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番外編・彼と彼等の長い午睡(5)

 ある日の終業後、会社の最寄駅付近のカフェのテーブル席で壱己と二人でコーヒーを飲んでいる時に、あの人に会った。

 仔猫が部屋で待っているから、本来なら大急ぎで、まっしぐらに家に帰るべきだ。あの子が来てからは、ずっとそうしていた。

 でもその日はいつも利用している路線で大きな人身事故があって、電車が止まったまま復旧の目処が立っていなかった。駅のホームは人で溢れ返っていて、運行が再開したとしてもすぐには乗り込めないだろうと予想された。いつも通り定時で上がった私は、珍しく定時で上がれた壱己と駅近くのカフェチェーンで落ち合って、電車が動き始めるのを待っていた。

 最近は壱己と一緒にいても、話すのは仔猫のことばかりだ。私に限っては、話す内容がどうこうという以前にそもそも頭の中全部、仔猫のことでいっぱいだった。こうしている今も早く帰って仔猫に会いたくて、あぁもういっそタクシーで帰ってしまおうかと──考えていたところで、テーブルに影が差す。

「席、一つ借りていい?」

 薄いグラスをこつんと触れ合わせたような、澄みやかな声が頭上から降ってくる。私の心臓はぎくりと小さく跳ね、壱己はげっと潰れた声を上げた。

 声の主は天河さんだった。

 私達は二人掛けのテーブル席についていて、奥側に連なったベンチ席に壱己が座っている。小さな店の二人席はただでさえ狭く、もう一人腰掛ける余裕なんてないのだけれど、天河さんは無理矢理壱己の隣に体を押し込んで着席した。平均より大きな体の男性が二人も座ると、並んでいるというより、もはや半分重なって見える。異様な光景だった。

「いい訳ないだろ、ふざけんな。他の席行けよ」

「満席なんだ」

「立って飲んでろ」

「他のお客さんに迷惑だろう?」

「今俺にとって銀河系一邪魔な存在なんだよ」

 この二人が一緒にいるところを見るのは時々のことだけれど、見る度に、ますます息が合うようになっていっている気がする。以前壱己に「仲いいね」と言ったら凄く怒ったから、もう言わないけれど。

「…あれ?猫を飼い始めたの?」

 私に目を止めた天河さんは、ほんの何秒か瞬きをせずこちらを見た後、首を傾げた。その拍子に側頭部が壱己の鼻に当たり、壱己はまた眉を吊り上げる。

「おま…今、どこから情報抜いた?また灯里に余計な事を…」

 あ、怒るのはぶつかったことじゃなくて、そっちなんだ。それなりに痛そうに鼻を押さえてるけど、平気なのかな。

「ちょっと夢を覗いただけだよ。白崎さんに会うのは久しぶりだから、元気かなぁと思って。そうしたら同じ猫ばかり登場してるから、飼い始めたのかなと」

「出会い頭に人の夢盗み見るってどういうことだよ、掏摸スリか痴漢か通り魔か⁈」

「あの、猫飼ってないです、まだ」

 いい大人、それも揃って長身で見目が良く、ただでさえ目立つ二人が狭い店内で一人分のスペースを仲良く分け合っていれば、否が応にも注目を浴びる。その上中高生のようなレベルで騒いでいるものだから、周囲の視線が痛すぎる。せめて誰かに聞かれても困らないまともな会話をしたくて、半ば投げやりな気持ちで会話の矛先を変えた。

「何週間か前に拾ったんです。でももしかしたら元々飼猫だった子かもしれなくて。今はうちで保護して、元の飼主を探してるところで…」

「あぁ、そういうこと」

 ざっと概要を話しただけで、天河さんはすんなり理解して頷く。それはそうだと思う。だって私は今、寝ても覚めても仔猫とその飼主の事ばかり考えている。。夢を覗いたなら断片的にでも情報が転がっていただろう。

「元の飼い主を見つけるなんて簡単だろう?」

「それがそうでもなくて…ポスター貼ったりSNS使ったりして探してるんですけど、全然…」

「あぁ、それじゃあ難しいかもね。何でそんな面倒な探し方してるの?」

「え…?だって他にいい方法なんて…」

「夢を見ればいい」

 私はひゅっと息を呑んだ。壱己からの視線を感じてそちらに目を遣ると、壱己は問いただすような目で私を見ていた。慌てて首を左右に振る。

 夢を見る?そんなの無理だ。

 だってあの子は──…

「……動物だぞ?」

 私の様子から言いたいことを読み取った壱己が、代弁してくれる。今度は天河さんの方が、不思議そうに首を傾げる番だった。

「あぁ、もしかして白崎さん、動物の夢は見えないの?」

「み…見えないです」

 拾った仔猫や道端で出会った犬、猫、学校で飼っていた兎、公園の池から首を伸ばす亀。今まで何度か動物と見つめ合ったことはあるけれど、彼らの夢が見えたことはなかった。

「天河さんは見えるんですか?」

「うん」

 天河さんは当たり前だと言いたげに頷いた。やっぱりこの人は規格外なんだと、私は呆気に取られる。

「むしろ人間の夢より構造が単純で読みやすいくらい。記憶と直結してる事が多いんだ。だから夢を見れば、どの辺りに住んでたのかとか飼主の顔とかすぐにわかると思ったんだけど…そうか、白崎さんには見えないんだね」

