招かれざるモノ
翌朝のノアは、前日と違い明るい表情だった。
昨日は旅の疲れがでていただけかもしれない。食堂に連れていくと、昨日食べた分を取り戻すように勢いよく皿を空にしていき、ジルは自分の皿からソーセージをお裾分けしてあげた。
「紅茶が飲みたいな〜」
顔を寄せてねだられて、ジルは笑った。
昨夜、ノアは自分が人の目に魅力的に映っていることを理解している様子だったが、まさしく彼女はその使い方を心得ていた。
「はい、はい。淹れてまいりましょう」
おねだり上手なノアのために、紅茶を淹れて戻った。今日はミルクを添えることができた。ノアの周囲には昨日教室で見た時と同じように少女たちが囲んでいた。
周囲を寄せつけない頑なさがなくなったのを見て、謎の転校生と話したくてたまらなくなったのだろう。ジルは空いている席に座り、少女たちの質問に耳を傾けた。
どうやらノアの両親は貿易業を営んでいるらしい。東のモルデナに共に旅立つのを断り、一人国に残ることに決めたのだという。卒業まで半年しかない中途半端な時期だった中で、魔法力が少しあった自分をこの学校が受け入れてくれたのだそうだ。
少女たちはさらに質問を重ね、ジルはノアが首都で生まれ育ったことや、年が離れた弟がいることを知った。
ひとしきり答えた後、ノアは視線を巡らしてジルを見つけると立ち上がった。
「質問の続きはまた今度にしよう。ティータイムするから」
ひらひらと手を振り、ジルの隣の席に滑り込む。
瞳をキラキラさせて紅茶を待っている姿は、世話をされるのに慣れているようだった。それに最初から感じていたが、一つ一つの所作がどこか、自分たちとは違う気がした。
平民とは言っても、親が貿易会社を経営しているというので、資産家のご令嬢なのかもしれない。
ご令嬢……。紅茶を差し出しながら、ふっ、と笑いがこぼれてしまった。
「何か面白いことあった?」
「ううん。違くて…。ノアって、どことなく所作が私たちと違うなと思って。優雅というか……さっき話を聞いてたのもあるけど、ノアのご実家ってかなり裕福だろうなって想像つくんだけど、でもご令嬢ってイメージもなくて……それで笑っちゃった」
「つまり清楚とはほど遠いと?」
「素敵な立ち居振る舞いだけど、なんか収まってないって、感じかな。あっ、今朝はミルクあるんだ。入れる?」
頷いたノアのカップにミルクを注いでやり、次いでジルは自分のカップにも紅茶を注いだ。
「案外鋭いな……」
「ん?何?」
ぼそりと呟かれた言葉はジルには届かなかった。尋ねると、ノアは紅茶を一口飲み、そしてその手を持ち上げた。
「最高」
※
「さて再来週の土曜日は収穫祭ですが、前回と同じように統括はジリアンさんが。エルマさん、サポートをお願いします。今回、ノアさんは初めての参加なので二人でフォローをするように」
教師の言葉に、背筋をぴっと伸ばした。
ここ数日はノアが現れたインパクトが大きく、ジルにしろ他の生徒にしろ、どこか浮ついていて、大事な収穫祭のことは頭の片隅からポロリと抜け落ちてしまっていた。
ジル達は幼い頃から長くこの収穫祭を経験してきたので、特別気負う必要はないのだが、低学年の子どもたちが万が一にも怪我をしたら大変なので、当日に向けたチーム分けや予行演習は必要だし、ノアも初参加なので色々と教えることが多かった。
「ジル〜。どうしよう……私すっかり収穫祭のこと忘れちゃってた」
授業が終わるとすぐ、エルマが寄ってきた。
「私も同じだよ。一緒一緒。準備期間は十分あるんだから、いつも通りやっていこう。ただ前回より寒いはずだから防寒はしっかりしなきゃね」
軽く打ち合わせて、エルマはチーム分けを、ジルは計画の策定とノアへのフォローを担当することに決めた。
二人話し終える頃には教室には他に誰もいなくなっていた。
時計を見ると、夕食までにはまだ大分早かった。最終学年のこの頃は授業も短くなっていて、生徒たちは各々自由な時間を過ごしていた。
そういえば最近、ウーゴたちに会いにいっていない……
「うー……、やってしまった……」
これまではほぼ毎日会いに行っていたのに。口を押さえて「あー…」と呻いた。
可愛い生き物たちのことを思い出したら、もう会わずにはいられなかった。時間は十分にあるので、とりあえずそのままの足で校舎を出た。学校が森に近いというのはこんな時にありがたかった。
