75 隠しメッセージ
ふっざけんな!
胸中に膨れ上がったのは怒りだ。
「何であんたがそれを勝手に決めてんの!?」
あれと逃亡するなんて死んでもいやだってことぐらい理解してると思ったのに。
「あれを頼れって! 絶対嫌に決まってんでしょ! 逃げるんだったらセレがいる! ミレイもランドもいる! なんで、あれなのよ!?」
「聖域の中で天使に対抗できんのはあれだけだ。利用しろ」
「……利用って」
簡単に言ってくれるけど、変態の名前も呼ばせないぐらい嫉妬心丸出しなのに、利用しろって。
「もし俺が死ねば、この家もお前を守る名分がなくなる」
「……そう、だけど」
そうだ。義父も義母も、私がこの人の妻だから家族といえるけど、この人がいなくなったら家族じゃなくなる。そんなの当たり前だ。
「お前の腹の中に俺の子がいるっていうなら話は別だが」
「子!? ……って、そういう、意図?」
やたらと迫ってきたのも、そういうことだったの?
私を守るためって名目で私を害することになると思うんだけど、どうなの?
「拒否られたし」
「状況考えたら応じないでしょ、普通!」
夫婦だから応じるのが普通だけど、それには触れない。だって普通の夫婦じゃない。
何にせよ、本当に何言ってんの! 何考えてんの! だ!
そもそも、説明せずに迫るのは絶対なし! なのに。
「今からでも作っとくか」
「なんでそうなるのよ!」
左足を一歩踏み出し右肩を落とし引いた状態から捻りを加えつつマレムの肩口を狙って思い切り突き出し――たところであっさりと右手の手首を掴まれ捻りあげられた。
え、あ、これ、痛い!
咄嗟に抱き上げていたセレを放してしまったが、セレは正気に戻ったようで床に見事に着地したのが見えた。床にたたきつけられなくてよかった。よかった、けど。
「い、痛いって、ば!」
「ワンパターンなんだよ。さっき変態を殴ったのと同じ挙動なんだから読まれるに決まってんだろ」
捻りながら冷静に指摘してくるけど、今はそれどころじゃない。
「離して!」
「もう一度聞く。作っとくか、子ども?」
「この状況でっ!?」
何言ってんの、本当に!?
『――まったく、身勝手なものだな』
救いの声は足元から聞こえた。
セレだ。
その呆れたような目は真っすぐにマレムを見据えているのがわかる。
「我が主に無理やり迫るとは。恥を知れ! 無能貴族!」
セレを中心に大きな魔力が膨らんだのが見て取れた。
それがまっすぐにマレムへと突き進む。
「うぎゃああああああ」
「えー……」
マレムが情けない悲鳴を上げて、その場に倒れ伏すのと同時に掴まれていた手首が解放された。
まるでスローモーションのように床に伏すマレムを呆然と見やって、視線をセレに向ければ得意げな顔で鼻を鳴らしているのがわかった。
「い、今の、何?」
『注ぎ込まれている魔力を逆流をさせてみた』
へー、そんなことできるんだ。
ぼんやりしてしまって、感心することしかできない。
もう何が何だか。
倒れているマレムを起こす気にもなれずどうしようかな、と考えていれば侍女さんが血相を変えて部屋に飛び込んできた。
「若奥様! 悍ましい悲鳴が聞こえたのですがご無事ですか!?」
あ、やばい。これって完璧お坊ちゃまを私がどうにかしちゃったような状況だ。逃げ――逃げても捕まるよね、どうしよう。
「あ、あの! これは!」
「……ああ。正解です、若奥様」
「正解?」
完全に気を失っているマレムを見下ろして冷たい声音で告げる侍女さんに恐る恐る聞き返せば、私を労わるようにやさしい笑顔を見せてくれた。
絶対誤解してるような、誤解じゃないような。
「怖い思いをされたでしょう。部屋はわたくし共が片付けますので、一時避難いたしましょう」
「え、あ、はぁ」
え、いいの、それで?
だって倒れてるの一応この家のご子息様なのに。
「セレ」
セレに呼びかければふいっとマレムから顔を背けて私の後に続いた。
これまた後で機嫌が悪くなるパターンじゃない!?
