1話 誓いの日
今よりはるか昔の話。
美しい褐色の肌を持つダークエルフは、美しい白い肌を持ったエルフと魔法による熾烈な争いを続けていた。
そしてダークエルフはエルフに敗れた。
『ダークエルフは二番目の種族である』
その敗北の事実を由来とするこの言葉は、何千何万の時が経とうとも、決して移ろうことのない不変の真実の言葉であった。
故にダークエルフは、二度とエルフに負けてはならない。すべてのダークエルフは幼い頃にそう教えられ、その長く果てしない人生を魔法の研鑽へと費やしていくのだ。
「そう、教えたはずだバカ息子!!!」
「うるせぇっ、そんなもん知るか!!!」
ここに、紛れもない異端者がいた。
彼が焦がれたのは魔法ではなかった。
「俺は剣で世界に名を轟かすって決めたんだ!」
気高きダークエルフの王族の第二王子である彼―『オルディス・デック・オスクリタ』が焦がれたのは、魔法ではなく剣であった。
「なぜダークエルフが魔法ではなく剣を取るのだ! 我らは誇り高き魔法種族なのだぞ!」
「それは種族が勝手に決めたことだろ? 俺は魔法じゃなくて剣を取る、そう決めたんだ!」
「くだらん屁理屈を抜かすな!!」
「いてぇっ!!!」
尖った耳を持つ端正ながら厳格な顔つきの褐色の肌をした男が、同じく尖った耳を持つ端正な顔立ちをした少年の頭に拳骨を下す。
「お、親父だって拳使ってんじゃねぇか!!」
「これは教育だ!」
「な、なんだそれすりぃぞっ!」
「ずるくなどないわ! 誇り高きダークエルフの王族が剣を取るなど、断じて私は認めん!!」
オルディスから取り上げた木刀を手に、父はバタンと扉を閉め、大きな足音を立てながら去っていった。
「くっそぉ、あの頑固親父が……」
「遺伝とは恐ろしいものですよ、オルディス様」
その様子を静観していた従者服に身を包んだダークエルフの少女が口を開いた。
「何言ってるんだフラリナ。俺ほど柔軟で従順な息子はいないだろ?」
「……本気でそう思っていそうなのがオルディス様の怖いところです」
呆れた様子でやれやれと首を竦める従者の少女。彼女の名は『フラリナ・ソーンブラ』。オスクリタ家に古くから仕える従者の家系に生まれた少女で、オルディスより5歳歳上の、オルディス付きの従者である。
「俺の木刀取り上げやがって、一体どうやって訓練したらいいってんだ」
「国王様は訓練するなと仰っているのかと」
「断る!」
またまた呆れた様子のフラリナは、へたれ込んだオルディスの隣に座りこんだ。
「オルディス様は、どうして魔法ではなく剣を選びたいのですか?」
一族のしきたりに従い、素直に魔法を学ぶフラリナにとって、どれだけ止められても砕かれない夢を持つオルディスの姿は、まさに不思議以外の何者でもなかった。同年代の少年少女達の誰もが、そんな彼のことを異端者と呼び、陰で笑い者にしている。
だが一族のしきたりに背いてでも、周りに何を言われても、どんな風に映っていても、決して剣への憧憬を捨てないオルディスの心には、一体どんな信念があるのだろうかと、フラリナは少しだけ興味が湧いたのだ。
「だって、魔法より剣の方がかっけぇじゃん?」
返ってきた言葉はそれだった。
「……それだけですか?」
「それだけだけど?」
何かおかしなこと言ってる?とでも言わんばかりの彼の表情に、フラリナは失礼だとは理解していながらも、込み上げくる笑いを我慢しきれずに、吹き出してしまう。
今も嬉しそうな表情で、古の邪悪な魔王をその剣一本で討伐した伝説の剣聖の物語を嬉しそうに語るオルディスの青い瞳は、宝石のように綺麗に輝いている。
「それでよ、ただの人間であるはずのその剣聖の斬撃は天をも割るほどの―って、なんで笑ってんだ?」
「ふふっ、申し訳ございませんオルディス様。オルディス様は私めには少々眩しすぎましたので」
「眩しい? これでも俺は歴としたダークエルフだぞ?」
「そういうところですよ。木刀は私が新しいものを調達してきますのでご安心ください」
「いいのか? 父さんにバレたら怒られるんじゃ」
「その時は、オルディス様も一緒に怒られてくれるのでしょう?」
「でも、フラリナが怒られたら俺は嫌だぞ」
「大丈夫ですよ。我々ソーンブラ家が仕えるのはオスクリタ家ですが、私個人の主人はオルディス様ですので。泣くる時も、怒られる時もあなたと一緒です」
この日、フラリナはたとえ自分も異端者と罵られようとも、生涯オルディスに仕え続けることを誓ったのだ。この方なら本当に、世界にその名を轟かすような英雄になってくれるのではないかと、ほんのちょっぴりそう感じたのだ。
「それではオルディス様は自身へお戻りください。私は木刀を回収してきますので」
「その必要はないよ」
いつの間にか、扉の前に一人の青年が立っていた。
