追われる前の時計職人が愛用していた顕微鏡オプション付きの記念品だった。彼の腰は、相対するもう一人の男の腰と比べても三つ分は上に位置している。脇によく磨かれたレイピアを携え、そのレイピアは男の足取りと共に揺れて、先端部分で半月型に周り、周りに紅潮する光を返した。

 右に立つ東洋風の男は笑いと欠伸を噛み殺しながら、髭だらけの口を先んじて開いた。

「ああ……」

 ついに言葉は言葉にならなかった。だがこの場の空気を更に張りつめさせ、決闘への興奮をはっきりと伝えていた。彼はもう一度、雄弁に息を吐いてみせた。

 西洋風の男はそれとは対照的で、その冷静さのあまり周囲に侍らせた時を失っているかのようだった。しかし事実ではない。彼はいとも簡単に場の静寂を破ってみせる。

「相変わらず気味が悪い。今回こそは真に殺し、この剣の糧とさせてもらう」

 革のベルトの上を白い金属が這う音がし、男はレイピアを前に構えた。

 男もそれに応じる。鞘から刀を二本引き抜いて、握り込んだ刀の重量に従って両手を下向きに垂らす。背中を屈めて、流線形の体勢を取った。

 モノ・シズは自分の呼吸器を押さえた。

 完全な静寂から六方向への気流。四散する風音(ダイナミック・ブロウ)、男が二人、刃が三つで直線道の中央に交差していた。髭の男はその粗野な顔に似合わず、あらかじめ練ってきた作戦をすぐさま実行に移す。相手の第一の突きを一本の刀で受け止めた隙に、もう片方の刀を振り上げ、硬直しているレイピアを真横から思い切り迅速に殴打しはじめた。レイピアの面影は思惑通り、ズタズタにされ、二度とあの鋭い攻撃を繰り出すことはできなくなった。

 貴族の男は悲惨な目に遭ったレイピアを素早く身に引き寄せると、軍で指揮を執るための言葉を荒げながら、中空でしならせた。

「倣え!」

 レイピアの金属は彼の言葉に従順だった。一瞬で元の形へと隊列を組みなおしてしまったのだ。

「形状記憶(テルミコ・デ・メモリア)! たったのこの瞬間だけでそんな現象はあり得るはずがねえ!」

「野蛮人の中でも有数の阿保と闘うのだ。こちらとて一般測に拘ってはいられんよ」

 男はそう、言い終わるかどうかの境目で腕を伸ばし、早速と真新しいレイピアを第二の突きとして飛び込ませた。その突きの鋭さは、第一の突きがあくまで様子見だったということを全員に納得させるだけの破壊力を持っており、殺意明確な心臓狙いだ。二刀流の男は、今回ばかりは突きを受け止める判断を取らなかった。刀の柄に力を入れると、緊急で横に飛び込み、道の外、何もない空間で勢い余って前転した。運動に伴って袴が野暮ったく上下し、男の脚回りは何気に細いのだと見えた。

「おいおい、奇襲なんて汚えな。お前、マジに囚われてるぜ」

「ふん。私は常に本気の国よりの使者よ」

 と言って、レイピアを握る拳を胸にある紋章の横に掲げる。

「なんだそりゃ。闘いは遊ぶべくして遊ぶんだぜ」

 と、男は地面に崩していた体勢を立て直す。自分の攻撃の番を得た、と見て、体をほとんど鉄骨のIの字にひん曲げて猛突進した。進行方向、そして右手側のやや後方から光る刃をはみ出させている。世界中の建設現場で想定される危機がそこにあり、彼は急速落下、レイピアの男は陰っていく空を睨み、その真下に立ちはだかった。

