05_王立薬学院 研究所別室
「昨日、揉め事起こしたって?」
周囲に配慮して声を潜めたエリアスの問いかけに、ジルは軽く肩をすくめて見せた。
「喧嘩を売られただけだよ。特に問題はなかったし」
そう口では言ったものの、内心では解決したとは言い難いことを自覚していた。昨日は、生徒会長が割って入ったことで強制的に幕引きとなったが、相手にとっては消化不良の結末だったはずだ。ジルも伊達に子供ばかりの環境で育ってはいない。相手――ソノラ・ハモンドの目に宿っていた、執念深い、暗い輝きを見抜いていた。
「ハモンドの美貌の令嬢様に、身の程もわきまえずに喧嘩を売るとはね。随分と頭が高いんじゃないか、ジル」
ニヤリと口角を上げて皮肉る友人に、ジルは手元の本へと視線を落とした。これ以上、この話題を長引かせたくないという意思表示だった。
広げられた蔵書には、多種多様な魔道具が図版とともに記されている。目的は当然、自分に合う「ツール」探しだ。エリアスから課された課題を解決するためには、避けては通れない道だった。
杖、扇、剣。
ページをめくるたびに、現役の魔法使いたちが愛用する様々な道具が現れるが、どれもジルの心にはピンとこない。中には変わり種のフライパンなども紹介されており、きっと料理が趣味の魔法使いが特注したのだろうと想像を巡らせたが、結局、その本は知識欲を満たす以上の役には立たなかった。
ふと、ジルは壁に掛けられた大きな額縁に目を留めた。よく見ればそれは古めかしい地図で、描かれた建物の配置には見覚えがあった。
「……これ、学院の地図?」
正門から続く校舎群と、広大な裏庭。その外郭、森の入り口近くに、校舎よりもずっと小ぶりな建物が描かれている。
「王立薬学院の研究室の一つだよ」
エリアスの言葉に、ジルは入学が決まった際にノアからもその存在を聞かされていたことを思い出した。
「行ってみたい」
学業優先と考えて後回しにしていたが、こうして地図を見つけたのも何かの縁だろう。二人は図書室を後にし、裏庭の森へと足を踏み入れた。
道すがら、ジルは以前エリアスに話した、かつての予定について再び触れた。ノアと出会う前、彼女は卒業後に王立薬学院のスタッフとして働くつもりだったのだ。
「じゃあ、もしかしたらここで働いていたかもしれないんだね。そのスタッフ職っていうのは、研究者を目指せるものなの?」
「大学にも行かずに研究職になるのは無理よ。私もそこまでは目指していなかったし」
ジルは歩みを止めずに答える。
「私が育った学校のそばの森では、珍しい薬草が採れたの。間違えて採取しないように知識をつけたわ。私のような孤児は、卒業後に教師か家庭教師になれれば御の字だけれど、それ以外の道も模索した結果……というところかな」
先を行くジルの背中を見つめながら、エリアスは静かに思案した。彼女が孤児であることは事実だろう。だが、その両親が労働者階級であるとは考えにくい。魔力というものは、突然変異で発生するものではないからだ。能力の多寡こそあれ、それは親から子へと引き継がれるギフトである。
浄化の魔法と、封印された魔力――。
いずれ解明せねばならない謎だが、今はその足掛かりをあの「豹王」に任せるべきだろう。そう判断した途端、エリアスは腹の奥にむかつきを覚えた。ノアが自分の前で見せつけた、あの隠そうともしない独占欲を思い出したからだ。
(ふん、まあいいさ)
恋人だかなんだか知らないが、親友という特別な椅子は自分のものだ。エリアスは内心でそう毒づき、ジルの後を追った。
※
研究室に近づくにつれ、鬱蒼としていた森が開けていった。無機質な建物を想像していたジルだったが、現れたのは煉瓦作りの趣ある風情漂う家屋だった。その傍らには、建物の十倍はあろうかという広大な敷地に、色とりどりの薬草が植えられている。ジルは目を輝かせ、柵越しに植物たちを眺めた。