「兄さん!」
「やあ、オルディス」
彼は『ユーリス・デック・オスクリタ』。
オルディスの兄にしてオスクリタ家の第一王子、ダークエルフの次期国王だ。
「また父さんから拳骨をくらったらしいじゃないか、オルディス」
「父さんが俺の言うことを聞いてくれないんだ」
「どちらかと言うと言うことを聞いてくれないのはオルディス様の方かと」
長い歴史で見ても、魔法ではなく剣を学びたいなどと抜かしたダークエルフは、オルディスしかいないだろう。
エルフやダークエルフなどの妖精族にとって、保有する高い魔力量は、種族としての誇りそのものであり、魔法を扱えることこそが妖精族の存在意義なのである。
その誇りを捨て、自分たちが劣等種と見下す人間やドワーフなどと同列に剣を取り、同じ土俵に立つなどということは、極めて非効率かつありえないことなのだ。
「ははっ、流石はオルディス、無茶苦茶だ!」
フラリナからその話を聞いて、ユーリスはその貴族らしい振る舞いを捨て、豪快に笑った。
「やはり、無茶な話でしょうか……」
「そりゃ言葉通り前代未聞な話だからね。誰も認めるとは思えない」
フラリナは既に自分の主人を信じることに決めている。
それでもやはり、無理で無茶なこのオルディスの夢を後押してくれる手が、自分以外にもあればと思わずにはいられない。
ダークエルフの次期王として、忖度のない現実を突きつけてくるユーリスに、フラリナは思わず肩を落とした。
「そう、ですか……」
「良いんだよ、オルディスはそれで」
「え?」
オルディスのその馬鹿げた夢を肯定するかのようなその優しい声は、次期王として厳格さを身につけた第一王子のものではなかった。
「本気なんだろ? オルディス」
「当たり前だ!」
「なら、それでいいんだ」
オルディスも、聞いているだけのフラリナですら、思わず涙が出てきそうなほど温かいその声音は、オルディスのよく知る、どこまでも優しい兄のものだった。
「有する魔力なんかじゃない。家にも、一族にも、何者にも縛られないその自由さこそが、お前の一番の誇りなんだ」
「ユーリス様……」
ユーリスはこのダークエルフの里の次期国王だ。妖精族の寿命は長く、ユーリス自身もまだ子供と言える歳だが、もう百年もしたら、彼は王を継ぐのだろう。数多の民を導く王に相応しいダークエルフになるため、第一王子であるユーリスは、幼い頃からオルディスとは比べ物にならないほどの不自由かつ厳しい教育を受けて育ってきた。
そんな彼にとって、しがらみに囚われずに、自分とは正反対の道を突き進んでいくオルディスの姿は、ユーリスにとって光そのものであった。
ユーリスの手元が光り、魔法が発動された。
その光が止んだ時、手元にあったのは一本の木刀。
「兄さん……」
「父さんや姉さんは怒るんだろうけど、俺はお前を応援してるよ。どこまでもお前らしいお前が、兄の俺にとっては一番の誇りなんだ」
そしてその木刀をオルディスへと手渡し、そのまま優しく肩に手を置いた。
「英雄になれ、オルディス。俺が王になるからには、二番目の種族なんてダサいあだ名はごめんだ。どうせなら、英雄を生んだ種族の王様がいい」
「兄さん……」
ユーリスは最後にオルディスを強く抱きしめた。
「ああ、任せろよ兄さん! 俺は絶対英雄になる! 俺が兄さんを英雄の兄にしてやるからな!」
方や王族に生まれた責務を果たし、その使命を全うしようとする兄。方やその全てを放棄し、自分の道を突き進もうとする弟。進む道は正反対でありながら、その絆は決して切れず。
兄弟の絆というのはこうも美しく尊いものなのかと、その様子を黙って見ていたフラリナは、二人の柔らかな笑顔に、そっと一雫の涙を溢した。
「父さんに取り上げられたら俺んとこに来いよ。こんなもん、いくらでも作ってやる」
「ありがとうな、兄さん!」
「フラリナ、俺の弟をよろしく頼むぞ」
「はい、ユーリス様」
そう言って、まだ青年とは思えないほど大きく見える背を向けて、誰よりも優しく聡い兄は去っていった。
残されたオルディスはしばらくその後ろ姿を目で追いかけた後、渡された木刀を強く握り締め、天井スレスレに高く掲げた。
そして目に炎を宿して誓う。
「俺はやるぞ、フラリナ!」
「はい、お供しますよ。どこまでも」
「魔法なんか使わなくたってやってやる!」
「ええ、オルディス様なら必ず」
「ついでに兄さんを英雄を生んだ一族の王にする!」
「私としてはそれが一番であって欲しかったですけど」
高く掲げた刀を力一杯振り下ろした。
「目指すは天下無双!! この剣と俺の名とダークエルフの凄さを、世界中の人間に知らしめさせてやるんだ!!!」
かくして異端なダークエルフの王族オルディスの、剣で切り開く偉大な英雄への道が、スタートしたのであった。




