第十話 セオドアの危機
アイリーンが眠りに落ちるより、三時間前。
セオドアは側近であるライオネルと共に馬車に乗り、周りを護衛の騎士たちに囲まれて視察先に向かっていた。
「見送りに来てくれるなんて、姫さまに愛されてますね〜殿下」
「からかうなよ」
馬車の中では、ライオネルがセオドアを冷やかす。ライオネルには男兄弟しかいないため、妹のいるセオドアが羨ましいのだ。
セオドアとライオネルは仲がいい。まるで本当の兄弟のようで、互いにテオ、レオと呼び合う親友だ。
ライオネルは王宮騎士団長の息子で獅子族。父親から特訓を受けており、セオドアと共に駆け、守ることを役目としている。
そんなライオネルから見た最近のセオドアは、少し様子が変だった。いや、正確にいうと八歳の誕生日から変わった。
以前はもっと明るかったし、誘ったイタズラにも目を輝かせて乗ってきたものだ。でも今は違う。
いつもどこか憂いている。特にこの視察で畑を見るたびに、辛そうにするのだ。なぜそこまで思い詰めるのか、聞いても答えてはくれなかった。
馬車の中で、セオドアと他愛もない話を続けていたが、我慢できず、また聞くことにした。
「テオ、いい加減教えろよ」
「なんのことだ」
「とぼけんな。最近のお前は暗いんだよ。だから姫さまもあんなふうに心配してるんだ」
ライオネルはセオドアの悩みに斬り込んだ。
もう話して欲しかった。話してくれるまで待とうと思っていたけど、セオドアの表情が暗くなる一方で、これ以上は待てないと思った。
「知ってるだろ、作物が取れなくなってる。魚もだ。畜産も育ちが悪い」
「知ってるさ、でもそれがなんだ。まだ食糧危機ってほどじゃないだろ? それに貿易相手だっているじゃないか。なんとかするために肥料を使って収穫量を上げようとしているんだろ」
セオドアは沈黙した。静かに窓の外を見るその瞳には焦りと、諦めが見え隠れしていた。
ライオネルにはそこまで落ち込む理由が分からなかった。
「テオはよくやってるよ。最近じゃろくに遊んでもない。畑に勉強、剣の稽古を毎日。焦るとしくじるぞ」
セオドアはライオネルを見つめた。その目は痛いほどまっすぐで、ライオネルは息をのむ。
「もう、時間がないんだ」
「なんの時間だよ」
「この国を守護する精霊がいるのは、レオも知ってるだろ?」
「小さい頃から聞かされる、あの精霊か?」
「そうだ。……八歳の誕生日に会ったんだ」
「会ったって、精霊に?」
「あぁ、精霊は……もうすぐ消滅する」
「消滅って……なんで」
ライオネルには信じられなかった。守護精霊なんてほぼ伝説だ。王宮図書館長がいるから実話だと分かるが、おとぎ話みたいなもので、日常で意識することはない。
「守護精霊は、ずっとこの国を守ってくれていたんだ。何もしなくても畑が豊作だったのも、穏やかな気候だったのも、魔物が陸には現れないのも全部。精霊のおかげだったんだ」
セオドアは悔しそうに膝の上の握り拳を見ている。ライオネルは何も言えなかった。
もしそれが本当で、いやセオドアが言うのだから本当だろう。そうだとしたら、精霊が消滅したら、この国は……。
「魔物のせいだ。守護精霊は魔物から国を守るために命を削っていて、それで」
「もうすぐ消滅するって言うのかよ。そんなことって……両陛下はご存知なのか?」
「知ってる、父上も母上も、僕も足掻いているんだ。でも……」
ライオネルは呆然とした。
何も考えず生きてきた。魔物が空と海にしか出ないのも、そういうものだと思っていた。ずっとこのまま続くと思っていた。
「あとどのくらい持つんだ?」
「分からない、けど今年の畑の様子はおかしい。明らかに悪化している」
「それで時間がないと。精霊を助けることはできないのか」
