16 命名
双子の出産から三日。葵は羽留の時のようには気絶もしなかったし、寝込みもしなかった。翌日には起き上がって母乳を与え、双子は双子で全く普通の赤ん坊だった。
……そう、双子は普通だった。
浮きもしなかったし、テレパシーも送っては来なかった。おれが抱っこしようと葵が抱っこしようと、機嫌の悪い時は泣き止まないし、何を考えているのか全く分からなかった(そもそも産まれてすぐの赤ん坊は何も考えていない気もするが)。
「この子たちにはね、力を与えすぎないように慎重にコントロールしたのよ」
三日目の昼、といっても正午をだいぶ回った頃に一緒に昼飯を食べながら、葵はそう言った。お袋と親父は買い出しに出かけている。
双子たちは一日に何度もミルクを飲みたがるから葵は大忙しだ。飲んで、寝て、飲んで、寝て。寝ている間しか休憩する暇がないのに、今度は羽留が葵の邪魔をする。三歳になってだいぶ落ち着いていたはずなのに、弟妹が産まれて羽留は退行したらしい。俗にいう“赤ちゃん返り”だ。
「羽留の時には勝手がわからなかったからなすがままにしていて、それで産まれたばかりの頃は力が大きすぎたでしょう? だから今回は、何とかコントロールできないかなって考えていたの」
羽留を自分の膝の上であやしながら、葵は器用にそうめんを啜った。指しゃぶりまで再発した羽留は、お母さんを独り占めできて満足そうだ。以前の力を持っていた時の羽留だったら、こんな時聞き分けもよかったろうにと、ちょっとがっかりしてしまうのは我儘な話だが。
「コントロール……。そんなこと妊娠中は一言も言わなかったじゃないか」
「そうだけど……だって意識をお腹の子に集中することしかできなかったんだもの。上手くいくかもわからなかったし」
唇を尖らせて非難したつもりだったが、葵にはおれの気持ちは伝わらなかったらしい。おれとしてはただ、どんなことでも話してほしいだけだったのだが。
「子供たちがね、力をお腹の中に隠しておくよって、協力してくれるって言ってくれたの。それで上手くいったんだわ。力を全く与えないことはできなかったけれど、現れていない分、それほど多くはなさそうだし」
「え、ちょっと待った。それって前みたいに、腹の中の子供と会話してたってことか? そんなの一度も……」
気づかないうちに隠されていたことがボロボロ出てきて、おれはびっくりすると同時にがっかりしてしまった。それほどまでに相談相手として認識されていないのか、おれは。葵にとっては相談するようなことではないのかもしれないけれど。
「え、だって。お腹の中の子供と話ができる人間はいないから、内緒にしたほうがいいって栄が……」
葵が意外そうな顔で首を傾げてこちらを見たので、おれは大きなため息とともに肩を落とした。
「それは他人には言わないほうがいいって話で……おれは別。おれは葵の何?」
葵の中では一体どんな認識になっているのだろうかと思わず尋ねてしまう。口に出した瞬間に、一体どんな答えが返ってくるのかと怯える羽目になって後悔したが。
葵は「うん?」と反対方向に首を傾げ直して数回瞬きをした。
「……旦那さん、でしょ?」
そう、そうだ。何も間違っていない。でもなんでこんなに噛み合わない。
……ああ、おれのせいか、一から十まで話をしないと葵には人間世界の常識なんてないんだもんな。
「そう、旦那さんだよな。夫婦ってのはな、葵。基本隠し事はなしなの。他人には言えないことも夫婦の間だったら話もできるの。おれは葵のことなら何でも知りたいの!」
半ばキレかかったような気持ちで言葉を吐き出していたが、きょとんとおれの話を聞いている葵の素直な顔を見ていたら、なんだか急に間違っているような気がしてきた。自分が非常に子供っぽいことを言っているような。羽留だけでなく、おれまで赤ちゃん返りしているのだろうか。
「……ダメ、かな」
「ダメじゃ、ないけど……わかった、何でも話すね? それでいい?」
葵の表情が少し呆れたように見えるのは気のせいだろうか。ああ、何だっておれまで葵に負担を掛けているのだろう。
いかんいかん、こんな調子じゃ。葵にもっと頼ってもらえるようにならなければ。
「ああ、ありがとう。……それで、さっきの話の続きだけど、葵はお腹の中の二人と会話できたのか」
おれはベビーベッドで並んで眠っている双子の方に視線を遣った。産まれたときこそ区別はつきにくかったが、今は何となく分かるようになった。
「そう……最初に話しかけてきたのはナツ……。『おかあさん、はやくあいたい』って」
「へぇ……?」
葵は先に産まれた男の子に『ナツ』という名前を付けた。その名前はなんとなく予想はついていたのだが。漢字で書くと『奈津』だ。
