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呪われ豹王の専属魔法使い  作者: しゃり猫
一章_邂逅編
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02_招かれざるモノ


 翌朝、食堂に現れたノアは、昨日とは打って変わって晴れやかな表情を浮かべていた。

 初日の無愛想さは旅の疲れゆえだったのか。彼女は失ったエネルギーを取り戻すかのように、次々と皿を空にしていく。見かねたジルが自分の皿からソーセージを分けてやると、ノアは相好を崩した。


「紅茶、飲みたいなあ」

 顔を寄せて甘えるような仕草。昨夜、ノアは「自分がどう見られているか」を自覚している節があったが、まさしく彼女はその魅力の振る舞い方を心得ていた。


「はいはい」


 おねだり上手なルームメイトのために、ジルは席を立った。幸い、朝はミルクも用意できる。

 キッチンで紅茶を入れて戻ると、ノアの周囲には昨日と同じように好奇心旺盛な少女たちの輪ができていた。

 人を寄せつけない頑なさが消えた「イレギュラーな転校生」に、皆が我慢できなくなったのだろう。ジルは空いた席に座り、少女たちの質問攻めに耳を傾けた。


 語られたノアの身の上によれば、両親は貿易商を営んでいるという。一家が東のモルデナへ移住する際、彼女だけが国に残ることを選んだそうだ。卒業まで残り半年という中途半端な時期だったが、幸いにも僅かな魔法の素養が認められ、この学校への編入が許された――。


 さらに質問は続き、ノアが首都育ちであることや、妹が一人いることも明かされた。

 ひとしきり答え終えると、ノアは視線を巡らせてジルを見つけ、軽やかに立ち上がった。


「質問の続きはまた今度。ティータイムにでも」

 ひらひらと手を振り、当然のようにジルの隣へ滑り込む。


 目を輝かせて紅茶を待つ姿は、誰かに世話をされることに慣れきっているようだ。端々に見える所作は、やはりどこか一般生徒とは一線を画している。


(親御さんは貿易会社を経営していると言っていたけれど、相当な資産家のご令嬢なのかもしれないわね……)


 そう思うと、紅茶を差し出しながら、ふっと笑いがこぼれた。

「……何か面白いことあった?」

「ううん、ごめんなさい。ノアの所作があまりに優雅だから、やっぱり育ちがいいんだなって思って。でも、いわゆる『おしとやかなご令嬢』っていうイメージとも少し違うから、なんだか可笑しくて」


「つまり、清楚には程遠いと?」

「素敵な立ち居振る舞いだけど、枠に収まりきってない感じ、かな。あ、今朝はミルクがあるの。入れる?」

 頷いたノアのカップに白濁した液を注ぎ、次いで自分の分も満たす。


「案外、鋭いんだな……」

「え? 何か言った?」

 掠めるような呟きは、ジルの耳には届かなかった。ノアは静かに紅茶を一口含むと、満足げに微笑んだ。



「うーん。最高」






      ※




 季節の足音は早い。数日後の教室で、教師が告げた。


「再来週の土曜日は収穫祭です。前回同様、リーダーはジリアンさん。エルマさんはサポートを。ノアさんは初参加ですから、二人がしっかりフォローするように」


 指名を受け、ジルは背筋を伸ばした。

 ここ数日、ノアという存在があまりに鮮烈で、学校全体が浮ついていた。正直、行事の予定が頭の片隅から滑り落ちていた。


 慣れ親しんだ行事とはいえ、低学年の子供たちを預かる立場だ。怪我一つさせてはならない。チーム分け、予行演習、そして新入生であるノアへのレクチャー。やるべきことは山積みだった。


「ジル、どうしよう……私、すっかり忘れてた」

 放課後、エルマが青い顔で駆け寄ってきた。


「私も同じだよ。でも準備期間はあるから大丈夫。いつも通りやっていきましょう。ただ、前回より冷え込むはずだから、防寒対策は念入りにね」


 二人は手早く役割分担を決めた。話し合いで、エルマが実務的なチーム分けを、ジルが全体計画の策定とノアの教育を担当することになった。打ち合わせを終える頃には、教室には誰も残っていなかった。夕食まではまだ間がある。最終学年のこの時期、授業は短くなり、生徒たちは思い思いの自由時間を謳歌していた。


(そういえば最近、ウーゴたちに会いに行っていない……)


 ふと脳裏を過った事実に、ジルは「あぁ」と小さく声を上げた。

 毎日あんなに通っていたのに、ノアと過ごすうちにすっかり足が遠のいていた。一度思い出すと、もう居ても立ってもいられない。ジルはそのままの足で玄関を目指した。


「ジル?どうした?」


 廊下を通りがかったノアが、不思議そうに声をかけてきた。

 この数日、ノアはジルの傍にいた。図書室でも教室でも、気づけば隣には彼女がいて、とりとめのない会話を交わす。不思議と波長が合い、ずっと前から友人だったような錯覚さえ覚えるほど、二人の距離は急速に縮まっていた。


 けれど、ウーゴたちのことは別だ。精霊に近い彼らの姿はジルにしか見えない。説明のしようがないし、安易にノアを連れていくわけにもいかないのだ。


「ちょっと用事があって! ごめんね!」


 ジルは足を止めずに答え、ほとんど駆け出すようにしてその場を去った。背後でノアが何か言いかけた気配がしたが、一緒に行こうと言われる前に、ジルは校舎の外へと飛び出していた。





