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太陽の咲く庭で、君が  作者: 蔡鷲娟
第二章
90/128

22 奈津と亜希の冒険③


 


 座り込んだまま声の聞こえる方を振り返った奈津が見たのは、またしても透けた姿の人間だった。でも先ほどまで話していた人とは違っていた。髪の長い、今度は女性のように見える。


『……お? 人? 何百年ぶりかなぁ、子供なんて見るの……。あ~、ふんふん、そうか、それで水のやつ、力を回復して引っ込んだわけね……』


 透けてはいたが、長い髪の毛は金色に光って見えた。その人は髪と同じ金色の目で奈津を見、続いて亜希を見て納得したように呟き頷いた。その間奈津は賢明にも沈黙を保ち、現れた人を観察するように見つめていた。後ろに見える木に埋もれた人に変化はなく、ただ現れた人が変わっただけのようだと分かった。しかしいくつもの疑問はいまだ解消されず。


『……はぁ~い? こんにちは? 可愛い坊や、お名前なぁに?』


 金の人はこちらに向かって手を振ってそう尋ねてきた。予想外なフレンドリーさに驚き、奈津の返事は遅れる。


『あ、名前を聞くときはこちらから、だっけ? あたしフェイフェイ。よろしく! 坊やのお名前は?』


「ひ、ひなた……なつです。こっちはいもうとのあき、です」


 フェイフェイ、と名乗った金の人は名乗りを聞いてにっこり笑い、ふわりと浮いてこちらへ来た。一瞬後ずさろうとしたけれど、お尻が地面についていたのでうまくできず、身じろぎしただけだった。


『あら、怖くないわよ、大丈夫。……あのね、ヒナタナツくん? 何が起きたか一応説明してあげたいと思うんだけど、いいかしら? そっちのアキちゃんはそのうち目が覚めると思うし』 


 奈津からおよそ一メートルほど離れたところの中空でフェイフェイは止まった。穏やかな風が吹いてきて、金色の長い髪を揺らす。大きな金の瞳に見つめられて、少しドキッとしたけれど、やはり恐怖は感じなかった。オバケみたいなのに、変なの。奈津はそう思ったけど口には出さなかった。


『……とは言ったものの、どこから話したらいいのかしらねぇ。大体でいいかしら、ね?』


 独り言からの変化球に奈津は首を傾げ、わからないまま頷いた。フェイフェイはよし、と頷くと話を始める。


『あたし、いえあたしたちはね、精霊なの。人の形をとっているけどね、人ではないの』


 いきなりの訳の分からない話に、奈津はまた首を傾げた。聞き返したかったがフェイフェイはその隙を与えてはくれなかった。分からないままに話は進む。


『……昔々ね、ある人間を助けるためにあたしたち四体の精霊が力を貸して、その人間と一つになったの。それが、アレ』


 あれ、と言いながらフェイフェイが指を指したのは木に埋もれた人だった。


『そもそも精霊と人間がひとつになるってこと自体が前代未聞でね、ただ必死であの子を生かしたいと思っただけだったんだけど……試みはある意味成功してある意味失敗したの。つまり、あの体自体は死なずに済んだんだけど、あの状態でしょ、生きてるとも言いにくくって。動けないし』


 奈津は目をぱちくりさせながら黙って話を聞いていた。やっぱりよくわからない。


『あたしたちの力のつり合いが良くなかったのが悪かったみたいなのよね。あたしは風、さっきの子は水。一番力の強かったのは土のじいさまで、そして火の子の力が一番弱かった。あまりに力関係がバラバラだから、火の子が成長してつり合いが取れるようになるまでこうしてじっとしていた方がいいって土のじいさまが言うんで、ここ、結界張ってたのよね。ああして木の中に埋もれているのも、大地からの力を受け取りやすくするため。それでどのくらい経ったのか数えてないからわからないけど、いまだにこのまま。水の子なんてずーっと結界張ってたもんだから力使いすぎちゃって消えそうだったし。たまたまそこのアキちゃんだっけ、が、水の力を持ってたんでちょっと分けてもらって、お蔭で水の子は中で眠ってるわ。数年もすればまた起き出して来るでしょ。よかったわ、どうなるのかと冷や冷やしてたのよ、ありがとうね本当に』 



 しきりに首を左右に傾げて奈津は分かっていないことをアピールしたつもりだったのだが、フェイフェイは流れるように話を続け、奈津としては最後にお礼を言われたことだけを理解した。


