番外編・彼と彼等の長い午睡(6)
天河さんが仔猫の夢に入る為には、まずは彼らを引き合わせなければならない。その為には我が家へ招待する必要がある。仕方のないことなのに、壱己は最後まで抵抗していた。
「その辺の公園とかじゃ駄目なのかよ」
「猫の夢を読むだけなら覚醒した状態で出来るからそれでもいいんだけど。夢を整理して正しい記憶の状態に編纂するには完全に夢の中に入らないといけないし、他人の夢に入るには僕も眠らないといけない。その上他の誰かを招くならその人達、つまり君達も眠ってる状態でなくちゃ駄目なんだ。三人の大人と猫一匹、仲良く公園で眠っている姿を誰かに見られてもいいなら、僕は構わないけどね」
「ペット連れて泊まれるホテルを探そう」
「三人と一匹で旅行かぁ。それもいいね」
その案には私が反対した。少なくともこの周辺にそんな宿泊施設はない。まだ幼く健康状態だって万全ではないあの子を連れて遠出なんて出来ない、と。
「僕の夢に招くだけならもうちょっと話は簡単なんだけどね、やろうと思えば遠隔でも出来るし。でも誰かの夢に入ってそこに招くとなると、制限が増えちゃうんだ」
結局他に選択肢がなくて、私達は連れ立って仔猫の待つマンションに向かった。私の交友関係の狭さゆえ、我が家にはこれまで来客というものが無かった。初めて招いた客が天河さんだという事実。何とも言えない違和感がある。
けれど部屋に着いて、リビングの真ん中で小さな三角形の耳をピンと立ててこちらを見つめる仔猫を見た瞬間、他の全てがどうでも良くなった。抱き上げて、遅くなってごめんね、一人で心細かったよね、と濡れた鼻先に頬を擦り寄せる私を、壱己が呆れたような不貞腐れたような微妙な表情で眺めているのがわかる。
ただいまの儀式が一段絡ついた頃、天河さんが私の隣にするりと腰を下ろした。片膝をついて屈み、仔猫に向かって微笑みかける。
「はじめまして。君が白崎さんの大事な子だね。名前は…まだないのかな」
仔猫もじっと天河さんを見つめている。声もあげず瞬きもせず、この人が何者なのかを見定めようとするみたいに。
不意に天河さんは手を伸ばして、仔猫の額にそっと触れた。
「──少し眠ろうか。大丈夫、怖くないよ」
呪文を唱えるような、密やかな囁きの直後。すっくと立っていた仔猫はゆるやかに四肢を折り、クッションの上に音もなく身体を沈めた。ふわふわの綿に顎を埋め、瞼を閉じる。丸めた背中が、上下にゆっくりと動き始めた。あっという間に仔猫は眠りについた。
天河さんは寝息を立てる仔猫の頭を軽く撫でてから、腰を上げ、私と壱己の顔を順番に眺めて尋ねる。
「君達はどうする?自力で眠る?早めに終わらせたければ、僕が眠らせようか?」
「なぁ、あんたのそれ、どうなってんの?眠らせるって、どうやって?」
壱己は薄気味悪そうに質問を質問で返す。天河さんが他人を眠らせる場面を見るのはこれが初めてじゃない。父親であるミフネ君を強制的に眠らせたところも見たこともある。
「大した事じゃない。夢を覗くとね、その周りには、寝る前に感じた睡眠に対する欲望…所謂睡魔ってやつかな、それの残滓が、いくつも浮かんでる。それを集めて強く引っ張れば、大抵の人はすぐに眠っちゃうんだ」
「……大した事だろ」
言うまでもなく、私や壱己には出来ない芸当だ。出来ないどころか想像もつかない。
「人体…生体に悪影響はないのか」
「ないよ。その人の中に本来あった睡眠欲を引っ張ってきてるだけ。そこらで売ってる睡眠導入剤よりよっぽど安全だ」
「そう。ならいいや。さっさとやって」
案外あっさりと受け入れて、壱己はラグの上に腰を下ろし、ソファに凭れる。立ったままの私に手招きして「灯里、お前もこっち来い」と、隣に座るよう促した。
いくら体に悪影響はないと言われても、意思とは無関係に眠らされるなんて結構怖い。かと言ってこの状況ですぐに眠れるかといえば、絶対に無理だ。下手したら朝まで眠れないかもしれない。意を決して隣にぺたんとお尻をついた私を、壱己はぐいっと引き寄せて腕の中に収めた。
「灯里には指一本触れるなよ」
「眠らせるには頭に触れる必要がある」
「じゃあそれだけは許す。いいか、絶対にすぐ離せよ。俺、眠りは浅い方だからな。何かしたら飛び起きて叩き出すぞ」
「そんなに心配しなくても大丈夫だよ、僕もすぐに眠るから。あ、ベッド借りていい?」
「駄目に決まってんだろ」
「睡眠環境には多少こだわりがあるんだけど」
「うるさい。床で寝ろ」
よくよく考えたら天河さんは厚意で協力してくれるだけなのに、酷い言い草だ。何だか申し訳なくなってきて、壱己の腕から一旦抜け出した。寝室から洗い替えのブランケットを取って来て天河さんに渡す。普段壱己と使っているベッドを誰かに貸すのは、さすがに私も抵抗があった。
壱己の隣に戻った私は、今度は自分から壱己の胸にぎゅうとしがみつく。普段なら人前でくっついたりするのは絶対に嫌なのだけれど、今はこうしていないと、少し不安だった。
思い出すのはミフネ君の夢の中。言葉を失うほど美しく、途方もなく孤独な、あの空間。また訪ねることになるだなんて、考えてもみなかった。
壱己は黙って私の腰に腕を回し、ぐっと力を込める。それで私は、大丈夫、今度は一人じゃないと安心することが出来た。
じゃあ始めよう、と言って天河さんは私達の前に膝をついた。両手をそれぞれの頭に乗せて、目を細め、かすかな微笑みを浮かべる。
「白崎さん。怖いかい?」
顔を覗き込まれ、私は首を横に振った。ほんの少し、強がってみた。
「俺には聞かないのかよ」
壱己が横から訊くと、天河さんは「怖くないだろう、君は」と笑みを見せた。
私はまだ頭の隅に残る僅かな躊躇いを追いやる為に、瞼を伏せる。
天河さんの手のひらがそっと頭に乗せられる。髪の上から伝わる、ひんやりとした細い指。
目を閉じると、幕を下ろすようになだらかに、意識が遠のいていった。
「大丈夫。すぐに僕が迎えに行くから───…」