 百色の火花と甲高い鳴り。全く同時に叩きつけられたその切っ先は、第四世界に浮かぶ孤島に住むひとりぼっちの少女の耳にまで襲い掛かった。そしてその状態はエネルギー保存則に従って、つかの間の安息の下に保存される。しかし当の二人は安息など求めていない。停止することなく斬りつけ、手にした武器を伸ばし、その伸ばしてきた相手の刃を弾き返し、自分の攻撃こそを本命に仕立て上げる。落下する男は重力に押され、徐々に落下しつつあった。膠着状態は永遠には続かない。男は自分の片一方の刀を弾き返されたその瞬間、上空に後退していく腕を無理矢理に曲げて、手にある刀を相手に投げ飛ばした。刀の狙いは少し逸れ、地面にいる貴族の片耳を切り落とす。

「……!」

 男は耳を失って、耳を失おうが関係ないと強気に出た。その強い意志はむしろ仇となってしまう。そのバランスの欠如は、事の全てを見下ろしている男によって見透かされてしまう。男は天よりの重力に乗っかって見事に相手の男を押し切った。崩壊。地面に押し倒し、劣勢となった男の首筋に刃を当てて見下ろす。それから前回の学びを活かした。男は相手の着ている豪奢な服の中に手を突っ込んだ。 

 手に目当ての物が当たった。それを服の中から抜き去り、相手の顔面にゼロ距離で突き付けた。

「危ねえ危ねえ(ペリグローサ・ペリグローソ)? どっちだったっけな」

 それは当時あえて古めかしくデザインされた、実際にも古びた携帯銃だった。聖書の内容にメスを入れる啓蒙科学小説を専門に扱った月刊誌『善と悪の谷間』の表紙絵が純金によって浮彫になっており、羊飼いが深い谷の上に立って、頭上に広がる暗い宇宙との交信を図っている。宇宙にはたった一つ巨大な紡錘型の惑星が塵や埃を巻き込んで輝き、目下に集まった羊飼いと羊たちのことを明らかに黙殺している。

 貴族の男は、その懐中眼鏡の奥から向けられた銃口の奥へと目を通している。汗の浮いた口を開いた。

「勝ったつもりか」

「ああ。勝ちは勝ちだ」

「それは違うな」

 そう言って、男は片方の手を差し出し、広げて見せた。

「ただ以前の敗けを、今回克服したに過ぎない」

 男の手のひらには一枚の絵が乗っていた。詳細なつくりについては誰にも説明不能だが、半透明の光線が平らな面を構成し、男の手のひらから数センチ浮かした空中で独特な絵を張り付けているのだ。その絵は遠い昔、人類が科学によって栄光を極め、落ちぶれるまでの長い過程において、非常にニッチな一部での熱狂を担わされた、西海岸の変態が描いたメカの女だった。メカの女は体に衣服を着けておらず、素っ裸で、頑丈なうえに柔軟な表面を光沢させ、長い脚を鑑賞者に向けておっ広げていた。その高所にある股の下では、彼女よりも遥かに小さなロケット船が丸みを帯びた軌道に沿って発射する様子が描かれており、さらにはそのロケット船よりも小さな科学者や肉体労働者たちが仕事に追われ、地上の辺りをあくせく走り回っている。

「どうだ。試しに撃ってみるといい」

 男は疲弊している顔で口角を上げて言った。

 その物言いを、銃口を構えたまま男は怪しんだ。怪しんだが、この機を逃そうと決心できるほど、身に降りかかる危険を察知することはできなかった。

 発砲。

 死んでいたメカの女の両眼が光る。

"THANK YOU."

 と、時代遅れのサウンドが告げ、優勢にあった男と直線に放たれた弾丸は、メカの女が所有するプレイフィールドへと引きずり込まれた。撃った銃弾はフィールドの右の隅で大人しく装填(セット)されている。男はそのフィールドを取り込んだ長方形の台の前に立ち、自分でも気づかないうち、台の側面にあるプッシュボタンの上に二本ずつ指を掛けていた。これはピンボールだ。ピンボールのルールはいたって単純だ。