     ※





 森の境界へ向かった。学校が深い緑の森に隣接しているのは、こんな時は助かるものだ。

 夕食の鐘が鳴るまで、可愛い生き物たちと過ごそう。森への立ち入りは禁じられてはいないが、かつて一度だけ帰宅時間を忘れ、前校長に雷を落とされたことがある。気をつけなければならない。



 だが、森に入って数歩進んだところで、ジルは奇妙な違和感に足を止めた。

 いつもなら、気配を察したウーゴたちが喜んで寄ってくるはずだ。しかし、今日は何一つ聞こえないし、視界にも入らなかった。


「ウーゴ……?」


 返事がないのは当然だとしても、この静寂はあまりに不自然だった。湿った空気が肌にまとわりつく。

 引き返すべきだろうか。逡巡したその時、背後で「ポキリ」と、乾いた枝を踏み折る音が響いた。


 弾かれたように振り返る。――誰もいない。

 まだ陽は落ちていないはずなのに、周囲の木々は意志を持っているかのように枝を広げ、視界を仄暗く閉ざしていく。足元から這い上がってくるのは、得体の知れない嫌な予感だ。長く慣れ親しんだ森が、全く別の異界に変貌してしまったかのような錯覚。


 ジルは震える足に鞭を打ち、出口へ向かって駆け出した。ブーツが泥に汚れようと構わない。とにかくこの空間を脱したかった。


 しかし、おかしい。数分も走れば外に出られるはずなのに、いくら走っても景色が変わらない。息を切らし、腿を上げ、必死にもがいて――ジルは気づいた。今、自分が立っている場所に見覚えがあることに。



「同じ……、場所?」

「やーっと気づいたかい」


 享楽的で、どこか毒を含んだ声が頭上から降ってきた。


「いつまでも小鼠のごとくダラダラと……。ふん、なんだい、本当にただの小鼠じゃないか」


 木の上から、目の前へと音もなく舞い降りた影。ジルは氷ついたように硬直した。

 腰まで届く緑の髪。天井に届きそうなほどにすらりと高い背。土気色の肌に、毒々しい紫の唇を吊り上げ、その女は高みからジルを観察していた。流行のメイクなどではないだろう。それは生理的な嫌悪を催させる、捕食者の色彩だった。



「ふうーん……」


 鋭く伸びた爪が、服越しにジルの肌を突く。

 弄ばれる小動物の心境だった。叫びたい衝動を、奥歯を噛み締めて抑え込む。ここで声を上げれば、この女をさらに残酷に昂ぶらせるだけだと直感したからだ。


「おやおや、健気じゃないかい」


 不意に、首筋に熱い痛みが走った。

 ツーと伝う感覚で、自分の血が流れたのだと悟る。


(痛い……。怖い……助けて……)


 張り詰めていた意気地が、決壊したダムのように崩れていく。


「――あんたは、違うねぇ」

 女はつまらなさそうに溜息をついた。


「ここで張っていれば見つかると踏んだんだが。変化の魔法を使うにしても、あんたみたいなチンチクリンになるわけもないだろうしね」

 女には目当ての人物がいたのだ。そして、それは明らかにジルではない。

 だが、その事実が救いにはならなかった。人違いだと分かったところで、この狂った女が「人違いだった」と笑顔で帰してくれるはずはないのだ。


「なーに? 安心しちゃったかな。このままおうちに帰れると思っちゃったかな?」

 酷薄な笑みに背筋が凍る。後ずさろうとしたジルの両肩を、女の長い指が万力のように掴んで揺さぶった。ジルの体がガクガクと揺さぶられ、吐き気が込み上げてきた。



「なーにして遊ぼうか。隠れんぼ? それとも……ッ!?」

 突如、女が動きを止めた。


「ーーーーーーーーっ!!!」

 鼓膜を裂くような絶叫が上がった。



 掴まれていた肩から手が離れた。見れば、女の両手からはじりじりと白煙が上がり、黒く焦げ付いていた。女は信じられないものを見る目で自分の手を見つめ、悶絶しながら喚き散らした。


「何を……何をしたああぁぁぁぁ!!」

 その咆哮を合図に、ジルの生存本能が鐘を鳴らした。



 脇目も振らずに走り出す。背後で呪詛のような叫びが聞こえたが、振り返る余裕などない。

 心臓が口から飛び出しそうだった。どこへ向かっているのかも分からない。ただ、あの異形の影から逃れたい一心で、泥を跳ね飛ばし、茂みを掻き分けた。



「くそが! くそがっ、くそがぁぁ!! 殺してやる!!」

(嫌っ! 嫌だ、助けて!!)



 わけのわからない化け物に、わけのわからないまま殺されるなんて。

 涙と汗で視界が歪む。その極限の意識の中で、ぼんやりとした光の点滅が視界の端を掠めた。



 ――ウーゴたちだ。


 ジルは必死にその光を追った。

 肺が焼けるように熱い。足の感覚はとうに消え、呼吸の仕方も忘れてしまいそうだ。けれど、背後からは確実に死の気配が迫っている。あの女の、獲物をなぶり殺そうとする狂気がすぐそこまで。



(追いつかれる――!)




 首筋に、冷たく湿ったあの爪の先が触れた、その瞬間。



 一条の閃光が、森の闇を切り裂いた。


一章完結に伴い、加筆、修正の改稿しました(3/1)。

更新情報はXにて(@sharineko01)

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