「ユビキタス図書館長に聞いたさ。あの人も調べてくれているんだ。でもどうすればいいのか分からないんだ」
「八方塞がりなのか……」
ライオネルはゾッとした。精霊がいなくなったら、この国には魔物がはびこり、天気に恵まれず、食べ物が作れなくなる。
暗い、暗い未来しか見えなかった。
セオドア、ライオネル、二人して沈黙していたそのとき。馬車が止まった。もう着いたのかと思ったそのとき。
ドンッ‼︎と大きな音がして馬車が揺れた。見ればドアに護衛の騎士が叩きつけられていた。あたりは騒然としている。
「テオ! 俺の後ろに!」
「何が起こった⁉︎」
馬車の外では、すでに戦闘が始まっていた。
少し時を戻して、セオドアとライオネルが話し込んでいたとき、馬車は王都から出て、舗装されていない道を走っていた。
馬車が通ると、道の両側に歩行者が跪く。そんないつもの光景だった。
あるとき、両側に跪いた者の中からふらりと立ち上がり、馬車に近づいてくる者がいた。仕方なく馬車が止まる。
「何をしている! 止まれ!」
護衛の騎士がその人物に警告する。その者は、一見普通の旅人のような格好をしている、ヒョロリとした男。
男は警告を無視し、なおも馬車に近づいてくるので、馬に乗ったまま護衛の騎士はその男に近づき、剣を突きつけた。
「どういうつもりだ。下がれ‼︎」
次の瞬間、騎士は吹っ飛んだ。馬車のドアにぶつかり、気を失った。騎士の馬は驚いて逃げ出す。
「キャー!」
「逃げろー!」
他の一般人は逃げ出し、騎士たちは馬車を守る者たちと敵を排除する者たちに分かれる。
「殿下をお守りしろ!」
騎士たちは敵を排除するため、剣を構える。男に斬りかかろうとした、そのとき、男の胸元からブワリと出てきた黒いモヤが男を包み込んだ。
「なんだ⁉︎」
「狼狽えるな! 構えろ!」
モヤが晴れたとき、そこにいたのは先ほどまでの男ではなかった。人間でも、獣人でも、他の亜人でもない。異様な姿。
ただ見覚えがあるとすれば、全身真っ黒で、瞳だけ紫色で不気味に光っていた。魔物の特徴だ。
騎士たちは動揺した。陸に魔物が出たなど前代未聞。さらに人間が魔物になるなど前代未聞。異常事態に一瞬隙ができてしまった。
その隙を魔物は見逃さなかった。六本もある腕で、剣を構えた騎士たちを殴り飛ばし、さらに伸びた腕は馬車を目指した。
「止まれー!」
馬車を守っていた騎士たちは盾を構える。ゴンッ! ガンッ! と殴りつけられながらも耐えるが、長く伸びた魔物の腕は大きく振りかぶって、騎士たちを横から殴りつける。
踏ん張れなかった騎士たちは、吹っ飛ばされた。先程殴り飛ばされた騎士たちが立ち上がり、魔物の腕に斬りかかった。
切った魔物の腕は霧散し、断面から新たな腕が飛び出て、そのまま騎士を殴りつける。
思いがけない攻撃で騎士が崩れ落ちると、魔物の腕は馬車の窓を突き破って、中に入っていった。
「うわっくるなー!」
「レオ! 逃げろ!」
ライオネルの叫び。セオドアはライオネルに逃げて欲しかった。
馬車の中ではライオネルがセオドアの盾となり、何かわからない腕に対抗しようとしていた。
が、容赦無く、ライオネルの胸を貫いた腕はそのままセオドアの胸も貫いた。
「やめろー! 殿下ー!」
騎士はライオネル、セオドア両名の胸を貫いた魔物の腕を斬るが、時すでに遅く。斬った腕はまた霧散し、騎士は他の腕に殴られ気絶した。
その場は静けさに包まれた。騎士、御者、馬までもが気絶している。それは異様な光景だった。
だが誰一人死んではいなかった。セオドアも、ライオネルも。
魔物はその場に紫色の霧をばら撒いたあと、立ち去った。
一般人の通報を受け、王命で救出に向かう王宮騎士団長がここに着くまで、あと十五分。