 十四セグメントディスプレイが映り込んだ。

『彼女を人間の女性のようにして。

 美しく笑い、美しく歌い、美しく愛する。

 彼女を女性へと作り替えて。愛して。』

 赤色の仄暗いアルファベットがそんな内容を語る。彼女は痺れを切らしていた。だから男の代わりにバネを引いて、そこにセットされていた弾丸を自分勝手に射出してしまった。

 発射された弾丸は、フィールド上部に設けられたバンパーとバンパーの間を跳弾。ぶつかる度に電子音が響く。やがて落ち着きを取り戻した弾丸はフィールドを転がって、その下で待ち構えているフリッパーの領域へと流れた。咄嗟にボタンを押下。銃弾を打ち返した。そしてうまく反対側の傾斜路へと向かう。実に良い勢いを保持し、傾斜路を登り切った弾丸は行き止まりのストッパーへと当たり、穴の中に落ちて、しばらくプレイヤーの視界から身を隠した。

 男は冷静になって今一度ピンボール台を見渡した。プレイフィールドには、さっき見せられたメカの女が一面に描かれていた。その上ライトアップされた姿に見惚れていると、マシンの都合で弾丸が姿を現し、彼女の開いた口の中に投げ込まれた。電子音と電球の光が二人を祝う。彼女は口から弾丸をプッと吐き出して言った。

"I CAN SPEAK."

 そして人をからかうことが趣味の女のような笑い方をし、彼女の顔面が盛大に九十度回転する。どうやら彼女の両眼は張りぼてだったらしい。回転を終えた後にあった顔は、両方の目が綺麗にくり抜かれ、奥に電球が見えていた。次に弾丸をぶち込むべきは、あの両眼部分の穴なのだ。吐き出された銃弾が銀色のレーンに乗って、フリッパーの元に返ってくる。男は左のフリッパーを跳ね上げて応戦した。この一発目はハズレ。すぐに帰って来て、二発目は再び明後日の方向へ飛んで行った。大きな乳房のループ構造を周遊し、抜けてフリッパーの上に帰って来る。男はこの遊戯の虜となっていた。誰かに言われるまでは、死んでも気づくことはないだろう。他の全てを忘れ、男はピンボールに明け暮れてしまった。

 こうして男たちの決闘は、予想できない停戦を見せた。貴族の男はまだ体を起こすことができないでいた。重力加速度が最大まで乗った相手の攻撃は受け流し切れず、何度かレイピア一本でもろに受け止めた衝撃が、彼の利き腕を通じて体の節々を麻痺させていたのだ。当の相手は、自分がすぐ横に出現させたピンボールに夢中だった。この上ない好機にあるというのに、自分の体は動かなかった。

 完全な傍観をしていたモノ・シズは、この闘いが終わったことを祈りながら、二人が動かなくなった地点へと忍び寄った。

 男は横になったまま、首も回さずに眼球の動きだけでモノのことを見つけると、案外元気な声色で彼を呼んだ。

「おい! そこの少年よ!」

 モノ・シズは少年と呼べるほどの見た目でも年齢でもなかった。だが彼は、この呼ばれ方をひとまず受け入れることにした。

「もし暇であるなら、私たちに料理を振る舞ってはくれないか」

 モノは頼み事の意外な内容に、口を閉じた。驚いたモノの表情を見て、貴族の男は少し笑い、モノに向けて話を続けた。

「食材なら、私がやって来た向こうに置いてある。たぶん、コイツも同じように何かしら持ってきているだろう」

 男は精一杯、顎を動かして場所を伝えた。

「だから頼んだぞ。私は少し眠るとする」

 そう言い終えると、男は平たく眠りについてしまった。モノが彼の首筋を指でつついても、死んだようにしている。もう一人の男がピンボールから気を逸らすことは一切なかった。彼はピンボール台の中にいるメカの彼女にいつまでも夢中なのだ。