「それから今度は女の子の声でね、『おかあさん、ちょっとせまいのよ、ここ』って。……アキね」
後から産まれた女の子には『亜希』と。これではる・なつ・あき。四季が三つまで揃ってしまった。
ちなみに七月生まれの双子に“夏・秋”とつけるのはどうなんだろうとちょっと疑問に思ったが、七月は今の感覚では夏、旧暦では秋なのでちょうどいいらしい。まぁ、ずれが生じていたとしても反対なんてしないのだが、おれは。
「大体七か月目くらいかなぁ……。早く早くって急かすのを押さえて、もうちょっとお腹の中にいてもらったの。だってあんまり早く産まれるとよくないって助産婦さんに言われていたしね」
うーん、そんなことがあったとは。ぜひ前もって聞いておきたかった情報だった。でも今更だ。
「声が聞こえてくるようになってから毎日話しかけていたの。あなたたちが力を持ってるなら、どうか隠してほしいって。本当は力が渡らないようにって思ってたけどそれは無理みたいだったから、せめてね」
「お腹の中から話しかけてくる時点で、力を持ってるって意味だもんなぁ」
「そうなの。そしたらナツが、『おなかのなかにしまってみる』って。力を一点に集中させて、しまいこんでみたらしいのね。そしたらそれが成功した。アキも『わたしにもできたよ』って。ふふ、可愛いわよね、お腹の中でもう、お兄ちゃんと妹の順番が決まってたのよ?」
確かに、それに関してはとても微笑ましい。奈津は産まれる前からお兄ちゃんをしているんだな。だが産まれた後は亜希より聞かん坊になっている気がするのだが、それは力を封じてしまったからなのだろうか。
「産まれてきたときに、ハルの時のような力の波動を感じなかったから……ああ、うまくいったのねってほっとしたの。力なんてない方がいいもの、絶対に。だから……」
おれは葵の言葉に違和感を感じて口をはさんだ。
「力がない方がいいって言うのは何でだ……?」
あったっていいじゃないか。羽留の場合は力がありすぎるといって封印されてしまったが、その件に関しては葵は覚えていなかったはずだ。
「だって……いつか力があることで、子供たちに何かがあると困るもの……。大きな力は良いことばかりを運んでくるわけじゃないわ。だからハルの力が封印されたことも、よくわからないけれどよかったと思っているもの」
いいことばかりを運んでくるわけじゃない、か……。おれには今一つよくわからないが、葵はそういう風に考えていたのか。もしかしたら葵自身、大きな力を持っているが故に過去に何かがあったのかもしれない。それを知ることはできないけれど、力がない方がいいと葵が判断するならおれは賛同するしかない。そもそも普通の子供には天使の力なんて備わっていないのだし。
「そっか……じゃあハルもナツもアキもみんな普通の赤ちゃんだと思って育てれば問題ないよな。ハルの時がイレギュラーだったと思えば何てことないし。赤ちゃんがまとめて三人いるのがこんなに大変だとは思ってなかったけど……せめてハルがもうちょっとお兄さんしてくれたらってとこだな」
葵の腕に抱かれていつの間にか寝息を立てている羽留を眺め、おれは苦笑した。葵はその滑らかな頬を撫でながら、愛おしむように呟いた。
「何だっていいのよ……ただ、元気に大きくなってくれればね……」
「ああ、そうだな……」
葵の言葉にそう返しながら、おれはあの日現れ、羽留の能力を封じていった存在のことを思い出していた。
あの、良くわからない、でも確実に大きな力を持っているただものじゃない誰か。
何が目的でなぜおれたちの前に現れたのかは分からない。でもまた会う時が来そうな、そんな気はしている。あの存在が現れたことがすでに、葵の言うところの『大きな力はいいことばかり運んでくるわけじゃない』の例なような気もする。何か危害を加えられたわけではないけれども、羽留の力が大きかったから現れたのは事実なのだ。
羽留の力は封じられた。でも封じられただけならその力を羽留はまだ持っているということだ。そして奈津と亜希も、お腹の中に隠して産まれてきたのなら、確かに持っているということだ。
葵は表に出ていないなら大丈夫だと思っているみたいだけれど、おれはちょっと心配になった。
いつかその力が表に出る時が来たならば。
葵の言うように良いことばかりを運んでくるわけじゃないとするならば。
……そんな未来は考えたくないなぁ。
考えるのが嫌になって、それ以上思考を進めることを放棄した。ちょうど折よく双子たちが目を覚まして泣き始めたのでそれどころではなくなったのも理由としてあげられるが……。
おれはこのときの怠惰な自分を思い返し、のちに自己嫌悪に陥ることになる。




