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太陽の咲く庭で、君が  作者: 蔡鷲娟
第二章
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15 双子出産


 それは、葵の好きな向日葵の花がつぼみをつけて太陽を追いかけ始める、七月初めのことだった。

 

 出産予定日まであと一か月以上あった。双子は多少出産が早まる、という話は助産婦さんから聞いていた。でも家族の誰もが油断していた。もう少しだ、という意識はあったし、羽留の前例もあるから多少はそりゃ早いかもね、でも今度は双子だしそこまで成長も早くないだろう、なんて話したりはしていた。 けれども。


 葵がとんでもない力を秘めた天使で。

 一度目の出産で耐性のようなものがついて、体が出産に適応できるようになっていて。

 そして他でもない葵が、お腹の中の双子と会話できることを隠していたから。


 だからわからなかったのだ。まさかこんなに早く産まれてこようとは。


  *


 驚きは作業場の庭に突然一人で走ってきた羽留からもたらされた。


「ぱぱー!! じいちゃん!! ままが、ままが!!」


 作業場の建物には絶対に入らないように、ときつく言い聞かせてあるので、羽留はそれを守って庭で大声を上げていた。三歳七か月にしてこの分別のあるところは流石だと感心しつつも、絶叫と同義の羽留の呼びかけにおれは慌てて庭に出た。

 おれの姿を認めた羽留は、涙と鼻水で顔をぐしょぐしょにしながらおれに駆け寄ってきた。


「どうした、ハル?」


 とりあえず羽留の顔をハンカチで拭いてやって尋ねる。すると羽留は大きな目からすぐにまた新たな涙を零して言った。


「ままが……赤ちゃん産まれるって、おばあちゃんが呼んで来いって、ぱぱと、じいちゃん」


「は……!? うそだろ!?」


 いつかも叫んだようなセリフを吐きながら、おれは羽留を抱き上げた。そして作業場を振り向き、近寄ってくる親父に向かって声を上げた。


「葵が、産まれそうなんだって! 親父も早く来てくれって!」


 驚きに目を丸くして何か言いかけた親父をそこに残し、おれは羽留を抱えて玄関に駆け込んだ。もうすぐ四歳になろうとする羽留はだいぶ重くなっていたが、そんなことを気にする余裕もなくすぐに客間に飛び込む。

 するといつか見たような光景――布団に葵が横たわっている、ではなく、葵が畳の上で四つん這いになり、苦しんでいるのが見えた。本当に先ほど陣痛が始まったらしい。

 今回は間に合ったかと脳の端っこで考えた瞬間に、お袋から鋭い指摘が飛んできた。


「栄! 立ち会うつもりなら着替えてらっしゃい!! そんな木屑だらけで赤ちゃん取り上げられないでしょ!!」


 言われてみれば作業場から直接走ってきたので、作業着であったのは当然のことながら、木屑が全身に付いてしまっていた。もっともだと思い、また羽留を抱えたまま玄関に引き返す。

 羽留についてしまった木屑は払い落とせばいいと、ある程度冷静だったのは、苦しんでいる葵を見たせいだろうか。早く着替えて手伝いをしないと、と思いつつ、そのタイミングで玄関にやってきた親父に羽留を託す。親父は作業場で木屑を払い落してきたらしく、見た目は割ときれいな状態だった。流石だな、と思いつつ、おれは大慌てで自分の木屑を払い落した。


「おれ、着替えてくるからハルを頼む!」


 親父にそう言い置いて、自室への階段を駆け上がる。親父のことだから羽留の木屑を落とした後、おれに習って着替えてくるだろう。皆まで言わずとも分かるはずだ。

 焦りながら作業着を脱ぎ、適当なズボンとTシャツに着替えた。洗面所に降りて入念に手を洗い、ついでに顔も洗ってさっぱりする。さっぱりしたところで髪にまだ木屑がついているかもしれないと気が回ったのは良かった。タオルで頭全体を覆い、ギュッと縛った。


 よし、行くか。


 何をどう手伝ったらいいか全くわからなかったが、心の準備だけは整えたおれは再び客間に向かった。てんやわんやの状況がそこに待ち構えているとも知らずに。


  *


 結論から言えば、おれは大して役には立てなかった。


 おれがやったことと言えば、まず廊下に落ちた木屑の掃除。そして大量の湯沸し。

 お袋に命じられるままにひたすら薬缶と睨めっこしてたら、「鍋で沸かしなさい!!」なんて怒鳴られて。怒られても『ああ、それもそうだ』くらいにしか思えずに、しゅんとしつつも指示に従った。