「あの……」


 どうも話が終わったようだったので、奈津は果敢にも手を挙げた。


『ん? 何か質問?』


「えっと、はい。あの、そもそも精霊って……なんでしょうか」


 至極基本的な疑問だった。それを受けて今度はフェイフェイが首を傾げた。


『あら、坊やったら、あたしたちのこと見えてるのに精霊を知らないの? 変ね』


 そして顎のところに指を置き、うーんと考える素振りをした。


『あーでも、それもそっか~昔から見える人の方が少なかったし……。どうも精霊自体減ってるみたいだしな~知らなくても無理ないのかな。時代かな~』


 あらぬ方向を見ながら大きな独り言をひとしきり言って、フェイフェイはまた奈津に向き直った。


『精霊はね、自然から生まれるものでね、それぞれ属性を持っているの。基本的には風、土、水、そして火。四つ以外の力を持ってるものも稀にいるけど、大体この四種類に分かれるわ。例えば風の精霊は風から生まれる……ほら、見て』


 フェイフェイは遠くの空に向かって手を振った。こちらに何かを呼ぶように腕を動かしている。と、急に強い風が吹いてきて奈津は思わず目を閉じた。風が空気を切る音だけが耳に聞こえる。


『ちょっと、もう少し自重なさいな、これじゃ何も見えないじゃない』


『だってだって! かぜのだいせいれいさま、あうのはじめて!』

『よんでくれてうれしい! はじめまして!』

『すごーい、つよいちから、きもちいい!』

『だいせいれいさま、こっちこっち、こっちにきて!』


 フェイフェイの声の後でもっと高い子供のような声がいくつも響いて、奈津は驚きに目を開けた。いつの間にか風は収まって髪を揺らす程度になっていた。


「え……なに、これ」


 思わずそう呟いたのも無理はない。奈津の目の前には大小様々な光がふわふわと浮いていて、くるくるとフェイフェイの周りを回っていた。フェイフェイは嬉しそうに、でも少しうざったそうに苦笑しながら光の玉をかき分けて奈津を見た。


『これが風の精霊よ。風に乗っているところを下りてきてもらったの。この子たちはまだまだ子供で人型にはなれないけど』


 奈津がぽかーんと光の玉とフェイフェイを見ていると、また高い声が騒ぎ出した。


『ひとがた! そんなせいれい、もういないよ』

『わたしたちおおきくなれない、ちから、ない』

『だからうれしい、だいせいれいさまあえた』

『だいせいれいさま、このにんげんのこども、わたしたちのこと、みえているね、めずらしいね』


 一斉に騒ぎ出すさまはいくつもの鈴が一度に鳴り出したようなけたたましさで、奈津は思わず耳を覆いたくなった。しかし光の玉たちは一斉に話し出して一斉に口を噤んだ。今度はじっと見詰められているような感覚に、奈津は身じろぎして後ずさる。


『あーあー、そんな風に見たらダメでしょ。怖がってるじゃない』


 フェイフェイが一言そう言うと、奈津に掛かっていた圧力は霧散した。知らずに緊張していた奈津は息を吐き、気を取り直してフェイフェイに尋ねた。


「あの……だいせいれいさま、ってあなたのことですよね? よくわからないけど……すごいんですよ、ね?」


 これだけきゃあきゃあ言われているのだから、ものすごい精霊なんだろうと奈津は思った。精霊の力のすごさをどう表すのかはよくわからなかったが。


『んー? そうねぇ、存在してる時間が長いから自然と……。さてどれくらいになるのかしら。うーん、この状態になってもう数百年は経つのよね、確か……』


 良く考えたら完璧に人の姿をしたフェイフェイはものすごい力を持っているに違いない。先ほど光の玉のことを子供だから人型になれないと言っていたではないか。フェイフェイはものすごく大人なのだ、多分。


『千? その上は万、億だったっけ……? じじいは億単位よね、きっと。あたしはせいぜい……一万? 十万? あーわかんなくなってきたから考えるのやーめた』


 しばらくの間ぶつぶつ呟きながら指を折っていたフェイフェイだったが、考えることを放棄して肩を竦めた。奈津は何と言ったらいいか分からず、曖昧に笑ってフェイフェイを見上げた。「一万」がどれくらいの数を表しているのかが分からなかったのだ。