 モノ・シズはとにかく、この直線の道から左側にある何もない空間へ向かった。言われた通り荷物があったのを道の上に運び込み、それから反対側の空間へ向かってさらに荷物を運び込んだ。中には大量の食材と調理器具が入っていて、どういう訳かオーブンやコンロ、七輪などの物理的にはあり得ないサイズの様々な調理設備一式までしまい込まれていた。モノが手にした二つの荷物を逆さに振って、中からゴマ一粒も出てこなくなった時には、これから調理する食材たちで足の踏み場もなくなっていた。モノ・シズは辺りを見回した。頭の中ではコンピューター設計の際の経験を巡らした。それによって思いつく限りのアイデアを、メロンやスイカといった大きな果物の皮にメモし、それらのアイデアを上から順番に実行した。分厚い肉は表面を焼いてから、長時間蒸して食べるものだ。野菜は崩してスープやソースにしたり、やはりこれも蒸してドレッシングをつけて味わうものだ。魚は煮込んでダシを取り、ほぐした身を何かと挟み込んだりする。人工的な調味料はできる限り省くが、あまりにも美味過ぎる場合は致し方ない。闘いを終えた男たちの舌はとにかく味の濃さにうるさいものだ。何より自分には技術が全く足りていないのだから。精密さは二の次として置いて、モノは生まれて初めて挑戦したこの大調理を、大規模な円卓と純白のテーブルクロスの上に並べることができた。

 モノ・シズは自信を持ってその両手を打ち鳴らした。

 大きな拍手に続き、鼻腔をくすぐるその素晴らしい匂いに、男たちはまるでゾンビのように復活した。ゾンビのように円卓の上になだれ込み、並べられた料理をゾンビのように食い荒らした! まずは好物の肉から平らげ、魚は頭から尻尾まで余すことなく食らい、気変わりを起こして野菜を口にしてみれば再び自分が肉食獣であることを思い出す三角食べの野蛮人。ソースを一滴も残さず空けた食器が一枚、円卓から滑り落ちた。音を立てて割れた。こういった一度目の出来事というものは、二度目、三度目へと繋ぐための普遍的な合図だった。

 円卓には、二匹の獣だけが残った。その下には全ての皿が割れて宴の終わり、人間の言葉をギリギリ模した咆哮が響いた。

"オカワリ!"

「もうありませんよ」

 モノ・シズは何とか分かってもらおうと、二人の荷物を逆さにし、目の前で何度も振ってみせた。もちろん何も残っていない。

 だが二匹の獣は、まったく違う部分を見ていた。こうして命乞いをするモノの指に付着した肉の脂やオリジナルソースの光沢に目を奪われ、

"クッテヤル!"

 と、一斉に飛び掛かった。

 モノはなんとかその一撃を逃げおおせる。それから向こうのピンボール台の裏へと駆け込んだ。二匹のうち一匹の獣が向う見ずな衝突を試み、ピンボール台を激しく揺らす。

 サウンドが鳴った。

"THANK YOU"

 そのワンクレジットは誤作動というアーケードの神からの恵みであり、獣になり果ててもなお、彼女のセクシーな声はかつてのプレイヤーの魂に深く根を下ろしていた。台に頭をぶつけたその一匹が、急に二本足で立ちあがり、獲物そっちのけでピンボールを遊び始めたのだ。凶暴な指使いでボタンを操作する。そこから繰り出される技の数々。ピンボール台はボールの挙動に応じ、基盤に記録された演出を何十通りも披露してくれる。しばらく様子を窺っていたもう一匹の獣も、その単純なライトとサウンドの連鎖に心を引かれている。結局、二匹の獣はピンボールの罠に自ら捕まることとなった。その遊戯は、どちらかが人間性を取り戻すまで延々と続いた。

 やがて台から四本の手が離れた。二人の人間が戻って来てから、

「さっきのは今日一で惜しかったな。あれは惜しかった」

 と、語るシエンプレ・ツジギリはまだメカの女のピンボールに後ろ髪を引かれている。

「なんて情けない……。この度は大変申し訳なかった」

 グラマロス・ニュークは自分の失態をモノに恥じた。

 垂れて皺になったテーブルクロスの鼻先には、用済みとして落とされた皿の破片がいつまでも散乱していた。そのため三人には安全に座れる場所などなく、結果的に一番片付いた円卓の上に各々腰をかけることになった。モノとシエンプレは胡坐をかいて座った。座敷に慣れていないグラマロスだけが、机の外に足を放り出し、中央に背を向けるという反目のような姿勢を取っていた。彼の片方の耳は、ついさっき縫い付けてもらったばかりで、血の滲んだ太い縫い目が後ろからよく確認できた。