ミレイはまだ帰ってきてなかったので一人で夕食を済ませ、心底気が進まなかったけどセレを抱えてマレムの部屋に謝罪へと向かう。
無理は無理だけど、女神を倒しに行くってのにあの不機嫌なのはもっと無理。
とは言え、あんな身勝手な話、言いなりになるつもりもない。
扉をノックすれば、不機嫌そうな声が響いた。
「誰だ?」
「サラです」
返答はなかった。
やっぱ怒ってるのか、どうしよう? と悩んでいる間に扉が開いた。
「入れ」
「それは嫌」
招き入れようとするマレムの目の前に両手に抱えたセレを突き出して拒否する。
無理やり何かしようものならさっきのあれを食らわせるぞ、という脅しである。
「じゃあ、何しに来た?」
「……一応、謝罪、のつもり」
「それが謝る姿勢かよ」
呆れたように漏らすため息に、そんなに怒っているわけじゃないのかな、と表情を伺えば苦笑しているのがわかる。
怒りすぎて笑うしかない状況の可能性もあるよね?
「私のこと、考えてくれてたのに、ごめん」
「ああ」
「でも、無理だから。せめて女神を倒すまではってずっと言ってるでしょ。 そこは守って」
「ああ」
もう一度表情を窺ったが、苦笑いのまま。
朝みたいな重苦しい空気はない。
昨夜があれで、今日もこれって、なんだかな、本当に前途多難?
「それに、自分が死んだ後のことじゃなくて、生き残ることを第一に考えてよ」
「……」
「この家にいられなくても、私は何とでも生きていけるし、生き延びてやるわよ。あの変態とは絶対にかかわらないところで!」
あれには一生かかわりたくない。その気持ちは揺るがない。これは主張しておきたい。
「だから、私を未亡人にしない方向で考えて。言いたかったのはそれだけ」
「んなの考えた上で、に決まってんだろ」
「言ってくれなきゃそんなのわかんないの。とにかく、変態に託すっていうプランは消して。何のためのセレだと思ってんの?」
セレは私の守護者なんでしょ。だからあれを頼りにする必要なんてないはず。
「じゃあ、おやすみなさい」
「戻るのか」
「当たり前でしょ。あんまり戻るのが遅いと侍女さんが何かやりそうで怖い」
あの方なぜかこの人に対する当たりがきつい。
マレムもわかっているのか少しだけひきつった顔をして再度ため息を漏らした。
「送る」
「セレとのんびり戻るから大丈夫。それこそ侍女さんに何かされるでしょ?」
先日の山椒入りのお茶を思い出したのか、マレムは渋面になった。
「何もないと思うが気を付けろよ」
「あ、ありがとう」
素直に送り出されるのも何だか変な感じで、何かあるんじゃないかと勘繰ってしまうのは――駄目だな。ちょっとは信用しなきゃ駄目か。
「あ、待て」
「何?」
踵を返した私を呼び止めてマレムは部屋の中に入ってすぐに戻ってきた。
手に持っていた一枚の紙を押し付ける様に手渡してくるので受け取って見てみるが廊下が薄暗いため書いてある文字は読めない。
「これ何?」
「あの手記の隠しメッセージだ」
「そんなのもあったの?」
そういえば確かそんなこと言ってた。何かあの図形に隠されたメッセージがあるとかなんとか。
この人、それを解読してたの?
「お前宛だ。多分」
「私、宛?」
どういうことだろう? 首を傾げたがその意図はつかめない。
まあいいや後でゆっくり読めばいいか。
「じゃあ、おやすみ。ゆっくり寝て」
「ああ」
何か嫌な予感がしたから距離を詰められるまえに大きく後ずさりした。小さく舌打ちが聞こえたから多分接触を図ってきたのだと思う。
その表情はさっき見た苦笑いだったから、機嫌は損ねていない、と。
挨拶はしたからセレと貰った紙を抱えてそのままマレムに背を向けた。
寝よう。
「ねえ、セレ」
『どうした』
廊下を歩きながら思いついたことがあった。
「絶対にあの変態元大神官に見つからない?」
『変態……大丈夫だ。完全遮断している』
それなら大丈夫かな。
こんな風にこの屋敷の中を単独で歩けるなんてそうそうない。
ちょっとだけ寄り道してもいいよね?
