01 いつもどおりの朝
「――責任をとれ」
「はあ?」
重々しく口を開いて男が口にしたその台詞に思考が止まった。
素肌に纏っているのはシーツだけ。とても心許ないし、何より肌寒い。
でも目の前の男は血走った目で私を睨みつけていて、身動き一つ取るのも憚れた。
正直怖い。泣きそう。
だけど泣いたら確実に負けるから、必死で男を睨み返す。
そもそも、責任って何?
責任を課せられるようなことした覚えがないんだけど?
「お前が初めてを奪ったんだ! 責任をとれ!」
「は、はじめて?」
男が重ねて言った言葉も、本当に意味不明。
なんなのそれ、乙女なの?
私が間抜けな声で聞き返すと、男は鼻に皺を寄せて小さく息を漏らした。
「キス」
「……は?」
「初めて唇を交わした相手と結婚をしなければならない呪いにかかっているんだよ! 俺は!」
「は?」
何が何だかわからなくて、聞き返すことしかできない。
「呪い?」
「生まれた時に、初めて唇を交わした異性と婚姻をすることで子孫繁栄がもたらされると」
「それは呪いじゃなくて、『祝福』の類なんじゃないの」
「俺にとっては『呪い』だ」
キスって言っても、あれは故意ではないし、そういう純情なあれじゃない。
そういうのは体の関係とかそういうもっと責任が大きい関係を結んでからにして欲しい。
「妻選びを間違えたら、俺は死ぬし家は没落するんだぞ!」
「そんなの知らないし!」
怒鳴りつけてくる男に、必死で叫び返す。
だって本当にそんなの知らないんだけど!
どうしてこんなことになっちゃったの?
昨日は普通にケーキたべて「美味しい」って友人と笑い合ってたのに?
――そう、あの時はまだ、いつもと変わらぬ一日になるはずだったのに――。
――
うう、重い。
胸の上に鉄の塊を乗せられる拷問を受ける夢を見ていて、目が覚めた。
目を開けても胸元が重い。そして眠い。
ちょんっと冷たい何かが鼻に触れた。
「おもい……」
かすれた声で抗議をすれば、胸を圧迫するその重りが顔の横に移動してきた。
ぐるぐると喉を鳴らす音が、うるさい。
うるさいんだけど、かわいい。
「わかった、おきるー……」
しつこく湿った鼻先で頬をつつかれる。
ああ、もう!
「起きるってば!」
跳ね起きると同時に顔の横にいた白い塊を抱き上げる。私の大事な白猫だ。
両手で挟まれ身動きが取れないせいか、ニャーと抗議するように鳴くが暴れはしない。
「セレ、また重くなったんじゃない?」
私がそう言うと不服そうに鼻を鳴らして、セレは冷たい鼻を私の鼻にちょんと押しつけた。
この白猫セレの目覚ましは毎朝。迷惑かわいくて仕方ない。
セレを床に放ってキッチンに向かう。
一人暮らしの慎ましいキッチンには、流行りの魔道具なんて存在しない。
あるのは、昔からあるガス管と繋がった小さいコンロが一つだけ。
コンロの上にある鍋には、セレの食事用の鶏ささみが入っている。
昨日、帰宅後すぐに水とささみを鍋に入れて火を通したあと、蓋をしてそのまま放置した奴。
ささ身を鍋から取り出し、軽くほぐしセレの皿に入れる。
皿を足下に置けば、セレはお行儀よくささみを頬張った。
セレの方はこれでいいとして、私はどうしよっかなっと。
手ぐしで髪を整えながら服を適当に探す。悩むほど数はない。
いつものスタンドカラーのブラウスとロング丈のスカートを手に取り、素早く着替える。
ベッドの横に置いた姿見で確認。背伸びして大人っぽい恰好を目指ている15、6の小娘の姿がそこにあった。
——やっぱり、子どもっぽい。自分の童顔が憎い。
もう二十歳になるってのに、ちょっとこれはどうかと思う。
内心で毒づきながらも、せめてもの抵抗で紅を薄く引いてみた。艶のある薄い朱色は違和感なく唇になじむ。
顔はこれでいいや。
肩を隠せるほどの長さの黒髪は、横に流して一結びにする。
これ以上は事故る可能性があるからここまでにしとこう。
「ご飯を食べに行ってくるね」
食事中のセレに声をかけて、玄関へと向かう。
「サラ、いる?」
タイミング良く外から声がかかった、と思ったら一息おいて玄関の扉が勢いよく開かれた。
こちらを覗くのは予想通りの顔。
柔和な笑みをたたえ、ひらひらと両手を振っている。
「やっぱいた」
「ミレイ」
ずかずかと家に入り込んでくるのは、栗色の髪をアップスタイルにしている細身の美人。
同じ宿屋で働く同僚だ。
昨夜入れ替わりで仕事に入った時に挨拶したから数時間ぶり?