 シエンプレ・ツジギリは、何気ない会話においてはまるで別人のように見えた。

「俺たちは元々、都市で開かれていたチェスクラブの会員だったんだ。こいつはその中でも最弱候補筆頭」

「その筆頭候補には貴様も含まれていただろう」

「そんな訳で俺たちはお互いに対しても、他の会員に対しても、負ける度に喧嘩を吹っ掛けていた。ズルをされたとか、時間切れは実力じゃねえとか言って、チェスよりも殴り合いの回数があっという間に積み重なった。勝てないチェスより勝てる喧嘩をした方がいい」

「その結果、チェスクラブを追放されたのだよ。それでも喧嘩自体は収まるわけじゃない。チェスクラブには入れないから、今度は町の至る場所で喧嘩を起こす。そうすれば必ず他の者によって邪魔が入る。そのとき私たちは久しぶりに、チェス愛好家らしく次の一手を考えたのだ。私たちは、誰の邪魔も入らない絶好の空き地を求める旅に出ると決めた」

「そんな地理的な旅が、気づけば時空の旅になってたんだよな。こういうことは、心清らかな俺達にとってはよくあることなんだ。歴史的に有名な鍛冶職人を訪問してどうにかこの刀を打ってもらったり、博物館じゃ知りようもない実際の大戦の空気を味わったり。この喧嘩するのにうってつけの場所も旅の途中で巡り合ったんだ」

「そう。ここは元々、誰もいない場所だった。それがどうして君のような少年が迷い込んでしまったのか、私には見当もつかない。教えてはくれないか」

 二人は同時にモノ・シズを見た。

 モノ・シズは正直に、地獄から空に伸びた岩石を天国まで登っている途中なのだと打ち明けた。それから自分がまだ死んだ訳ではないこと、人間が外部に漏らしている脳波の研究に携わるうちに、小児性愛者の想像域から海洋のコンピューターと鋼の船を造って、この場所から遥か下に広がっている地獄に足を着けたのだと話した。

 グラマロスとシエンプレはお互いにお互いの困った顔をした。とても一度で飲み込める話の量と質ではなかったのだ。それでも口を開いたのはグラマロスだった。

「そうか、色々なことがあるのだな」

 グラマロス・ニュークが珍しく柔らかい口調を人に聞かせた瞬間だった。それに自分で気がついた彼は、口調を切り替えて続けた。

「ということは、君はこの先の道を行き、天国へ行くのだな」

「はい。そのつもりです」

「それならお礼とお詫びを兼ねて、君にこれを渡そう」

 グラマロスは先ほどまで、自分の顔を狙いすましていた銃を、丁重にモノに手渡した。

「といっても単なる知識通(オタク)の品だ。神様に通じるような代物ではない。お守り程度に考えてくれたまえ」

 シエンプレは、自分の袴やジャケットの中を必死に探ったが、何も見つからなかった。

「悪い。何もあげられそうにないや」

「別にいいんですよ」

「それじゃあ、握手でどうだ。俺と気合の入った握手をしよう」

 シエンプレは組んでいた腕を外し、起伏のよく分かる右手を差し出した。モノはその手に自分の右手を乗せた。そして何の捻りもなく力で握り潰された。モノの皮膚と肉の奥で、いくつもの骨が組み替えられる音がしている。

「これで少しは強い男になっただろ」

「あ、ありがとうございます」

 モノへのプレゼントを済ませたシエンプレは、目線の調子を変え、グラマロスの方に向け直した。

「それじゃあ、俺は俺のマイ洞穴に帰るとしよう。百年くらい瞑想したらまたここに集まって闘おうぜ」

「百年瞑想といいながら九十九年は惰眠を貪るだけのくせして。私は百年、また時空中を見て回ることにするよ」

 二人はそう言って、お互いの来た対岸の空間へと姿を消した。モノはひとり、取り残された円卓から直線道にひょいと飛び降りた。銃を懐にしまい、その重量を感じながら歩きはじめた。

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