「中庭、寄ってもいいかな?」
中庭までの道は先日の結婚式のお陰でちゃんと頭に入っていた。
廊下から外に出ればぼんやりと魔法の光に照らされた庭園があった。
結婚式のために植えられた花はまだ枯れることなく庭園を彩っている。
あんまり遠くまではいけない。
出入口のすぐ近くにおかれたベンチに座ってセレを地面に下ろす。
はあ、屋外だ。屋敷の中とは空気がちょっと違う。夜だからちょっとだけ冷たい。
セレにお願いして魔法の明かりを出して手元が見えるように調整する。
さっき貰った隠しメッセージとやらに目を落とす。
『何が書いてあるんだ?』
「えーと」
セレも気になっているらしい。声に出して読んでみる。
「我が愛しき子たちよ、強くあれ」
これは前に聞いたやつ。これ以外はちゃんとした文章になっていない。言葉の羅列だ。走り書きみたいなメモ。
「私はストラスを愛し、ストラスも私に応えてくれた。ストラスの子を産み、育てたい。あの地に住まう精霊たちに呪われた私の子もまた呪われた存在になってしまうことはわかっている」
『フェリシアの言葉か?』
意外だと言いたげなセレに頷いて応える。これってお姫様の方が隠したメッセージってこと? あの手記を書いたストラスじゃなくて。
「私の子も、またその子の産んだ子も愛している。私と私の愛する人の血を受け継ぐすべての子たちを愛し続ける。愛を疑わないで。愛してくれる人たちを愛せる人になって。女神を倒すよりずっと大事なこと」
女神を倒すよりも、大事なこと……?
呪われた子になるとわかっていても、それでも……?
「私たちの全ての子どもたちに愛をこめて。フェリシア・リンナ・ソートことシア・ルグラン」
沈黙が落ちた。
セレは何も言おうとはしないし、私も何を言ったらいいのかわからなくなった。
ただ、言えるのは。
「呪われるってわかってて、勝手すぎ」
私たちが不幸になるってわかっていて、それでもこの世界に産み落とすってどういう感情なんだろう。
愛だと何度も書いてあるけれど、愛ってそんなに自分勝手な感情なんだろうか。
「でも、セレ見て、この愛の連発! これをどんな顔して書いたんだと思う? あの人でなしが」
『……そうだな』
メモみたいな走り書きだけど、書いたのはあのマレムだ。
愛している、愛してあげて、あの人が真面目な顔で書いたと思うとものすごくおかしくて仕方ない。
セレに直筆のその紙を見せてあげればセレも苦笑いするしかないようだ。
「女神を倒すより、大事、なんだって」
『……』
「愛し愛されることが、大事って」
何だか可笑し過ぎてふわふわしている。
お姫様は私を愛していると、そう言ってくれていて。
そして愛していいのだと、そう、言ってもいてくれて。
「……私、何にもないって思ってたのに。でも今たくさん持ってるのね」
『サラ』
「セレに、ミレイとランドに、あと家族と、理解のある夫」
理解があるっていうのは語弊だらけだけど、それでも割と許してくれているんだと思う。
「あと、この体に流れる血脈? ちゃんと愛しているって言ってくれてた」
セレに手を伸ばせばセレはぶつかるように私に飛びついてきた。
ぎゅうっと抱きしめる。子どもの頃、そうやって抱きしめていたように。
「なんでこんなに素敵な物ばかりなんだろうね」
『サラ』
「もう失いたくないな」
お姫様のように私も私の子を愛すのだろうか。……自問するまでもないか。
やっぱり女神は排除しないと、私の願いは叶わないのか。
女神を倒すよりも大事なこと、は、女神を倒さなければ守れないって、矛盾してない?
「ちゃんと帰ってこようね。セレもマレムも、……ユーシュレイも」
変態はちょっとだけ御免こうむりたいけど。
あれでも犠牲になっちゃったら寝覚めが悪い。
セレを抱いたまま建物を見やる。
みんな無事でここに帰って来られるように、頑張る。
女神を倒しに行こう。