『さて、あなたたちはもう行きなさいね。ありがとう、またね』


 フェイフェイは光の玉を体に纏わりつかせ、遊ぶようにくるりと回ってから右手を挙げた。すると光の玉はその動きに合わせて列になり、空へと昇っていく。突如生まれた上昇気流に奈津の座っているあたりの草も垂直に起きだし、落ちていた葉っぱは舞い上がった。桃色の花びらが風に乗り、ピンク色の川を空に描き出す。


『さようなら、だいせいれいさま』

『さようなら、またよんでね』

『きっと、よんでね。わたしたち、もっとおおきくなる、ちからになる』

『さようなら、にんげんのこども。ひのちからをもつこども』


 ものすごい風の流れに促されるように奈津は立ち上がり、花びらが上空へと飛んでいくのを見守っていた。

 唸るような風の音と、鈴のような高音の声が鳴り止むと、辺りは急に静かになって葉っぱはまた舞い降りてきた。

 今までに見たことのない不思議な光景に奈津は口を開けて空を見上げていたが、ふと我に返って慌てて口を閉じた。亜希はまだ目覚めてはおらず、恥ずかしい顔は誰にも見られていなかった。フェイフェイ以外には。

 しかしフェイフェイは風の子精霊たちが去った方角をじっと見つめ何かを考えているようだった。一瞬眉を寄せた後、何事もなかったように奈津を見て苦笑した。


『ちょっと騒がしかったわね。驚かせてごめんなさいね』


 驚きはしたが恐怖は感じなかった。鼓動がまだドキドキと跳ねているのは今までにない体験に興奮しているからだ。

 奈津はふるふると横に首を振って、それから笑って見せた。


『ふふ、さすが力を持った子供ね。あなたみたいな人間がたくさんいたらよかったのに……さて、あまり長居はできないわね。久しぶりに誰かと話したからちょっと浮かれちゃったわ』


 フェイフェイはふっと表情を引き締め、木の根元に埋まる人間を見た。つられてそちらを見た奈津だったが、木と一体化した姿はやはり異様だった。不思議な色の髪の毛は腰の辺りまで長く伸び、時折風に揺れている。閉じた目の色はもちろんわからないが、すっと通った鼻筋はきれいで多分、目を開けたら相当な美人なのだろうと奈津は思った。男か女かも分からないけど……あ、胸がないから男の人みたいだ。


『あたしたちは、この子を生かすためにここに留まってる。でもいつまでこうしていたらいいかもわからない。炎の力が足りないの。それが補われない限り、ここから動くことすらできない』


 フェイフェイはそう言ってまっすぐに奈津を見た。なんだか申し訳なさそうな、少し辛そうな顔だった。


『あなたには全く関係のない話よ、本当は。でも目の前に現れた好機をみすみす逃がすほどあたしたち余裕があるわけでもない……。保証はできないけど、あなたの何かが変わるわけじゃないって思うわ。すべてを貰う訳じゃないしね……』


 回りくどい言い方だったけれども、フェイフェイが何を言おうとしているのか何となく奈津にはわかった。


「えっと、つまり……おれのちからがひつようなんだね?」


 透けた青い髪の人に言われた。風の小さな精霊にも言われた。……自分には“火”の力がある、らしい。それが一体どんな力なのか奈津には全く分からなかったが。


『そう、そうなの……話が早くて助かる……。あたしたちの為に、あなたのその力を分けてちょうだい。きっと……きっと何かが変わるわ』


 フェイフェイは真剣な顔で頷いた。奈津は何が何だか、やっぱりまったく分かっていなかったけど、困っている様子のこの人たちを放ってはおけないと思った。まだすやすやと眠っている亜希を見下ろしてうん、とひとり頷いた。

 亜希だって力をあげたんだ。お兄ちゃんのおれが人助けできなくてどうする。

 そんな気持ちでフェイフェイに告げた。


「いいよ、よくわからないけど……しんだりしないもんね?」


 一応確認のつもりで尋ねたら、フェイフェイは笑って首を振った。


『命に危険があるようなことはしないわ。大丈夫。……ありがとう』


 穏やかな微笑みだった。それを見て奈津はなんだか安心した気持ちになった。母親の笑顔に似ている気がしたのだ。

 ほっと力が抜けたところにフェイフェイはすっと奈津に近寄って奈津の手を取った。先ほど亜希の力を吸収した時のように、目を閉じて光って浮いて終わりだと奈津は思っていたのだが、フェイフェイは奈津と手を繋いでそのまま宙に浮いたのだ。