「エリアス、見て。あの紫の花がついたのは、根の部分が風邪薬になるのよ」
知識を披露していると、建物のドアが開き、中から白髪の初老の男性が姿を現した。糊のきいた白衣を纏っているところを見ると、ここの研究員なのだろう。男性はジルたちを見てぎょっと目を見開いた。
(場違いだったかしら)
不安が過ったが、すぐに男性の皺の刻まれた顔に優しい笑みが浮かび、ジルは胸をなでおろした。
「いやいや、これは驚いた。こんなところに学生さんが来るなんて珍しい。少なくとも私がここに赴任してからの十年では初めてのことだよ。薬草に興味があるのかな?」
「はい! 私、薬草のある環境で育ったんです」
ジルの弾んだ声に興味を引かれたのか、ブルックと名乗ったその男性は、二人をお茶に招き入れてくれた。
エリアスが「自分は知識が乏しいので」と一歩引いたことで、会話の主導はジルに渡った。驚いたことに、ブルックはジルが育った学校のことも、その周辺の森についても詳しかった。この国の薬学が発展を遂げたのは、まさにその森の恩恵なのだという。ジルが元々ここのスタッフとして働く予定だったことを明かすと、ブルックはさらに身を乗り出して彼女の話に耳を傾けた。
ひとしきり会話が弾み、三人が一息ついた頃。ジルは一面ガラス張りになった壁から見える、美しい庭にうっとりと声を漏らした。
「素敵な薬草園ですね。でも、ここでは研究自体はされていないんですか?」
「その通りだよ、お嬢さん。ここでは生育環境を記録したり、種を増やしたりするのが主な目的だ。だから私を含めて、常駐しているのは少数だけなんだ」
「それなら、あそこは何です?」
エリアスが指差したのは、部屋の隅にある一つの扉だった。そこには仰々しく「立ち入り禁止」の張り紙が厳重に貼られている。
「随分と強力な封印魔法がかけられているようですが」
エリアスの指摘に、ブルックは少し言葉を濁したが、二人の好奇心に満ちた視線に負けて口を開いた。
「あれは……まあ、機密というわけではないんだが。あの中には、百年以上前に集められた特殊な植物たちが保管されている」
ブルックは一度言葉を切り、重々しく続けた。
「元々は『浄化の魔女』の時代に存在した植物たちなのだよ」
突如として飛び出したその名に、エリアスが身を乗り出した。
「浄化の魔女といえば、三百年前の魔法使いだ。なぜそんな昔の植物が、今もここにあるんですか?」
「研究者というのは、何でも残したがる生き物でね。浄化の魔女によって『それ』が封印された時、闇の性質を持つ植物はほぼ絶滅した。だが、一部の人間には無害な素体だけは、当時の豹王の許可を得て残すことができたのだ。それが、あの部屋にある。……ちなみに、私自身は一度も入ったことも見たこともない。だが時折、中から蠢くような音が聞こえるから、まだ生きているんだろうね」
「ゾッとするね。本当に害はないの?」
エリアスが肩をすくめると、ブルックは苦笑した。
「記録にはそう記されているが、実際のところを見た者を知らないんだよ。せめて当時、ガラス張りにでもしてくれれば観察できたものを。夜半に響く不気味な音を子守唄にするしかないのが、全くもって口惜しい限りだ」
「……」
「研究者っていうのは……」
エリアスが引き気味にぼそりと呟く。
しかし、二人――特にジルにとっては、この出会いは非常に意義深いものとなった。ブルックは「いつでも訪ねておいで」と言い、ジルも必ずまた来ると約束を交わした。
「とても楽しかった!」
「僕もなかなか興味深かったよ。薬学の知識を深掘りしてみるのも悪くないね」
肝心のツール探しこそ進展はなかったが、ジルは大きな満足感とともに帰路についた。
そんな二人を、森の木陰からじっと見つめる視線があることには、気づいてはいなかった。
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