 ふぅんと天河さんは少し考え込むように視線を落とした。

「あんたが夢を見て、顔とか場所とか絵に描いたり出来ない?」

「えぇ?無理だよ。面倒」

「ちょっとは協力しろよ、見ること自体は簡単なんだろ?あんたが行きたがってたスウィーツビュッフェのチケット買ってやるから」

「別に行こうと思えばチケットくらいは自分で買えるけど。芦屋君が一緒に行ってくれるならいいよ」

 なんだ、その交換条件は。そもそも壱己が天河さんが行きたがってるスウィーツビュッフェを把握している時点で、やっぱり本当は仲良しなんじゃないかと疑惑が浮かぶ。そんなこと考えてる場合ではないのだけれど。

 でも壱己は即座に「それは断る」と一蹴していた。天河さんは「だと思った」と笑う。

「それに僕、絵は下手だからね。描いたとしても参考にならないと思う。それより僕がその猫の夢に入って、そこに白崎さんを呼んだ方がいいんじゃないかな。直接見てもらった方が手っ取り早い」

 私と壱己は思わず顔を見合わせた。


 誰かの夢に入って、他の誰かを呼ぶ。それは以前、天河さんが実際にやってみせたことだ。私は自分でミフネ君の夢に入り、そこで《《呼ばれ》》て、天河さんと一緒にミフネ君の記憶を見た。天河さんなら出来るということは、実証されている。

 確かにそれは、言葉や手描きの絵で説明するより余程スムーズだと思う。でも──…


「絶っっっ対に、駄目だ」

 やっぱり。

 壱己は眉を逆立てて、強固な反対姿勢を示した。

「灯里をあんたの夢にだなんて、二度と行かせない」

「僕のじゃなくて猫の夢だよ」

「あんたが好き勝手出来る場所って意味では同じだろ。何されるかわかったもんじゃない。そんな危険な場所に灯里を行かせられるか」

「じゃあ芦屋君も来れば?」

「──は?」

「二人で来ればいいよ。それならお互い安心だろう?」

 また。まただ。

 さらりと、当たり前みたいに。天河さんは予想外の提案をしてきた。

「いや、あんた、前に俺の事は呼べないって言ってたじゃん」

「夢に呼べるかどうかは相手の気持ち次第だから。君が来たいと望めば、呼べるよ。それに芦屋君、前ほど僕のこと警戒してないだろう。今なら君さえちょっとその気になれば呼べると思うんだよね」

「んな訳あるか。常に警戒してるわ。あんた天災級の危険人物じゃねぇか」


 天河さんに導かれ、壱己と二人、仔猫の夢を見に行く。考えただけで頭痛がしてくる、奇怪な状況だ。

 でも、だけど。

 天河さんの言う通り、それが一番手っ取り早いのかもしれない。だって私達はただ眠るだけ。それだけで、あの子の家族や住んでいた場所──何を見て、何処からどんなふうにここへ辿り着いたのか、知る事が出来る。それもあの子の記憶のままに、正確に。


「やっぱり結婚して心に余裕が出たのかな。婚姻制度って凄いよね。よく出来てる」

「人の話を聞け」

「………壱己」

 未だ続いていた二人の応酬を遮って、テーブルの上に置かれていた壱己の拳を、両手でそうっと包む。その仕草だけで私の言わんとしていることが伝わったのだろう。壱己の手が、ぎくりと小さく跳ねるのがわかった。

「…灯里…お前なぁ」

 いくらあいつが可愛いからって、とか、どれだけ危険かわかってんのか、とか、ぶつぶつ小声で呟きながら、壱己は深い溜息を吐く。

 でも私は、壱己がどんな答えを出すのか、ちゃんと知っている。

「……わかったよ。行くよ、行きゃあいいんだろ」

 ほら。壱己はとことん、私に甘い。無言のおねだりはあっさりと受け入れられた。

「いつ?」

 壱己の短い質問は、天河さんに向けられたものだった。天河さんはふっと眠りにつく間際のように目を細め、微笑んで答える。


「──今夜、夢で会おう」


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