 何しろ出産という一大行事に際して、おれたち男ができることなんてあんまりない。駆けつけた助産婦さんとお袋で協力して、葵を出産にいい体勢にもっていって安定させてしまったし、苦しそうに喘いで時折叫び声を上げる葵が可愛そうで仕方なく、とにかく手を握って腰を擦ってあげることしかできなかった(お袋から「何もしなくていいから腰を擦ってあげなさい!」という指令が出ていた)。

 ただ経験豊富な助産婦さんから見れば、これだけ順調な双子の出産も珍しかったらしく。

 葵は陣痛が始まってからものの二時間の内に二人の赤ちゃんを無事に産み落とした。


 羽留の時より時間がかかったのは、二人分だと思えば当たり前のことで、でも二時間でかつ何の問題も起きずに自然分娩で産まれたことは助産婦さんを驚かせた。助産婦さんは二人の赤ちゃんの体を順番に拭いた後、おれに笑いかけてくれた。


「元気な男の子と女の子です。多少小さいですが、問題ありませんよ」


 ああ、良かった。無事に産まれた。

 最初の感想はそれだけだった。産着に包まれた小さな体を渡されて、ああ、なんて小っちゃいんだと改めて驚く。


 定員一人分の子宮に二人で入っていた双子は、やはりそれほど大きくならないうちに産まれてきてしまうらしい。いつかの羽留よりだいぶ小さなおくるみを、慎重にふたつ抱えてそれぞれの顔を覗き込んだ。

 男の子と女の子と言われたが、わんわん泣きわめく赤い顔を見てもどっちがどっちだかわからない。ただ、どうしようもない愛おしさと感動が込み上げてきて、力を入れないようにするのに必死だった。


「葵、お疲れ様。元気に産まれたぞ……ほら」


 まだ荒い呼吸も落ち着かない葵の枕元に、双子を寝かせた。

 葵はほっと息を吐いてにっこりと笑う。


「うん……よかった……」


 何かを求めるように宙を彷徨う小さな小さな手に、おれと葵はそれぞれ指を差し出してみた。きゅっと力を込めて握られる、その力強さ。思わず笑みを交し合って、まだまだ泣き止まない二人の大合唱に苦笑した。

 羽留の時はなぜかおれが抱っこしたら泣き止んだんだけどなぁ、とぼんやり思い返していたら、葵が意味深なことを呟いた。


「よかった……うまくコントロールできたみたい……」


 小さな二人を見つめたまま吐息に乗せて呟くように言ったので、あまりよくは聞こえなかった。でもその安堵の表情が、ただ無事に出産を終えたことに対する安心とは違うような感じがして。


「葵……?」


 どうしたんだ、という意味を込めて名を呼ぶと、葵はなんでもない風に首を振った。額に張り付いていた前髪をそっとよけて、タオルで汗を拭ってやった。……どうやら葵はまた何か隠し事をしているらしい。


「葵、おれを除け者にしないって前に言ってくれたろ? 今度は何を隠してる?」


 責めるつもりはなかったのだが、咎めるような口調になってしまった。疲れた様子の葵の顔をじっと見つめ、どうしても聞きたい意思を伝える。

 だが葵はちらりと助産婦さんのいる方へ目線を遣って、小声で言った。


「話すわ、ちゃんと。でも今は……」


 葵の言わんとすることが分かり、おれは頷いた。


「ああ、ごめん。そうだよな。じゃあ後でまた落ち着いてから聞く……」


 助産婦さんもお袋もいるこの場でできる話ではない、それもそうだろう。それに、出産で疲れている葵に今問いただすのも酷だ。我ながら何を焦っているんだろうか。

 少し浮かせていた腰をどっしりと落ち着け、葵の枕元に座りこんだ。まだ泣き止まない双子のほっぺたをつん、とつついてみる。


 ――お前たちはどんな不思議な力を持って産まれてきたのかな。


 羽留のように浮いたり、話したりできるのだろうか。とにかく無事に成長してくれたら、それ以外言うことなんてないけれど。

 意外に力のある小さな指に小指を掴まれたまま、おれはしばらくじっと二人の顔を眺めていた。





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