第零話 永劫回帰
『――ツーッ、ツーッ、ツーッ……』
「っ……!……あーあ。なんだ、間違い電話かぁ」
スマホをポケットに放り込みながら、突然の頭痛を頭から振り払い、私は盛大なため息をついた。
ちょうどその時、デパートの地下食品売り場に並ぶデジタルサイネージが、一瞬だけノイズ交じりにバグを起こした。
ニュースキャスターが『最新の自動防衛AI、アテナの試験運用が――』と語っていた画面が、一斉にプツンと暗転する。
全国的な通信障害か何かだろうか。
「知らない番号からの!着信からの!謎の暗転!はぁ……。こういうの、新しい青春の始まりの定番なのにさ」
世間はゴールデンウィークだというのに、都会の地下は絶望的なほど退屈な空気が充満していた。
いや、充満していたのは『可燃性ガス』のほうだったらしい。
「……はぁ。なんか、面白いこと起きないかな」
コンタクトレンズ越しにぼんやりと周囲を眺めながら、私は小さくため息をつく。
一ノ瀬 零、大学1年生。
オタクで冴えなかった高校生活を黒歴史として封印し、大学生活こそはキラキラと夢と希望に満ちたキャンパスライフを送ってみせる。
その未来を描いた私は、猛勉強の末に私の学力では入れなかったはずの帝都大学へ入学。
今時のファッションに身を包み、芋な眼鏡からコンタクトレンズへ変えて見事な大学デビューを果たした……はずだった。
でも、結局のところ、中身は重度のオタクのままだった。
薄っぺらいサークルの飲み会で愛想笑いをしたり、合コンに参加したりしていたけれど、私には何が楽しいかさっぱりわからなかったから。
結局は、幼なじみのオタク仲間が借りている『実験室』と呼んでるアパルトメントで、スーパーオタクしかもってないようなパソコンを眺めながら早口で語り合っている時の方がずっと息がしやすい。
今日も今日とて、夕飯の惣菜を物色していたその時だった。
――ツン、と鼻をつく異臭がした。
都市ガス特有の、あの不快な匂い。
「え……?」
周囲の客も怪訝な顔を見合わせ始めた、次の瞬間。
視界の端、空間そのものが『ぐにゃり』と不自然に歪んだように見えた。
直後、鼓膜を破るような轟音とともに、凄まじい爆風と熱波が地下街を吹き飛ばした。
「きゃあああっ!?」
「なんだっ!?」
陳列棚が吹き飛び、悲鳴と怒号が交錯する。
その阿鼻叫喚の中で――私の身体は、なぜか考えるより先に動いていた。
咄嗟に頭を抱えると同時に、左斜め後ろへ三歩、正確に床を踏んで床に伏せる。
直後、私がたった今しがたまで立っていた場所に、天井からの巨大なコンクリート片が轟音を立てて突き刺さった。
……あっぶなぁ。今日の私、ものすごく勘が冴えてる。
パラパラと瓦礫が降ってくる中、私は顔を上げた。
状況を把握しようと周囲を確認する……前に。
――私の足は、迷いなく『ある一点』へと向かって歩き出していた。
自分でもなぜだかわからない。ただ『そこに行かなければならない』と身体が知っているような、奇妙な感覚。
炎と煙で視界のないその先――先ほど空間が歪んでいたその中心に、やはり『彼女』は倒れていた。
「……嘘、でしょ」
全身がボロボロになり、着ていた白衣は赤黒く染まっている。
「だ、大丈夫ですかっ!?」
ひどい火傷……、到底生きているとは思えない。
「そ、そうだ!救急!119番!」
慌てて電話を掛けようとする私に向かい、這いつくばるようにしてこちらへ左手を伸ばして、血に塗れた掌を開いた。
そこに握られていたのは、熱で表面が少し変形した、ただのプラスチック製のUSBメモリ。
「こ、れを……」
掠れた、血を吐くような声。
私は恐怖で震えている……はずだった。
なのに、まるで強力な重力に吸い寄せられるように、ひどく手慣れた動作でそのUSBメモリを受け取ってしまった。
「今■■そ、■り■■て……」
白衣の女性――は、それだけを言い残すと、プツンと糸が切れたように動かなくなった。
「あ……あ、ああ……っ!」
震える指でなんとか119番へ発信する。
『――はい、119番消防です。火事ですか、救急ですか?』
「ひ、人が死んで……!ば、爆発です!デパートの地下で……!それと、ひどいガスの匂いが……!」
『ガスの匂いですね!?可燃性ガス引火の危険があります。電気のスイッチ等には絶対に触れず、ご自身の命を最優先に、直ちに避難してください!』
――――命を最優先に。
その言葉を合図にしたように、私は立ち上がった。
足元でピクリとも動かなくなった『物』を見捨てる罪悪感よりも、生存本能が勝った――と、自分に言い聞かせる。
燃え盛る瓦礫の死角を、まるで最初から安全なルートを知っていたかのようにスルスルと抜け、非常階段へと駆ける。
心臓が早鐘のように鳴っている。足が竦みそうになる。
なのに――血に塗れたUSBメモリを握りしめる私の手は、奇妙な熱を帯びていた。
いや、少し違う。
この『熱』を、このひどく胸が焼けるような『高揚感』を、私はどこかで……。
世界がひっくり返るような、完璧な非日常。
人が死んだというのに、自分でもそんな不謹慎なことは考えてはいけないと、理性がブレーキをかけようとする。
――――でも。
煙を抜けて地上へ向かう私の顔には、自分でもゾッとするような、ひきつった、けれど抑えきれない笑みが浮かんでいた。
なんだか信じられないくらい、ワクワクしている自分がいるのだ。
――すごいことになった!
私は退屈を蹴り飛ばし、相棒の待つ『実験室』へと全速力で駆け出した。




