第二話 青春のファイル
「何か、始まる気がしない?私たちの青春が!」
狂気すら孕んだ無邪気な笑顔で、零は私に言い放った。
退屈な日常を壊す面白いことを待っていたのだと、まるで駄々をこねる子供のように。
「……はぁ」
私は心底呆れ果て、明確に咎める意図を込めて深々とため息をつく。
「いい加減にしなよ、零。人が大勢死んだかもしれない大惨事の直後に『青春』だなんて、不謹慎にもほどがある」
冷ややかな正論をぶつけながらも、私の胸の奥はひどくざわついていた。
……どうしたんだい?零。いつもの君なら、例えどれほど日常が退屈でも、こんな惨事を前にしてそんな言葉は絶対に口にしない。
今の君は、『致命的に君らしくない』
私は彼女の手から、問題のUSBメモリをひょいっと奪い取った。
手の中でクルクルと転がし、傷一つないプラスチックの表面をこれ見よがしに指差す。
「さっきも言ったけど、どこに血がついてるって言うんだ。ピッカピカじゃないか。それにこれ、高校の時に私が君にプレゼントしたやつだろ」
忘れてしまったのだろうか。
昔コミケで手に入れた、あの伝説のスーパーメカニック・ドクター永冨が配布した限定50個のレア物だ。
SIMフリーの通信チップが内蔵されていて、Wi-Fi環境がなくても、PCに繋がっていなくても、単体でいつでもメールを受信できるという、無駄にオーバースペックで、何の用途で使うのかすら分からない、試作品。
「爆発事故のショックでパニックになったのは分かるけど、そのUSBを『死に際の白衣の人から託された』なんて脳内変換するなんてね。現実とアニメを混同するのは危ないから、気をつけたほうがいいよ」
私は最大限気を使って話したけれど、零の表情は晴れない。
それどころか、「……つっ!」と突発的な痛みに顔を歪め、こめかみを強く押さえた。
幻覚と現実の強烈なズレに、彼女の脳が悲鳴を上げているように私には見えた。
「……大丈夫かい、零?事故のショックで、どこか頭でも打ったんじゃないのか?」
思わず呆れを引っ込めて、心配の声をかけてしまった。
これ以上彼女を追い詰めるのは得策ではない。
零の反応に気になった私は、一応の警戒として、メイン機でこのUSBを覗くのではなく、デスクの引き出しから旧型のノートパソコンを取り出し、手早く電源を立ち上げた。
「あ、楓!私の青春の中身、勝手に見ないでよ!」
私がノートパソコンを立ち上げると、後ろから、頭痛が治まったのか楽しそうに話す零が身を乗り出してきた。
「はいはい。君の言う青春とやらは、ただの空っぽの受信箱だよ。……私がプレゼントしたこれを持っていてくれたのは、素直に嬉しいけどね」
少しだけ照れくささを誤魔化しながら、私は慎重な手つきでUSBメモリをポートに挿し込んだ。
現実と記憶のズレに戸惑いながらも、零はワクワクを抑えきれない様子でパソコンの画面を覗き込み、私の肩を揺らしてきた。
「まだかな!?早く私たちの青春を始めようよ!」
まただ……、普段の零に『狂気』が混ざってしまったような、不気味な感覚。それが離れない。
「不謹慎だと言った側から……。少し待ちなよ、ドクター永冨のUSBは転送速度が異常に速いから、読み込みはすぐ終わるはず――」
私はその不気味な感覚を気のせいと飲み込んで、USBの読み込みが終わるのをまった。
……一向に、読み込みが終わる気配がない。
「おかしいな……。誰にも教えていないはずのアドレスなのに……。なんだい、この異様な受信データの重さは」
ハッカーとしての私の直感が、微かな警鐘を鳴らしていた。
まるで、ログが無限に上書きされて重なっているような、異常な挙動。
ピコン、と短い電子音が鳴り、ようやくUSBメモリが外部ストレージとして認識された。
「あっ!出た出たっ!」
身を乗り出してきた零が、マウスを握る私の右手に、自分の手をばしっと重ねてきた。
「楓!これが私たちの青春だよっ!」
「……ちょっと、零。マウスが動かしにくいんだけど」
口では文句を言いながらも、私の心臓は音を立てて跳ね上がった。
重なった手から伝わる、少し汗ばんだ彼女の体温。
至近距離からふわりと香るシャンプーの匂い。
ずっと胸の奥に隠し続けてきた想いが、こんな些細なスキンシップでいとも簡単に暴れ出しそうになる。
努めて冷静なフリをして零の横顔を見つめた。
――そして、息を呑んだ。
気のせいなんかじゃない。
画面の青白い光に照らされた彼女の瞳の奥に、得体の知れない『狂気』が蠢いているように見えたから。
まるで、何万回も絶望を繰り返し、倫理も恐怖も焼き切れてしまったかのような、虚ろで、けれど異様に熱を帯びた眼差し。
人が死んでいるかもしれない現場から帰ってきたばかりだというのに、彼女は心の底から歓喜に打ち震えている。
私の知っている『一ノ瀬 零』は、こんな顔をして笑う女の子だっただろうか。
愛おしい手から伝わる熱と、背筋が凍るような異常な瞳。
そのどうしようもないギャップに、私は言葉を失うしかなかった。
「……開くよ、零」
「……うん、いくよ」
小さく一声かけ合い、二人で一緒にダブルクリックする。
展開されたウィンドウの中にあったのは、たった一つの『テキストファイル』
しかし、その中身を見た瞬間、私の思考は完全にフリーズした。
「……なんだ、これ」
そこに記されていたのは、意味を持たない記号と不規則な文字列の羅列。
いや、ただの羅列ではない。このファイルのテキストは不自然に文字化けをおこしている。
「……前言を撤回するよ、どうやら私たちの青春とやらは、この文字化けだらけのデータの塊みたいだ」
文字化け。それが、零の持ってきた『青春』だった。