夕食のギリギリまではウーゴたちと一緒に過ごすことにしよう。森に立ち入るのは禁止されていないが、昔一度帰りの時間を誤り、イルメダ校長にひどく怒られた過去があるので、気をつけなければならなかった。
森に入り少し進むと、ジルは違和感に足を止めた。
いつもならウーゴたちが嬉しそうに寄ってくるのに、今日は一匹も姿を見せてこない。
「ウーゴ……?」
ウーゴは喋れないので、返事がないのは当然だが、シン……とした森の姿に不安が掻き立てられた。
戻った方がいいだろうか。逡巡していると、背後からポキリと木の枝を踏む音が聞こえて振り返った。
誰もいない……
まだ陽は落ちていないはずなのに、森はいつもより鬱蒼と仄暗かった。
ザワザワと嫌な予感が足元から這い上がってきた。長く慣れ親しんできた森の様子とは明らかに違っていた。
震える足を奮い立たせ、森を出ようと駆け出した。ブーツが汚れるのも構わなかった。とにかく森を抜け出したい一心だった。
だが、森に入ってさして経っていなかったはずなのに、いくら走れどもジルは森から出ることができなかった。こんなことは初めてだった。一体何が起こったというのか。
息を切らし、走り続けても変わらない。息を切らしながら、ジルはふと気づいた。今立つ場所に見覚えがあることに。
「同じ場所……?」
「やーっと気づいたかい」
京楽的で、どこか毒のある声が頭上から響いた。
※
「いつまでも小鼠のごとくダラダラと走って……。ふん。何だい、本当に小鼠じゃないかい」
固まるジルを見て、木から目の前に舞い降りたその女は嘲るように笑った。
腰まで伸びる黒髪を靡かせ、教室の天井に届きそうなほど背の高い女は、高みから見下ろし、ジルを観察している。いくら世知に疎いジルでも、土気色の肌に毒々しい紫のリップの組み合わせが流行りのメイクでないことぐらいわかる。
「ふうーん……」
するどく伸びた爪でジルを服越しに突いてくる。獲物の小動物をなぶる猫そのものに、ジルは叫びたい気持ちを必死で押さえ込んだ。今叫べば、この女がますます残忍になるのは容易に想像がついた。
「おやおや、健気じゃないかい」
首に痛みが走った。
ツーと流れたのが自身の血なのだとわかる。
(痛い……。怖い……)
叫ぶまい、泣くまいという意気地が堰を切って無くなりかけていく。
「あんたは違うねぇ」
つまらなさそうに女は嘆息した。
「ここで張ってれば見つかると踏んだんだが。変化の魔法を使うにしても、あんたみたいなチンチクリンになるわけもないだろうし」
どうやら女には目当ての人物がいたらしい。もちろんジルではない。当然だろう、ジルはこんな頭がイカれた女に狙われる覚えは全くない。
そして何よりも安心できないのが、別人だと分かったとして、この女がジルを無事で帰してくれると全く期待ができないことだった。
「ん〜。ん〜。なーに?安心しちゃったかな?このまま無事に帰れると思っちゃったかな〜」
酷薄な笑みに背筋が凍り、思わず引いたジルの両肩をぐっと掴まれて、軽く揺さぶられた。
「なーにして遊ぼうかな?隠れんぼでもするかい?それと…も……!?」
突如叫び声をあげ、女が手を離した。その両手からは煙が上がり、黒く焦げ付いていた。相当な苦痛なのか、甲高く喚きながら悶えている。
「何を……何をしたああぁぁぁぁぁ!!!」
その咆哮に、ジルはもう耐えられなかった。
背中を向け、脇目もふらずに走った。背後から女の絶叫が聞こえたが、振り返らなかった。振り返れなかった。
無我夢中で走り、どこに向かって走っているかもわからない。
「くそが!くそがっ、くそが!!!殺してやる!!」
(いやっ!いやっ!!)
こんな訳もわからない女に、訳もわからず殺されてしまうなんて嫌だ。
涙か、汗か、滲む視界の先にぼんやりとした光の点滅が見えた。
ウーゴ達だった。
ジルは必死で光を追いかけた。本能が追いかけろと命じていた。
光に導かれ、走り続けた。それでも限界が来ていた。腹がちぎれそうに痛み、呼吸はもう止まっているのかもしれない。わかるのはもうすぐそばまで女が迫ってきていることだけだった。
(追いつかれるっ…!!)
女の、あの長い爪の先がジルの首に触れた。
その時、一条の閃光が闇を切り裂いた。
次回:ジルを助けたのは当然・・・・
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