夜勤明けに寄ってくれたっぽい。
「あ、大丈夫よ、鍵はかかってた。こじ開けただけだから心配しないで」
「……」
この子美人なのに、こういうところが何だかな。
ミレイの通常運転にいちいち反応するのも今更だけど。
「直しておいてよ」
「うん? 壊してはないのよ」
「あ、そう……」
ミレイの夜勤明けハイは底なしだな。
「そんなことより、朝ごはんまだでしょ?ご飯食べに行こっ!」
ミレイと当たり前のように向かうのはいつものカフェだ。
夜中から昼間まで営業するカフェ。私たちみたいな店で働く人たちのために営業している店だ。
これがなかなかお洒落で美味しくて値段もお手頃で使い勝手がいい。すっかり常連である。
目の前に置かれたケーキとアイスティー、それとホットコーヒー。
注文もしてないのに出てくるのは常連の特権。別の注文は受け付けてくれないという欠点もあるけど。
看板娘のアイシャがぺこっとお辞儀をして立ち去っていくのを見送ってから、ソファーの背もたれに全力で寄り掛かった。
脱力だ。
「はぁ、落ち着く」
向かいのソファー席に体を沈め、溶けてしまいそうな顔でミレイは大きく息を吐く。
「夜勤明けだしね。明日は休みだっけ?」
「ようやく休み~」
よかったね、と労いの気持ちを込めて言えばミレイは更にふにゃふにゃした顔になった。このまま寝ちゃいそうだな。
気持ちはわかる。
一ヶ月前、同僚の一人が退職してから、人が足りない状態で無理やり回していたのだ。
夜番からの早番という地獄シフトとか、休みなし15連勤とか、ホント、よくやった自分!って感じ。
「新しい人、入ってくれてよかったね」
「ほんとほんと、って言いたいけど急に三人も増やすってどういうことよ! もっともっと早く、早く……っ」
ふにゃふにゃから泣き顔になるミレイに、「わかるわかる」とうなずいて、アイスティーを一口喉に流し込んだ。
ほんとうによく頑張ったわ、私たち。
二人で労いあいながら置かれたケーキに手を付ける。
ミレイはチョコクリームケーキ、私は日替わりケーキ。
「このケーキ超食べたかったぁ~」
言いながらもミレイはパクパクとケーキをお腹に納めていく。いつもながらいい食べっぷり。
私もゆっくりとした動作でケーキを一口食べた。
「あ、黒豆だ」
これ前にも食べたことある。すごく美味しい。甘く煮た黒豆が入ったクリームチーズケーキだ。
チーズの部分の甘さは控えめで、黒い豆の香ばしさと甘みが良い感じに交じり合った味。
「幸せー」
「幸せっ」
二人で言い合って笑う。朝ごはんからケーキが食べられるなんてまさしく幸せだ。
一度ミレイと目線を合わせて頷き合えば、後はケーキを食べることのみに全神経を注ぐ。
二人でいてもこの時間を許してくれるのがミレイのいいところなのだ。
ゆっくり大事にケーキを食べて、最後の一口を食べ終えて、一度ため息を漏らす。
ああ、美味しかった。
ミレイは既に食べ終えて、優雅にコーヒーを飲んでいる。
美人がコーヒーカップを持っている様って絵になるよね、とフォークをお皿の上にそっとのせながらこっそりと思った。
「美味しかった……!」
いい朝ごはんだった。
私もアイスティーを一口飲む。ストローを付けてくれないからグラスから直接だけれど。
「そうそう、言い忘れてた」
「何?」
ふにゃふにゃしていた笑顔を消してミレイは言った。
「サラ、仕事よ」




