13 二度目の
羽留が普通の赤ん坊になってからしばらくの間は、勝手が掴めずおれはてんやわんやすることになった。最初から赤ん坊がこういうものだと思っていればすんなり飲み込めたのかもしれないが、おれは会話をしながら羽留の望むように行動することに慣れきってしまっていたようで、力が封じられた後は羽留が何をどうしたいのかが全く分からず、泣きわめく羽留を抱いて途方に暮れるときもあった。
流石と言うべきかお袋は、羽留と意思疎通ができなくなった後も「あらぁ、そうなの」と言ったきり、子育て経験者の実力を如何なく発揮し、全く動じることなく羽留の意を汲んでいる。葵もそれを見習い、羽留が何を言いたいのかを読んでうまく立ち回っていた。
なかなか慣れることができなかったおれと親父は、二・三週間の間お互い顔を見合わせあたふたしたが、不意に笑ったり不意に泣き出したりする羽留を可愛いと思えるようになった頃にようやく慣れることができた。
羽留は元々成長が早かったがその後も順調に成長し、二歳、そして三歳の誕生日を無事に迎えることができた。
そして羽留が三歳になったちょうどその頃、葵の二度目の妊娠が発覚したのだった。
「葵……? 大丈夫か?」
ベッドに横になってうとうとしている葵におれが声を掛けたのは、気分が悪いと寝込んでいた葵に思うところあったお袋が、以前にお世話になった助産婦さんを呼んで一応見てもらった後だった。
お袋の勘は当たっていて、葵は二人目の赤ちゃんを妊娠していた。だが「おめでたですね」とにっこり笑ってくれた助産婦さんに、おれがちゃんと笑顔を返せたかどうかはわからない。
「……ん、大丈夫。原因が分かってほっとしたし……。二回目だしね」
汗で張り付いた葵の前髪を払ってやると、葵はふにゃりと笑ってそう言った。疲れてはいたが、なんの不安もなさそうな笑顔だった。
「うん……それはそうなんだけど……。というか、うん、おれが悪い……と言えばそうだし……その。赤ちゃんができたのは嬉しいよ。でも葵に無理をさせるのが申し訳なくて」
羽留の出産でひどく弱ってしまった葵を見ていて、次の子供は諦めた方がいいんじゃないかと正直思っていた。葵にはそのことを話してはいなかったし、羽留の育児に追われてそれどころじゃなくなっていた葵の意思を確かめる暇もなく、ただ何となく時が過ぎてしまっていた。夫婦としてそういう行為があったのだから、妊娠を視野に入れていなかったわけでもない。だが一つ引っかかるとすれば、おれはちゃんと……考えてしていたはずなのに。
おれが考え込んでいると、近い距離で葵がくすくす笑う声が聞こえた。
「そんなの、平気よ。だって二回目だもの、経験がある分うまく立ち回れるわ。それに辛いことより嬉しいことの方が大きいもの」
葵は手を伸ばしておれの髪に触れた。
「また赤ちゃんが産めるなんて嬉しいわ。ありがとう、栄」
よしよし、と撫でられて、思わずその小さな手を取った。
……ああ、確かに嬉しいよ、でもおれには不安の方が大きい。
葵の小さな白い手を自分の頬に当て、そのぬくもりを感じようとした。滑らかな感触と温かさは確かに感じられた。でも自分の心の中のもやもやを振り払ってくれるほどの力はそこにはなかった。
「まま、だじょぶ?」
どこかぎこちない二人の間の空気を、幼い声が破った。
「ハル……どうした、ひとりで二階まで来たのか?」
「あんな、しゃん」
羽留は言いながらベッドにかじりつき、小さな腕を伸ばして葵の顔を見ようとしているようだった。
三歳になった羽留はすっかり歩けるようになり、跳んだり走ったりも上手になっていた。以前テレパシーで会話していた頃とは比べるべくもないが、歯も生えそろってしゃべりも達者になってきた。だがひとりで二階までの階段を上ってくるのは危ないので、階段には羽留が上って来られないようにガードを付けている。おれは不思議に思って羽留を抱っこしつつ部屋のドアを振り返った。
「ああ、アンナさん……来てくれたのか」
羽留が舌足らずに告げた名前の通り、ドアのところに所在なさ気に立っていたのはアンナさんだった。少し視線を落とし、躊躇しつつも部屋に入ってきて、静かにおれの隣に立った。
「おばさまが電話で知らせてくれたの。……アル……妊娠、したんだって?」
アンナさんの言うおばさまとはおれのお袋だ。気を利かせて電話してくれたのだろう。この分ではアンナさんのおじいさんも一階にいるような気がする。
「アーレリー、わざわざ来てくれたの? ありがとう」
葵はおれの助けで枕元によじ登った羽留の頭を撫でながら、アンナさんに向かって微笑んだ。その微笑みは先ほどと同じで、疲れている中にもどこか誇らしげな、褒めてほしいときの子供のような顔だった。だが先ほどのおれのようにアンナさんも――笑うに笑えないような、複雑な表情で目を細めるだけだった。
「……あなたが無事なら、それでいいのよ……アル」
掠れる声でアンナさんはそう言った。きっとアンナさんの心中はおれとほとんど同じはずだ。
二度目の出産に、葵が耐えられるのか、どうか。
だがおれたち二人の不安そうな表情を見ていないような声で、葵は笑って言った。
「大丈夫よ、私は。ふふ、ふたりとも心配性ねぇ。そんなに心配してたら、ふたりの方が調子悪くなっちゃうわよ?」
葵の明るい声が、逆により一層の不安を煽るようだった。でもその思いを顔には出さずに――できるだけ出さないようにして――おれは一度俯いてから無理やり顔を上げた。
「わかったよ、そうだな。葵が大丈夫って言うんなら大丈夫だよな。……よし、元気に赤ちゃん産めるように、大事にしてくれよ、葵」
努めて明るくそういうと、葵は嬉しそうに笑って頷いた。アンナさんを振りかえると、アンナさんもぎこちなかったけれど笑みを浮かべて頷いていた。……わかっているんだ、どうしようもないことくらいは。
「だじょぶーだじょぶーままーだじょぶー」
どこか面白いメロディーをつけて、歌うように羽留が言った。小さな手で葵の額を撫でながら。
いつの間にそんな動きを覚えたんだろう。その微笑ましい姿を見ていたら、不意に泣きそうになってしまって、顔を背けた。
子供を産むことを、他でもない葵が望んでいる。
それにもうお腹の中にいる命を、どうこうするなんて、おれには考えられない。
*
心配する周囲をよそに、本人はいたってケロリと以前と変わりない日々を過ごしていた。羽留の時にはひどかったつわりもほとんどなく、拍子抜けするほどだった。
二回目だから耐性がついたのかな、なんてのんきなことを考えていたせいだろうか。数週間後に助産婦さんに告げられた言葉に絶句する羽目になったのは。
『……双子ちゃんですねぇ』
「えっ!?」