「え?」


 驚いているうちに奈津は一メートルほど宙に浮いていた。フェイフェイの手に急いでしがみつくようにしたけれど、浮遊感は変わらなかった。


『あはは、ごめんね。言えばよかったね』


 悪びれもなく笑うフェイフェイは、ゆっくりと中空を移動して眠る人のいる木の根元に奈津を着地させた。移動したのはほんの五メートルほどの距離。こんな距離歩けたのに、と奈津はフェイフェイを見上げたが、空を飛べることなど滅多にない……というかありえないことだと分かっていたので文句を言うことはなかった。ただ驚いている間に終わってしまったことがなんだかもったいなく感じたくらいで。


『そしたらね、その子の額に手を当ててもらえるかしら。指先だけでもいいわ』


 奈津の心の内など知らないフェイフェイは、すぐに次の指示を出してきた。言われてその木の幹に埋もれた人を見た奈津は、至近距離で確認したその人の異様さに思わず後ずさってしまった。

 顔も体も半分は完全に木に埋もれていて、細かな根っこのようなものに浸食された白すぎる肌はまるで人形のようだった。呼吸をしているのかも定かではないほどにぴくりとも動かない体と、ささやかな風に揺れる不思議な色の長い髪。見たことのないデザインの服はボロボロだった。まるで長い長い間旅をしてきて、疲れて木に寄りかかって眠ったまま、そのまま死んでしまったような雰囲気で。


「……いきて、いるの?」


 思わず声に出してしまった。そしてその小さな呟きにも、フェイフェイは律儀に答えてくる。


『ぎりぎり、っていったところね。でも生きているわ』


 吐息に乗せるような言い方だった。ずっとずっと降り積もってきた疲れを滲ませるような。でも希望を捨ててはいない力強さもあった。フェイフェイは続けて優しく言った。


『……さあ、怖いことなんてないわ。ちょっと触るだけでいいの』


 怖い、と思ったことを見透かされて奈津は少し悔しく思った。

 死んだ人を見たことはなかったけれど、別にオバケだって怖くないし。こんなの、ちょっと木に埋もれてるだけだし、大丈夫。

 そう自分に言い聞かせて、フェイフェイに言われた通り、その動かない額にそっと、人差し指を伸ばした。


 ――冷たいような、温かいような。柔らかいような、硬いような。


 触れた時の一瞬の不思議な感覚にびくりとしたのも束の間、奈津は自分の中から何かが出ていくのを感じた。ほんの少しだけ触れている、人差し指を通って。


「な、なにこれ……!」


 パニックになりそうでフェイフェイを振りかえっても、触れた指は引っ張られるようにくっついてそのひとの額から離れることはなかった。気づけば先ほどの風の精霊たちのような小さな丸い光がいくつも周りに浮いていて、奈津自身の体もうっすら発光していた。


『あなたの力が具現化されているのよ。あなたの中に眠る、炎の力が』


 赤く揺らめく光の玉は、まさに火の玉のようだった。浮かんでは消え、また浮かんでは消えていく。それは奈津の体から発生し、眠る人の体に吸い込まれていくのだ。

 目の前で起こる不思議な現象たちに目を丸くしながら、それでも奈津は倒れこむことなく立ち尽くしていた。何で亜希のように気絶とか眠るとかしないんだろうと頭の隅で思ったが、気絶できないのだから仕方がない。お腹の辺りから暖かな熱が湧きだしてくるのを感じながらただ待っていたら、不意に光の移動は終わった。


「あ……れ……?」


 光がすべて消え、さっきまで全然眠くなかったのに、と思った瞬間に奈津は意識を手放していた。倒れこむ寸前のところをフェイフェイが掬い上げる。


『……ありがとう、力を分けてくれて。……本当にたくさん抱えていたのね……おどろいたわ』


 フェイフェイはそう言って奈津を亜希の隣にそっと下ろし、寝かせた。規則的で静かな呼吸が、音のない広場を満たしていく。

 張りつめた緊張感がそこにはあった。切り離された時間、場所。

 フェイフェイは眠る人を見つめ、そしてまた双子の兄妹を見遣った。ふう、とため息を吐いたら、それはさぁっと柔らかな風となり、辺りは葉擦れのざわめきと共に元の空間へと戻っていった。


『……これで何かが変わるといいのだけれど……。さて、この子たちどうしたらいいかな』


 小さな期待を呟いた後でフェイフェイは思考を切り替えた。その気になれば風に乗せて二人の子供を家に帰すこともできるが、太陽も高く昇ってしまった今、あまり目立つことは二人にとって良くないはずだった。




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